劇的な勝利で2年ぶりの日本一を達成したソフトバンクの選手たちは、歓喜に浸る間もなく、その数日後には2018年を見据…
劇的な勝利で2年ぶりの日本一を達成したソフトバンクの選手たちは、歓喜に浸る間もなく、その数日後には2018年を見据え、宮崎で秋季キャンプを行なっていた。一部ベテランや、アジアプロ野球チャンピオンシップの侍ジャパンに選ばれた選手を除いて、ほぼすべての選手が参加。ボールを握った練習こそ少ないが、各自テーマに沿ったトレーニングに汗を流していた。

今季46試合に登板し、ソフトバンク移籍後最多となる6勝をマークした五十嵐亮太
投手陣は施設内にある陸上競技場を使って、とにかく走っていた。千賀滉大や東浜巨といったシーズンを通して結果を出した投手たちも全員が同じメニューをこなしている。長距離、短距離、サーキットなど、見ているこちらがしんどくなるほど、ハードなメニューが組まれていた。そのなかでひと際、精力的に動いていたのが投手陣最年長の38歳、五十嵐亮太だ。
「もう完全に陸上部。めっちゃ走ってるよ。足が痛い……」
そう軽口を叩きながらも、黙々とメニューを消化していく。
「年内はボールを握らないので、完全に下半身。故障した箇所はもう平気だから、ひとつひとつ確認作業を行なっている段階。どこまでコンディションが戻っているか。それとも足りないのか。せっかくの機会なんで、細かい部分までしっかり確認しながらやっています」
上半身からは湯気が立ちのぼり、連日の強化運動で下半身はパンパン。「明日のオレが心配だ」と笑いながら球場をあとにする毎日だった。
2017年の五十嵐は決して順調ではなかった。左太ももの肉離れを起こし、夏場に約2カ月近く戦線を離脱した。復帰後も完調にはほど遠く、精彩を欠いた。チームは2年ぶりの日本一を果たしたが、五十嵐自身、決して満足のいくシーズンではなかった。
「優勝させてもらった。いい思いをさせてもらったというのが率直な感じ。一軍で投げさせてもらっているのに、こんなんじゃダメでしょ。結果も残せていないし、内容も満足できなかった。ウチにはいい投手がたくさんいるから、このままじゃね……」
五十嵐が秋季キャンプに参加したのは、シーズン4位に終わり全員参加となった2013年以来で、今回は自ら志願しての参加である。悲壮感がヒシヒシと伝わってくる。
このオフには2年契約が終了し、FA権再取得による自身の進路を選択できる状況もあった。しかし、五十嵐は迷うことなく残留を選んだ。
「今回のFAは自動更新だったから、言われているほど気にしなかった。というか、まったくといっていいかもね。自然の流れでホークスに残留するものだと思っていた。それよりも来年以降を考え、どうすればいい投球ができるか……そればかり考えている」
すでに”大ベテラン”と呼ばれる年齢にさしかかっている。ソフトバンクでは松坂大輔が戦力外になり、他球団の同世代の選手も厳しい現実を突きつけられている。自身の着地点(現役引退)が視野に入っていても不思議ではない。
「正直、この年齢だから、自分の将来のことが気にならないといったら嘘になる。現役生活の着地点がどこになるのか……そこは毎年、気になっているよ。もちろん、結果を残せなければ使ってもらえないわけだし。でも、まだまだ現役でやりたい気持ちが強いからね」
現役の投手として1年でも長くマウンドに上がる。そのために毎年、様々な挑戦を行なっている。2016年のオフには、メキシコのウインターリーグに参加した。
「まあ、いろいろとやってみたいことがあったから。僕自身、新しいことが好きというのもあるし。あとは精神的にリフレッシュするという意味合いもあった。(メキシコに行ったときは)シーズン終盤、あまり投げられなかったから、もう少し投げたいと思って……」
そのメキシコでは先発にも挑戦。登板した7試合のうち5試合が先発だった。
「正直、向こうの手違いなんだけど(笑)。『えっ、マジ? 先発?』って感じだった。だって、プロに入ってから先発なんてしたことなかったんだから。でも、意外と投げられた。新しい発見で、すごく面白かった」
新たな挑戦を楽しむ五十嵐だが、変わらないものもある。それが背番号への想いだ。
「53が大好き。ヤクルトで最初に着けたときは、周囲に『ゴミ(=53)』って言われるのが怖くて……それで必死になっていた部分もある。気がついたら、だんだん自分の番号になっていた。日本では(数の)小さい番号がいいって言われるけど、アメリカの投手って大きい番号も多いし、逆にカッコいいかなって……。映画『メジャーリーグ』の主人公の投手も”背番号99”だったでしょ」
そして、こう続けた。
「ヤクルト時代に”11”にしないかって言われたことがあったけど、断りました。当時、荒木大輔さんが引退されて、ヤクルトの”11”はエースナンバーで、伝説的な番号だった。すごく迷いました。でも、”53=五十嵐”にしたい気持ちが勝った。メジャーで”18”のときは、着け心地が悪くて。だからホークスでは迷うことなく”53”にしました」
ニューヨーク・メッツ時代、ダグアウトで雑談している際、五十嵐がボソッと口にした言葉が忘れられない。
「博多好きなんですよ。いいところだし、食事もおいしいし。久しぶりに行きたいなぁ」
憧れだったメジャー挑戦。しかし思うような結果が残せず、もがいている時期だった。この数年後、本当に博多のチームに入団するとは、想像もしなかっただろう。
20年におよぶプロ野球人生。東京、ニューヨーク、ラスベガス……そして福岡。巡り巡ってたどり着いた福岡の地。これは”偶然”ではなく、”運命”だったのかもしれない。大好きな福岡の地で、五十嵐は現役生活をまっとうするつもりだ。