大迫傑(すぐる/ナイキ・オレゴン・プロジェクト)にとって、初マラソンだった今年4月のボストンマラソンに続き、2度目の挑戦となった12月3日の福岡国際マラソン。自身のマラソンのスタンスを語る大迫傑 30kmまでペースメーカーが作る5km15…

 大迫傑(すぐる/ナイキ・オレゴン・プロジェクト)にとって、初マラソンだった今年4月のボストンマラソンに続き、2度目の挑戦となった12月3日の福岡国際マラソン。



自身のマラソンのスタンスを語る大迫傑

 30kmまでペースメーカーが作る5km15分前後の走りについていった大迫は、そこから14分37にペースアップしたソンドレノールスタッド・モーエン(ノルウェー)とビダン・カロキ(DeNA/ケニア)には置いていかれたものの、35kmまでを14分55秒でカバーする。最後は2012年ロンドン五輪と13年世界選手権を連勝したスティーブン・キプロティチ(ウガンダ)にかわされたが、そのまま追いかけてカロキを抜き、2時間07分19秒の3位でゴールした。

 この記録は15年の今井正人(トヨタ九州)以来の7分台で、07年に佐藤敦之(中国電力)が出した2時間07分13秒に次ぐ日本歴代5位と、日本男子マラソンにとって久しぶりの好成績だった。さらに3000mと5000mの日本記録保持者で、1万mも27分38秒33というトラックの実績を持つ選手の記録としては、02年に2時間06分16秒の日本記録出した高岡寿成に次ぐものだ。その点でも周囲の期待を大きく膨らませる結果となった。

 近年は初マラソンでも2時間6分台や日本記録更新を公言する選手も多いなか、日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは、4月のボストンで大迫が2時間10分28秒で走ったことを受けて、「これで次の福岡できっちり2時間7~8分台を狙ってくれればいい。極めて冷静な取り組み姿勢だ」と評価していた。

 そんな大迫は自身のマラソンへのスタンスをこう話す。

「特に自分のキャパシティを超えないというか、常に謙虚にというか、冷静に自分の力量を見つめることが大事だと思います。周りが求めるままに高い希望を持つのも、何かちょっと違うのかなと。いずれはマラソンを走りたいとは思っていましたが、それが東京オリンピックだという風には考えてはいませんでした。自分ではトラックに関して今でもやれると思うし、メダルは正直どうかわからないけど入賞ラインまではいけると思っています」

 マラソンに取り組み始めたきっかけは、昨年出場したリオデジャネイロ五輪の結果だったという。

「1万mが17位で、5000mは予選落ちという結果に終わった段階で、『東京五輪はもしかしたらマラソンの方が向いているんじゃないかな』と思い始めて。それでどちらが向いているかを一度比較するために、翌年にマラソンを走った方がいいのではないかと、コーチと話をしました」

 そこで選んだのが今年4月のボストンマラソンだった。本格的なマラソン練習は2月5日の丸亀ハーフを1時間01分13秒で走ったあとからだったというが、実際には昨年末くらいから走る距離を伸ばしていたことで、意識せずに4~5カ月はマラソントレーニングができていたのではないかと分析する。

 マラソン練習を4月まで続ける一方で、大迫がトラックで3度目の世界選手権出場を目指していたのは確かだ。五輪後はトラックレースに出ておらず参加標準記録を突破していなかったため、6月の日本選手権の1万mできっちりと優勝して権利を得ると、7月13日のホクレン・ディスタンスチャレンジでは標準記録突破に挑戦した。

 気温25度で湿度は76%という厳しい条件でのレース。結果は、標準記録を突破できず世界選手権出場を逃した。だがその走りは、条件がよければ27分20秒くらいで走れる力を持っていると評価されるものだった。

「マラソンが終わってから、体にどんな変化が起きるかということもわかっていなかったので、1万mをあそこまで走れるとは思っていませんでした。ただ、マラソンが終わってからトラックを走るという面ではいいこともあったので、これからもうまく両立してやっていきたいと思います。トラックをやる時はマラソンのことを忘れてトラックをやるし、マラソンの時はトラックを忘れてマラソンをやるという風に、ちゃんと切り換えてやっています」

 元々スピードランナーとして注目されていた大迫。早大卒業後は日清食品グループに入ったが退社してプロランナーになり、大学時代にも練習したことがあるナイキ・オレゴン・プロジェクトに加わってアメリカに拠点を移した。

 マラソンの名ランナーだったアルベルト・サラザール氏が率い、5000mと1万mの世界タイトルを連取しているモハメド・ファラーや、ロンドン五輪の1万mで2位、リオ五輪でマラソン3位のゲーレン・ラップなど、トップ選手が所属するレベルの高いチームだ。自分のスピードを高めながら、それを活かす形でマラソンにつなげていきたいという思いがあったのかと思ったが、大迫はそういう考えではなかった。

「日本がダメだというようなネガティブな考えだったわけではなく、ただ目の前にすごくいいチームがあったから行っただけです。そこで自分のどこを伸ばすかというのもなく、とりあえず、そこへ行ってみれば何か変わるだろうという興味だったり、競技者として強くなれるのではないかという気持ちでした。

 よくフォームが変わったと言われるけど、そこでフォームを変えようともぜんぜん思わなかったし……。速くなっていったら自然にフォームも変わっていたという感じです」

 大迫は、トラックのスピード感覚をマラソンに活かそうという考えは持っていない。むしろ「僕自身そんなに走りの感覚というのは大事にしていない。例えば1万mで学生新を出した時の走りや、5000mを日本記録で走った時の感覚というのはその時、その瞬間のものでしかないので、僕はすべて忘れるものだと思っています。それにこだわるとか、それを活かしてマラソンをというより、1回それらすべてを忘れてスタートしているという意識です」と話す。

「僕は記憶力やよくないので、前のことを覚えていないんです」と言って笑う大迫は、過去を追うのではなく、レースはすべて新しい挑戦と考えているようだ。常に新鮮な気持ちでレースに臨んでいる。それが彼の強みなのだろう。

「だから、ボストンの時にどんな走りをしたかというのも、すぐに忘れるようにしていました。もちろん練習ではタイムを追うことも大事で、『このタイムでできたから』と自信になります。でも、レースになったら3分ペースには別にこだわらない。1kmごとのタイムも気にしないで勝負に徹するだけですね。

 今後出るマラソンに関しても、どういうレースに出たいというこだわりはありません。コーチと話して『東京五輪へ向けてアップダウンの多いボストンをもう一度走っておいた方がいい』となればそうするし、『暑いところを一回経験しておいた方がいい』となればそういうところを選ぶと思います」

 陸上競技の本質は、一緒に走る者の中で一番早くゴールすることを競い合うものである。大迫は、周囲が作り出すマラソンの固定概念にとらわれることなく、自然に距離を伸ばして、マラソンにたどり着いた。だから、毎回自然な意識でマラソンを走れているのだろう。

「ボストンも福岡も、30km過ぎからはひとりで走りましたが、そこでラップタイムを落とすことなく走れたので、その粘り強さは自分の強みだと思う」という彼のニュートラルな姿勢と考えが、彼の長所をより引き出している。

 今後もそのブレない信念を持って走る大迫に期待したい。