鉛色の空の下、ノーサイドの笛が鳴る。挨拶を終え、芝の上からベンチに下がる。青いジャージィの富山一高のフィフティーンは、その表情をみるみる崩してゆく。やはり、負けたら悔しい。 教え子の嗚咽を聞きながら、さばさばしていたのが河合謙徳監督だ。「…

 鉛色の空の下、ノーサイドの笛が鳴る。挨拶を終え、芝の上からベンチに下がる。青いジャージィの富山一高のフィフティーンは、その表情をみるみる崩してゆく。やはり、負けたら悔しい。

 教え子の嗚咽を聞きながら、さばさばしていたのが河合謙徳監督だ。「小さくなれ」。円陣を作る。短い時間でいくつか発した訓示のひとつは、「1、2年生は、またここへ戻ってきなさい」だった。

「特に前半、ディフェンスで受けてしまった。相手にスペース、時間を与えてしまったことはもったいなかったと思います」

 富山東高から早大を経て故郷で教員となった30歳は、チームにとって2年連続10回目、自身としてはコーチ時代を含め通算3回目の全国高校ラグビー大会初戦をこう総括する。

 12月27日、大阪・東大阪市花園ラグビー場の第3グラウンド。2年連続43回目の出場となる兵庫・報徳学園高に、0-105で敗れていた。自分たちとは逆側にあるベンチの周りでは、高校日本代表候補の江藤良主将ら対戦チームのエースランナーが女性タレントのインタビューを受けている。

 この日の報徳学園高は、いくつかハンドリングエラーを犯しながらも自信満々でトライラインを目指し続けていた。

 CTB岩佐堯弥、WTB中西海斗といった身長170センチ前後のランナーが粘り腰とフットワークで防御を切り裂けば、パスの出所にいたアウトサイドCTBの江藤主将がすぐにサポート。こちらも高校日本代表候補のFB、雲山弘貴は自己採点を「50点」としながら15本すべてのコンバージョンを決めた。ワンサイドゲームをおぜん立てした。

 もっとも今度の得点差は、一つひとつの局面でのわずかな差が堆積してできたものでもある。例えば、強力なBK陣を止める防御プランとその遂行度合いについて、河合監督はこう話している。

「(防御ラインが)いかに前に出るか。それは練習してきたので、きょうも意識してくれていたと思います。ただ、(問題は)出るタイミングのずれですね。中途半端な間合いで出て、中途半端な間合いで相手と対峙してしまうシーンが多くあったので。ハーフタイムには、外(のスペースは)気にしなくていいから、内を守りなさいと(伝えた)。その部分は、後半になって改善された。ただ、そこでボールを奪い取るまでには至らなかった。報徳さん、強かったな。そう思います」

 それと遠くない実感を、実際に戦っていた前川海哉主将も抱いていよう。事実、前後半の中盤には報徳学園高のスコアラッシュは停滞。その間は、富山一高が強みのFW陣を軸にボールキープを重ねていた。最後はミスに終わったが、チャンスの入口を探しかけてはいた。

 高校からラグビーを始めた北陸のFLは、自軍の攻撃のエラーについてこう話していた。

「自分たちのボールになった時にもう少し落ち着いて、(そのうえで)テンポアップしていけば、(相手の攻撃感が減り)105失点という形にはならなかったと思います」

 大差の試合を生んだかすかな違いは、根本的な勢力分布図とも無関係ではなさそうだ。

『ラグビーマガジン』編集部作成の「第97回全国高校大会ガイド」によれば、登録メンバー候補30選手中の競技経験者は報徳学園の「29」に対して富山一高は「4」。県内にも複数のラグビースクールが存在するものの、有力選手が県外の強豪校へ入学する傾向が強まっている。

 例えば砺波市出身の西和磨は、京都成章高を経て帝京大入り。いまは大学選手権9連覇を目指している。才能の流出は、高岡一高など県内で覇権を争うライバル校も抱えているジレンマだ。

 ここでなんとか前向きな言葉を残すのが、富山一高の河合監督である。

「もうちょっとうちに魅力があれば(有望選手が県内に)残ってくれるようになる。そこへ向けても、頑張っていきたいと思っています」

 地殻変動の象徴となりうる1年生の1人が、この日先発した藤永悠人だ。身長170センチ、体重81キロのインサイドCTBである。

 当初は同じ環境から飛び立った西に憧れ京都成章高を志望も、「寮がいっぱい」だったために自宅から通える富山一高を選んだ。

 気持ちを切り替え、いまに至る。

「中学校のコーチとかも県外で試して欲しいと言っていて。(自身も)本当は県外でやろうと思っていたんですけど、県内に残って1年生からたくさん試合に出てがんばろう…となりました」

 親戚が指導者だった縁から「(幼稚園でいう)年少の頃」に砺波ラグビースポーツ少年団でラグビーを始めた。中学時代は、となみWILD BANDITSでプレー。「練習が嫌いで…」と苦笑しながら、周りのレベルが高まった中学時代にラグビーの楽しさを再認識したという。

 報徳学園高戦後も悔しかったのは確かだが、「初めての花園で緊張したんですけど、楽しめました。県外から勝ち上がってきたチームと全力で試合ができたので」。ラグビーを嫌いになったわけではない。

「なんか、ラグビーには、走ったり、ぶつかったり、蹴ったり、ボールを回したりと、いろんなスポーツの側面があって…」

 もともと志望していた京都成章高は、今年の全国大会でAシードを獲得。確かに競技活動におけるメリットは、いまいる環境よりも多く得られるのかもしれない。そうは感じていながらも、藤永は、「同級生たちにいろいろと教えたりしながら、強くなりたい」。今回の黒星を、本当の意味での肥やしにしたい。

「花園に出場して、自分たちのラグビーを通用させたい。プレーの正確性をもっとよくしたい。勝って、シード校とぶつかって…」

 そう。大差のゲームも丹念に紐解けば、わずかな差の積み重ねだったとわかる。それを指揮官は防御の飛び出しのずれなどに、藤永は「プレーの正確性」に見た。以後の旅路は、険しいのかもしれないが明確でもある。

 いずれにせよ、物事は二極化した途端に味気をなくす。日本の高校ラグビー界のおもしろみは、藤永のような選手の奮闘に支えられる。(文:向 風見也)