桶狭間の戦いに備える織田家の心境にも近いだろうか。2018年6月のロシアW杯に初出場するアイスランドは、大会史上最も人…

 桶狭間の戦いに備える織田家の心境にも近いだろうか。2018年6月のロシアW杯に初出場するアイスランドは、大会史上最も人口の少ない国(約33万人)だ。新たな歴史の舞台となるロシア大会ではグループDに入り、人の数では到底及ばないアルゼンチンやナイジェリアといった大国に挑む。



EURO2016でイングランドを撃破し、ベスト8に進出したアイスランド

 信長の率いた少数の精鋭たちが今川家の大軍を破ったように、奇襲は成功するのか。主将アーロン・グンナルソンのロングスローという飛び道具や、ギルフィ・シグルズソンの異才で相手守備陣に風穴を空け、守っては氷河のような厚い堅陣を築く。

 戦国時代に勇猛な武将たちを鼓舞した陣太鼓は、”バイキング・クラップ”に置き換えられようか。EURO2016(フランス)でフットボールファンの間に広まった、音も振りも大きな、統一された手拍子だ。この競技にマグマのような熱を捧げるバイキングの末裔(まつえい)たちは、腹の底から重低音を響かせ、目にも壮観な応援で進化した代表チームをサポートする。

「(EURO2016の)オーストリア戦後にファンと一緒にやることを決めた。その前の試合でも手拍子を聞いていたし、グループステージ突破をサポーターと共に祝うには最適なものだと思ったから。国、ファン、選手、スタッフ全員にとってスペシャルなものだ」

 キャプテンのグンナルソンは『FIFA.com』で今年1月に公開された『アイスランドの成功の秘密』というドキュメンタリー映像でそう語っている。EURO2016のラウンド16でイングランドを倒し、初出場で8強の壮挙を果たして帰国した後にも、大勢の国民と共に頭上で手を叩いた。



W杯ではグループDに入ったアイスランド

 一方、同代表を描いたドキュメンタリー映画『Inside a Volcano』は今年、ニューヨークで開かれたフットボール映画祭『kicking + screening』で最優秀賞の”金の笛”を受賞。同国史上初のメジャートーナメント、EURO2016本大会出場を決めるまでの彼らに密着した作品だ(機会があれば、フットボールファンにはぜひ観てほしい)。

 その冒頭に描かれていたように、アイスランドは2013年11月のプレーオフでクロアチアに敗れ、初のW杯出場を目前で逃している。2017年9月に現役から退いた、同国のレジェンドであるエイドゥル・グジョンセンは敗戦後のインタビューで涙に暮れた。

 しかし、アイスランドはもともと、W杯本大会出場など”夢のまた夢”と捉えられても仕方ないようなチームだった。前々回の南アフリカW杯が開催された2010年時点でのFIFAランキングは112位。現在でいえば、フェロー諸島、ジョージア、アゼルバイジャンなどと同等だ。予選で脇役の座を脱することはなかった。

 ところが、1990年代後半から国を挙げて取り組んできた長期的なプロジェクトが、10年余りの助走期間を経て実を結び始める。その間、北大西洋上に浮かぶ小さな島国はフットボールのインフラを整備した。

「長い冬の間、雪はそれほどでもないが、冷たい強風が屋外でのスポーツを困難にしていた」とヘイミル・ハルグリムソン監督が明かすように、それまでは初夏から秋口までしかプレーできなかったが、人工芝の屋内ピッチを多く作ったことで問題は解決された。しかも、国内リーグ1部のブレイザブリクUBKのユースヘッドコーチを務めるハコン・スベリソンが「性別、レベル、経験に関係なく、誰でもここを利用できる」と語るように、どんな人でもこれらの施設でボールを蹴ることができる。

 そして、彼らはUEFAライセンスを持った指導者からの手ほどきも受けられる。国内でコーチ免許を取得できるようになったことで、ユースチームの監督を務められるB級ライセンス保持者が急増。国民の約800人あたりに1人の指導者がいるという驚異的な割合だ。

「選手の育成では8〜12歳の指導が最も重要になる。我々はこの世代を教える人間が適切な指導法を学ぶことが大切だと考え、実行に移した」と、アイスランド協会のグラスルーツ(普及)・ディレクター、ダグル・ダグビャルトソンは話す。

 その恩恵を受けた最初の世代が、2011年のU-21欧州選手権に初出場したグンナルソンやシグルズソンたちだ。その戦いぶりを見た、元スウェーデン代表監督のラーシュ・ラーゲルベックは「興味深いチームだった。何より団結力が素晴らしかった」と感銘を受け、その年の10月から2016年7月までチームを指揮。現在69歳の指導者は豊かな経験をチームに授け、EURO2016でベスト8に進出するまでの成長を見届けた。

 2013年から、ラーゲルベックと共同でチームを率いていたハルグリムソンがEURO2016後に独り立ちし、クロアチア、ウクライナ、トルコと同組の欧州予選で最も実力が拮抗したグループIを首位通過。ついに世界の桧舞台への扉を開いた。

 アイスランドのプレースタイルは「堅守速攻」と表現できるものだが、昨夏のフランスでも見せたように、小気味いいパスワークや練度の高い連係も披露する。幼少期から適切な指導を受け、多くの選手が長い時間を共有してきたチームだ。そんな背景を知れば、高いパフォーマンスも驚きではない。

 社会的な不正が少なく、幸福度の高い、長期的なプランを得意とするアイスランド。学ぶことを尊び、生きる知恵とタフな心身を備える人々は、厳しい気候と地理的な条件を乗り越えて、W杯にたどり着いた。火山の多い島国という共通点を持つ日本も、この20年あまりの彼らの歩みから学ぶべきところはたくさんあるような気がする。

 半年後のロシアでアイスランドが強大な敵を打ち負かし、天下統一に迫るかどうか、そこまではわからない。ただし、我々日本サッカーの後学のためにも注目しておくべきチームだと、僕は思う。