次のレースに向け、再始動した神野大地神野プロジェクト Road to 2020(11)福岡国際マラソン 後編(レース前のメンタル面を語る前回の記事>>) 福岡国際マラソン、15kmを越えたところで神野大地の身体に異変が起きた。「腹痛が起…



次のレースに向け、再始動した神野大地

神野プロジェクト Road to 2020(11)
福岡国際マラソン 後編

(レース前のメンタル面を語る前回の記事>>)

 福岡国際マラソン、15kmを越えたところで神野大地の身体に異変が起きた。

「腹痛が起きたんです。(集団の)前に行ってすぐ痛くなったんで、あー余計なことしなきゃよかったと思いましたね。でも、まだ足に力が残っていましたし、(1kmを)3分ペースなので、なんとかついていけたんです。そうして我慢して後ろでついていくと4km(19km付近)ぐらいで治まって。よし、これで仕切り直してイケるぞって思いました」

 腹痛は神野にとって大きな課題だった。

 過去のレース、とりわけ大事なレースの時ほど腹痛が起き、失速の原因になった。そのために検査をして、薬で対処することになった。本来であれば11月初旬の東日本実業団のレースで薬を試す予定だったが、エントリーから外れてしまい、今回ぶっつけ本番での服用になった。結果は、残念ながら腹痛が起きてしまったが、幸い長引くことなく、我慢して走れた。ダメージも思ったほどはなかった。

 腹痛から回復した神野は、勢いを取り戻した。

 ところが――。

「さぁ、ここからだって思った矢先、またアクシデントが起きたんです」

 それは20kmの給水地点だった。

 スピードを緩めて給水テーブルにアプローチしていった。これまで通りテーブルの一番手前にあると思っていたが、神野の青いボトルはテーブルの角の奥に置かれていた。焦って手を伸ばした瞬間、ボトルに当たって倒れてしまい、キャッチすることができなかったのだ。

「取り損ねてヤバいって思いましたね。もうヤバいヤバいってなって、とにかくゼネラルを取ることしか頭になかった。もしマラソンの経験があり、冷静なレース運びができていたら先頭集団での自分の位置を考え、ここでの給水を諦めて、次って考えることができたと思うんです。でも、給水することに必死でゼネラルを取った時は、もう先頭集団から4秒ぐらい遅れていた。

 しかも、その頃、足にマメができ始めていて前に踏み込めない状態だった。運が悪かったのもありますが、そういうところに経験のなさが出てしまい、先頭集団から離れてしまった。腹痛を乗り越えた後すぐだったので、本当に痛いミスでした」

 この時、神野の足にも異変が起きていた。

 初マラソンに向けてのシューズ選びは非常に難しかった。ソールの厚いタイプでいくのか、それとも薄いタイプでスピードを重視していくのか。最終的にレース2週間前の練習で決める予定だったがアキレス腱痛が発症し、シューズを試すことができなかったのだ。

 結局、これまでのフィーリングでソールの薄いシューズを選び、ソックスは30km以降、摩擦でマメができる可能性があったので、すべり止めが前後に小さく付いているタイプを選択した。しかし、実際は予定よりかなり早くマメができてしまい、走りに大きな影響が出てしまった。

「マメでスピードが落ちるとかはなくて、このくらいの痛みなら我慢できるだろうって思って走っていたんです。でも、今、振り返って考えてみると、マメのせいで足の裏が気になって、いつもと違うフォームになっていたんです」

 神野は蹴り上げと前傾を意識し、ハムストリングスと臀筋などを使って走る。だが、マメができて足の裏を気にするあまり蹴り上げと前傾の意識が薄れ、大腿四頭筋を使ったフォームになっていたのだ。

「僕の走りは四頭筋を使わない走りなんです。だから、そこはトレーニングをしていなかった。でも、足のマメの影響で自分のフォームを忘れて四頭筋を使い、26km付近ではもうパンパンになっていた。それ以降は四頭筋が限界を超え、前に足を出したら、どこつるのかなっていう感じになり、いつ走るのをやめようかなって思うほどでした」

 神野はつりそうになる足を必死に前に出し、その一方でどんどん痛みを増していく足のマメとも格闘していた。41km付近で左のマメがめくれて出血し、右の血豆はピンポン球ぐらいに膨らんでいた。

 必死に粘ってゴールすると、もう自力で立つだけの余力はなかった。

 トラックの内側に倒れ込み、しばらくして立ち上がろうとしたが何度も尻もちをついた。四頭筋が限界を超え、もはや自力では立てなくなっていたのだ。

「レースが終わって中野さんに腰、ハム、臀筋とか触ってもらったんです。そうしたら『これマラソン走った後の足じゃないよ』って言われて。要は今まで鍛えてきたところを使い切れていなかったということです。それを言われた時は、うーん、悲しいというか、情けなかったですね。中野さんのトレーニングは間違っていなかった。時間をかけてやってきたことを、本番で自分は使いこなすことができなかった。それが自分の甘さであり、今回の敗因だと思います」

 春から取り組んできた自分のフォームで走り切ることができなかった。目標タイムには届かず、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)の権利を獲得することもできなかった。

 しかし、すべてがムダになったわけではない。初マラソンで2時間12分50秒のタイムは次につながる成果になった。

「僕はこの大会で高い目標(2時間8分59秒)を立てていた分、いろいろ言われるのはしょうがない。でも、途中でタレて2時間12分台で帰ってこられたということは、少なくとも自分はマラソンに向いてないことはないなということ。

 中野さんからも『箸にも棒にも引っかからない選手であれば2時間20分以上かかるけど、悪くても12分台で帰ってこられたのは、これから選考争いに加われるということ』と言っていただいた。2時間7分台を狙うには、3分ペースでもうちょい余裕が必要だなって思いますが、9分台を狙うなら今の練習を継続して狙えると思います。でも、もうそれじゃ勝てない。もっとやらないといけないですね」

 神野を奮い立たせているのは、大迫傑(すぐる)の走りだ。

 大迫は一度も先頭集団から離れることなく、ロンドン五輪金メダリストのスティーブン・キプロティク(ウガンダ)と2位争いを演じ、日本人トップ、総合3位に入り、2時間7分19秒の記録を出した。

「大迫さんはレース中、終始冷静でした。集団の中でも勝つことしか考えていなかったらしいですし、タイムもラストトラック1周になってから意識したと言っていました。自分の考えというかやり方を貫いていましたよね。僕はレース中、まだ大迫さんがいるとか、5km何分、10km何分ってタイムを気にしていた。周囲が気になって、自分の走りに集中できていなかった。その時点で僕は大迫さんに負けているなって思いました」

 隣で一緒に走ったからこそ、大迫の強さを肌身で感じられた。

 その大迫と神野の間には5分もの差がある。この差を神野はこれから縮め、さらに追い抜いていかなくてはならない。

「現状、日本のトップは誰が見ても大迫さんです。でも、東京五輪でマラソンに出場し、メダルを獲るためには越えないといけない壁だと思っています。5分という差は決して小さくはないですが、ここから徐々に縮めていかないといけない。僕はこれまで才能がない分、人よりも努力を重ねてきました。でも、あれだけやってきてもあの結果しか出せなかったということは、もっとやるしかない。そうしないと大迫さんには追いつけない。

 幸い、大迫さんに負けて悔しいと思えたし、もっとやらないといけないっていう自分がいるってことは、もっとやれるということ。大迫さんは覚悟を持ってやっている。僕も本気のレベルをもっと上げて、冷静に覚悟を持ってやっていきます」

 神野は清々しい表情で、そう言った。

 勝って得るものは大きいが、負けて得るものも大きい。特に神野は初めてのマラソンである。試合前の緊張感からレース運び、シューズ、腹痛、フォームなどいろんな経験をし、明確な課題が見えた。経験値という意味で神野が得たものは、ボストンマラソンで大迫が初めてマラソンを経験して得られたものに匹敵するぐらい大きかったはずだ。

「次のレースこそは、中野さんと一緒に喜びたい」

 神野はそう言った。

 レースから1週間明けて、練習を再開した。それは今まで以上にハードで厳しいものになっていくだろう。そして、神野の「本気」と「覚悟」が試されることになる。

(つづく)