10月31日、秋季リーグ最終戦の対法大4回戦が行われた。学生野球の集大成に、神宮球場が沸く。
ふと一塁側内野席に目をやると、そこには温かな眼差しを送る夫婦がいた。熊谷英男さん、熊谷徳美さん。お分かりの人もいるだろう。そう、阪神タイガースからドラフト3位指名を受けた熊谷(コ4=仙台育英)のご両親だ。
立教のユニフォームをまとう我が子の最後の勇姿を、見守っていた。

熊谷選手の父・英男さん。仙台育英高の保護者会長も務める

「いつも来ていますよ。今日は平日だけど、最後だから絶対に来ようと思いましてね」
物腰柔らかい印象なのは父・英男さんだ。
仙台市の実家で“熊谷商店”を経営し、毎週末は片道4時間かけて神宮球場へと車を走らせる。試合後は家族で食事するのが恒例だという。
すると、母・徳美さんは打席に入る熊谷に目をやりつつ「あの子って負けた日は機嫌悪いんですよ~。今とかは強がっていますけど私たちの前だと本当にわかりやすいです」。なるほど、プロ野球選手とて人の子か。家族にしか見せない顔もあるのだろう。
「小さい頃は泣き虫でした。中学の時なんて…あっ!!」
熊谷がタイミングよくバットを振り切り、快音を響かせた。歓声が起こるも、中堅手が打球をキャッチ。惜しいセンターライナーだった。

熊谷選手の母・徳美さん。試合前の校歌斉唱で早くも涙を流してしまった

昔から徳美さんが叱り役だ。
幼き熊谷少年に「努力の必要性」と、「自分に厳しく人に優しくあること」を説き続けた。
後は毎回息子と反省会をするのだが、反抗期には何度も喧嘩した。中学時代には思わずチームメートの前で叩いてしまったことも…。それでも時の流れというのは面白いもので、今では“伝説”として熊谷家鉄板の笑い話になっている。
「まさかあの子がねえ…」
目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

新たなる旅立ちを前に、思い出されるのは4年前の“あの日”だ。
仙台市の自宅、彼は普段のように「行ってくるわ」とだけ告げ、何事もないかのように立大へ旅立った。母は泣き、父は驚き目を丸くした。地元の大学に進学し、そばで成長を見届けたいというのが本音だったからだ。
「でも、家を出て生活したおかげで成長したのだと思います」(英男さん)。
熊谷は審判にペコリと頭を下げ挨拶し、守備位置のショートと駆け出していた。背には立教大学野球部主将の証「10」の数字が輝いている。軽快にゴロを処理し、「さあ行こう!」とチームメートに微笑む。

背番号「10」を背負う熊谷。卒業後は阪神に入団し、夢のプロ野球界へ挑む

「ほんとに、最高の親孝行ですよ」
2人は深く頷く。あの日仙台を飛び出した野球少年は、神宮の地で日本一の主将へと成長し、ついにはプロ野球選手になる夢を叶えた。我が子の頼もしくなった背中に、目を細める。嬉しいようで、どこか寂しくて、でもやっぱり嬉しい。

 

(12月18日 取材/編集・大宮慎次朗)

 

【編集後記】
本取材が、私にとっても現役最後の野球部取材でありました。スペースの都合上「立教スポーツ」220号に掲載することはできませんでしたが、球場、スタンドのあの情景を微力ながら何とか伝えたく、筆を取らせていただいた次第です。取材・広告協賛に、快くご協力いただいた英男さん・徳美さんに心より御礼申し上げます。