歴史を知る者の言葉には、ずっしりとした重みがある。おそらく、そこには何の誇張もない。「長かった。長すぎて、このまま…
歴史を知る者の言葉には、ずっしりとした重みがある。おそらく、そこには何の誇張もない。
「長かった。長すぎて、このままタイトルを取れずに(現役を)辞めるんじゃないかと思った」
中村憲剛が中央大学を卒業し、川崎フロンターレに入ったのは2003年のこと。以来、川崎ひと筋でプレーし続け、15年目のシーズンにしてようやく手にした初タイトルは、J1最終節での劇的な逆転優勝だった。

ついにタイトルを手にしたフロンターレの中村憲剛
ピッチで、ベンチで、スタンドで、はじける歓喜を目に焼きつけた中村は、感慨深げに「この景色が見たかった。15年、この景色を探していた」と、何度も繰り返した。
「人の感情が爆発する瞬間ってスゴいんだなって。それだけみんなが悔しいパワーをためていたんだと思う。そのパワーたるや数字には換算できない」
待ちに待った初優勝にも、「まだ実感が湧かない」と口にする選手もいた。だが、中村は違う。37歳のチーム最年長は、顔をくしゃくしゃにして誰よりも無邪気に笑い、心底うれしそうに語った。
「やっぱ優勝はいいな。優勝は最高だな。優勝ってスゲーな。今、それを十分実感している」
中村が川崎に加入した14年前、川崎はJ2でもがいていた。J1優勝を頂上とするならば、当時の川崎はかすむ頂上を見上げながら、2、3合目を登っていたというところだろう。
中村自身にしても、有望な新人と期待されて入ってきたわけではない。大学時代も、年代別代表やユニバーシアード代表はおろか、関東選抜にすら選ばれたことがなかった。本人が「絶対にプロになる」と信じて荒海に飛び込む選択をしていなければ、確実に淘汰されていたはずの選手だった。
プロ2年目の2004年には、主力選手として活躍し、川崎のJ1昇格に貢献するのだが、それでも舞台はJ2である。彼の存在は”知る人ぞ知る”の域を出るものではなかった。
当時、J2でプレーしていた中村にとっては、J1に触れる唯一の機会だったのが天皇杯。鹿島アントラーズと対戦し、小笠原満男とプレーしたことをうれしそうに、それでいて少し悔しそうに話していたのが懐かしい。
1980年生まれで、しかも無名の存在だった中村にとって、1979年生まれ(1980年早生まれを含む)の小笠原ら”黄金世代”は年齢こそ近いものの、いわば雲の上の存在だった。中村はまばゆいばかりの光を放つ彼らに、少しずつでも近づけていることの手ごたえを感じていたのかもしれない。
ちなみに、2010年ワールドカップ南アフリカ大会前の鹿児島キャンプでは、練習試合で小笠原、遠藤保仁、稲本潤一と4人で中盤を形成したことがあった。無名の大学生が”ついに黄金世代に追いついた”瞬間である。日本代表出場記録にも残らない練習試合でしかなかったが、中村のキャリアにおいて、ある意味で特筆すべき試合だったかもしれない。
J2からプロのキャリアをスタートさせた中村も、14年目の昨季には、Jリーグの年間MVPに選出された。彼が川崎の顔であることは今さら言うまでもないが、ガンバ大阪の遠藤、鹿島の小笠原らと並び、すでにJリーグの顔と呼ぶべき存在にまでなっている。
ところが、中村と同様にMVP受賞経験を持つ遠藤や小笠原が、すでにいくつもの優勝を経験している一方で、中村だけはずっと無冠が続いていた。
J1だけでなく、ルヴァンカップや天皇杯も含め、手にするのは銀メダルばかり。チーム最年長のMFは、「自分が一番長くいて、これだけ(2位が)続くと、自分が原因なんじゃないかとも思った」と、悩める日々を振り返った。
だが、”シルバーコレクター”なるありがたくない称号も、裏を返せば、川崎がコンスタントに好成績を残した結果である。そして、それを残せたのは、川崎に中村という稀代のパサーがいたからだ。
話は成績だけにとどまらない。フロンターレというクラブが地元に愛され、ホームゲームでは2万人を超える観客数が珍しくなくなったのも、中村の存在抜きには語れないだろう。
J2からスタートし、J1の頂点を極めた川崎と、無名の大学生から、JリーグMVPまで上り詰めた中村。この15年間の両者の成長曲線は、きれいに重なる。川崎の歴史は中村の歴史であり、中村の歴史は川崎の歴史であると言っても大袈裟ではない。
実際、前身の富士通時代を除けば、川崎フロンターレとしてのクラブの歴史は21年。今年が15年目の中村は、そのほとんどを知ることになる。Jリーグ広しといえども、そんな選手は珍しい。
しかし、中村は自身を”生けるレジェンド”とあがめる向きを軽くいなすように、こう語る。
「僕なんかより、もっと長くフロンターレを応援してくれているサポーターもたくさんいるから」
無冠が長く続いたとはいえ、川崎は遅かれ早かれ、いずれJ1優勝を果たしたはずである。だが、川崎を支える多くのサポーターは、単なる優勝ではなく、「ケンゴと一緒に優勝」することを望んでいたのではないだろうか。
初優勝が中村とともに成し遂げられたことは、川崎の歴史において非常に重要な意味を持つ、価値ある出来事なのだと思う。