青森から山口・下関まで、1521kmもの道のりを走る「本州縦断・青森~下関1521kmフットレース」。720時間という制限時間で開催され、競技期間は7ヶ月設けられています。この期間中、参加者は宿泊したり、いったん離れて再びその離脱点から走…

 青森から山口・下関まで、1521kmもの道のりを走る「本州縦断・青森~下関1521kmフットレース」。720時間という制限時間で開催され、競技期間は7ヶ月設けられています。この期間中、参加者は宿泊したり、いったん離れて再びその離脱点から走り始めたりすることも可能。そのため、一度に走り続ける距離やスケジュールは自由に設定できます。

 しかしそんな中、一度も離脱せずに、約20日間をかけて一気に走破した方がいます。それが、今回お話を伺った村場伸也さん。しかも完走タイムは歴代3位を記録しました。たとえウルトラマラソンを完走したことのある方ですら、想像さえできない1521kmという超ロングレース。なぜ、村場さんは一度も離脱しないという方法を選び、その道中どんな出来事があったのでしょうか。その物語をご覧いただきましょう。

マラソン経験はいきなりウルトラマラソンから

 大阪府出身、現在は高知県にお住まいの村場さん。小学校4年生から陸上競技をはじめ、20歳まで主に短距離選手として競技に取り組まれてきました。走ること自体は身近だった村場さんですが、短距離と長距離では求められるものが全く違います。私も学生時代には中距離、そして十種競技をメインにしていましたが、マラソンを始めた初期は“走りきる”ことすら苦労しました。そのため、きっと10kmやハーフマラソンから少しずつ距離を伸ばしてきたのだろう……そう思っていたのですが、実際はまったく違いました。なんとフルマラソンすら走らず、いきなり100kmに挑戦したと言うのです。

「地元で四万十川ウルトラマラソンという大会が開催されていたので、2007年に初めて出場しました。それが初めてのマラソン大会ですね。ほとんど練習していなかったので当たり前ですけど、現実は厳しく約57kmでリタイア。収容バスに揺られながら外を眺めていると、まだ走っているランナーの姿が羨ましく感じました。ゴールで泣いている方もいて、100km走った先に何があるのか、一気に興味が強まりましたね」

 以後、まずは毎日1.8km走ることを目指し、本格的にランニングを開始。2008年に県内のマラソン大会へ出場し、翌年再び『四万十川ウルトラマラソン』にチャレンジした村場さんは、13時間弱というタイムでゴールを果たしています。

「走り終えてみて、泣けるような感動というより悔しさがありました。例えばレース中、走り切れずに歩いてしまったことなど。とはいえ完走できたので、今度はもっと速く走れるようになろうと、“速さ”を目指すことにしたんです」

 それから5年間は“速さ”にフォーカスした練習に切り替えた村場さん。しかしそんな中、「山口100萩往還マラニック大会」という大会を知ったそうです。

「2011年に、『山口100萩往還マラニック大会』140kmの部へ出場したんですよ。私の想定では、過去の完走タイムを見て優勝できるんじゃないか?なんて思っていました。しかし結果は、ズタボロになりながら23時間かけてゴール。真夜中に見たランナーの姿は衝撃的でしたね。縁石を枕にして寝ていたり、あぜ道の芝生に寝ていたり。電柱にぶつかって謝っている人までいましたから。この経験を経て、今度はもっと遠くへ走れるようになりたいと思うようになったんです」

 140kmの完走でも十分に驚くべき距離ですが、この経験が村場さんを超長距離の世界へと引き込んだのでしょう。ついに、「本州縦断・青森~下関1521kmフットレース」を走破するまでの道のりが始まります。

「2012年に、萩往還の250kmに出場。47 時間56分ほどで完走しました。骨挫傷しており、次はもっと余裕を持って走ろうと思ったのですが、人気大会のため翌年はエントリーできず。仕方ないので2013年は萩往還ではなく、『川の道フットレース520km』に挑戦することにしました。制限時間は130時間。一番長く走った人が一番楽しんでいるのだという考えがあって、ゴールはブービーでしたね。それでも達成感がすごくて、今でも覚えていますよ。あとは高知県を横断したり、小江戸大江戸200kに出場したり……。そして2016年、『本州縦断・青森~下関1521kmフットレース』にエントリーしました」

 いよいよ走ることとなった「本州縦断・青森~下関1521kmフットレース」。しかし初めてエントリーした2016年は、肩を怪我してしまいDNSとなりました。そして2017年、改めて挑戦し完走。しかも村場さんは、何回かに分けて走り切っても良い本大会を、あえて離脱することなく“通し”で走ったのです。

なぜ“通し”での挑戦を選んだのか

 1521kmを通しで走り切る。私もこれまで数多くのウルトラマラソンを走ってきましたが、それでも想像すらできない世界です。果たして村場さんは、なぜ通しで走ろうと考えたのでしょうか。

「私の住んでいる高知県は、お世辞にもアクセス環境に恵まれた場所とは言えません。青森から山口の下関まで走るのに、何往復もするのではお金がもったいないじゃないですか。そこで、どうせなら一気に走り通してしまおうと思ったんですよ。もともとショートスリーパーで短時間睡眠は慣れていましたし、故障も多くありません。そして、ラスト100〜150kmはペースを上げられるので、これらが自分にとっての強みだと考えました。その強みを活かせるのが、荷物を全て背負い、止まらずに走るという方法だったんです」

 ご自身の中で、だいたい480時間(=20日間)あれば走れるという自信があったという村場さん。仕事は約20日休みを取り、通しでの出場を決めました。その裏には、いつでも休めるという環境をなくし、レースに緊張感を持たせるという意味合いもあったようです。

「レース前には夜の睡眠時間を少しずつ減らし、普段から3〜4時間睡眠で活動するようにしました。また、コンスタントに月500kmくらい走りましたね。通勤ランをメインにしながら、休みの日は50〜60km走る。たまにオーバーナイトでもトレーニングしました。レース中に背負ったバックパックは7〜8kg。雨対策やエイドキット、着替えなど、必要最低限のものだけです」

 考えうる限りの準備を行い、満を持して挑んだ「本州縦断・青森~下関1521kmフットレース」。結果、約467時間でゴールとなり、このタイムは歴代3位の記録です。

人との出会い、支えが繋いだレース走破

 1521kmという果てしないレース。きっと道中には、さまざまなトラブルがあったことでしょう。当時の出来事や走り終えての感想を、詳しく伺いました。

「レース中には左前脛が痛くなったり、寝袋で寝ていた際に熱が出たりしました。熱が出た際は市販薬で解熱したのですが、いつも薬を飲まないためか効きましたね。あと驚いたのが、走っている最中、いきなり大きなイノシシが出てきたんですよ。走り過ぎていきましたが、当たりそうになって危なかったですね。本当に焦りました。あとは福井県から京都府に入る際、路肩のない崖沿いを進んでいたらトレーラーとすれ違い、バックパックが引っかかるという事態も。トレーラーが気付いて大事には至りませんでしたが、あのときは私も寝不足と集中力の低下、またペースが落ちて焦っていたタイミングで、命の危険を感じましたよ。コースレコードを出せなかったことが悔しいものの、ゴール後は、もうこれで走らなくて良い……という安堵感が強かったです」

 走る場所は大きな道路沿いばかりとは限りませんし、オーバーナイトランでは転倒・衝突などの可能性が増します。また、何百時間にも及ぶランニングでは、当然ながら体調を維持することさえ難しいでしょう。村場さんも走り続ける中で、さまざまな危険に遭遇したようです。しかし、それでもゴールまでたどり着いた村場さん。その背景には、多くの人々との出会いと支えがあったと言います。

「いろんな方が応援に来てくれました。知らない方が私設エイドを出してくれたり、わざわざ金沢から応援に駆けつけてくれたり。千葉から新潟まで車で応援に来てくれる方や、広島から併走してくれた方もいたんですよ。本当にうれしかったですね。レース中、大きな支えになりました」

 そのほか、車から乗っていかないかと声を掛けられたり、飲食店でおかわりのご飯を無料にしてくれたり。「これでメシを食え」と言って、1000円札を手渡してきたトラックドライバーもいたそうです。人との触れ合いは、村場さんがレースを走破するうえで欠かせないものだったと言えるでしょう。

 なお、道中はさまざまな景色との出会いもあり、特に新潟から福井にかけては、本当に日本にいるのか疑いたくなるような光景が目に飛び込んできたそうです。また、日本海側の東北地方を訪れたのも初めてのこと。さまざまな意味で、「本州縦断・青森~下関1521kmフットレース」は忘れられない人生経験になったのではないでしょうか。その世界を体験してみたいという方は、ぜひレースへの参加を検討してみてください。

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[プロフィール]
村場伸也(むらば・しんや)
1971年生まれ、大阪府出身、高知県在住。小学4年生から社会人2年目までは、短距離(100m/幅跳び)選手として活躍する。その後、2007年よりランニングを始め、ウルトラマラソンを中心にさまざまな超長距離レースへ挑戦。2017年に「本州縦断・青森~下関1521kmフットレース」を走破。現在は高知県内のフィットネスジムでトレーナーとして活動中。

[筆者プロフィール]
三河賢文(みかわ・まさふみ)
“走る”フリーライターとして、スポーツ分野を中心とした取材・執筆・編集を実施。自身もマラソンやトライアスロン競技に取り組むほか、学生時代の競技経験を活かし、中学校の陸上部で技術指導も担う。またトレーニングサービス『WILD MOVE』を主宰し、子ども向けの運動教室、ランナー向けのパーソナルトレーニングなども行っている。3児の子持ち。ナレッジ・リンクス(株)代表。
【HP】http://www.run-writer.com

<Text&Photo:三河賢文>