「タフなレースでした」 レース後、大迫傑(すぐる/ナイキ・オレゴンプロジェクト)は開口一番、そう言った。 国内外から実力ある好選手が集まったレースは、途中で有力選手が脱落していくなか、大迫が粘りの走りを見せた。30km以降、勝負どころで…

「タフなレースでした」

 レース後、大迫傑(すぐる/ナイキ・オレゴンプロジェクト)は開口一番、そう言った。

 国内外から実力ある好選手が集まったレースは、途中で有力選手が脱落していくなか、大迫が粘りの走りを見せた。30km以降、勝負どころでペースが上がり、スティーブン・キプロティク(ウガンダ)との2位争いは熾烈を極めた。

 また、前日までは気温が8度前後とかなり冷え込んだが、この日は14度まで上がり、走っている選手にとって日差しは相当な暑さだった。しかし、それでも大迫の走りは最後まで崩れることはなかった。



日本歴代5位の2時間7分19秒で日本勢トップの3位となった大迫傑

 第71回福岡国際マラソンは、気温14.1度、湿度57%の中、スタートした。1km約3分のペース―メーカーがつき、すぐ20人ぐらいの大きな先頭集団が形成される。大迫はその集団の真ん中から後方についていた。

 レース中、大迫が唯一不安そうな表情を見せたのは、11.1km地点での給水だった。スペシャルドリンクを取り損ねたのだ。ボストンマラソンではそれぞれの給水で区切りをつけて走るようにして、それがうまくいった。今回もその練習をしてきたのだが、この1回だけミスをした。ただ、困ったような顔をしたのは一瞬だけで、以降もその影響などまったく感じさせず、ストライドの大きなフォームで跳ねるように快走が続いた。

 中間点を超えると大きな集団がバラけてきた。

 25km付近では大迫、深津卓也(旭化成)、佐藤悠基(日清食品)、竹ノ内佳樹(NTT西日本)の4人の日本人ランナーと5人の外国人ランナーの計9人が優勝争いに残った。さらに30kmまでの間に深津、佐藤が遅れ、トップ争いはソンドレノールスタッド・モーエン(ノルウェー)、ビダン・カロキ(DeNA・ケニア)、キプロティク、大迫と竹ノ内の5人に絞られた。

 早々に設楽啓太(日立物流)、川内優輝(埼玉県庁)、そして中間地点の前で神野大地(コニカミノルタ)、佐々木悟(旭化成)ら、日本人有力選手が次々と脱落していった。そういう状況でも、大迫は「自分のペースと走りに集中していた」という。

 レース中、ペースの上げ下げや位置取りなど他選手との駆け引きが行なわれるが、大迫はそうした外的な要因に影響されない。常に自分の体に問いかけ、自分の走りに集中し、マイペースを貫く。それが大迫のレースのやり方だ。

 29km地点で5人になった時も他選手を意識することはなく、「結果的に5人になったのか」と捉えていた。30kmを過ぎてペースメーカーが離れ、竹ノ内が遅れて4人の勝負になってからもマイペースは変わらない。ひたすら前を見て、自分の走りだけに集中していた。途中、モーエンとカロキが前に出て、3位の単独走になっても時計の針のように正確に自分のペースを刻み続けた。

 マラソンがまだ2回目にも関わらず、大迫がマイペースで大胆な走りを実現している背景には、これまでこなしてきた練習とレース結果への自信がある。

 今年4月、初マラソンとなるボストンマラソンで3位になった。その結果は前年10月から続けてきた練習と大会直前の練習が間違っていなかったことを証明した。

 その時は5週間程度、ボルダーの高地でトレーニングをこなし、心肺機能を高めた。メニューも通常は40km走を数本走るなどして距離に対する不安を解消したり、距離の感覚を養ったりするが、大迫は40km走にこだわることはしなかったという。

「自分は練習を点と点で考えているのではなく、流れのなかで、どう質の高いポイント練習をしていくかということを考えているので、特に40km走にこだわりはないです」

 今回、結果が出たボストン前とほぼ同じメニューをこなしてきた。

 また、ボストンではマラソンへの適性に自信を深めることもできた。走ることでマラソンは自分に向いているのか、向いていないのか、何となくわかる。大迫は走りの内容を含め、結果を出すことでマラソン向きであることが自覚できた。

 大迫はランナーのべースとして日本選手権1万mを2連覇、5000mの日本記録を保持するなど、日本のトラックでは他選手に負けないスピードと勝負強さを持っている。そのスピードを活かしたマラソンが大迫のスタイルだ。

 日本のマラソンは地道に距離を踏む練習をこなし、レースを積み重ねていくやり方が一般的だが、最近はトラックでスピードを強化し、そのスピードを長距離にうまく転化していくスタイルをとる選手や大学が増えている。アメリカのナイキ・オレゴンプロジェクトでトレーニングをしている大迫は、まさにその最先端におり、そのスタイルの成功例でもあるのだ。

 39km付近でトップ争いから落ちてきたカロキをとらえ、2位争いをキプロティクと演じた。ロンドン五輪マラソンの金メダリストに堂々たる勝負を挑み、3位になって平和台陸上競技場のトラックに飛び込んできた。大勢のファンが大きな歓声と拍手を送る。そして、トップのモーエンから遅れること1分31秒後、フィニッシュラインを切った。

 タイムは2時間7分19秒──。

 自己ベストを3分以上更新し、日本歴代5位となる記録。東京五輪代表を決めるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場の権利を獲得し、国内では圧倒的な強さを見せつけた。

「今日は100%、自分の力を出せたと思います。(3位だったのは)1番、2番の選手が僕の100%を超えていただけなので、これから”自分の100%”をトレーニングでさらに広げたいなと思います」

「マラソンは個人競技」という考えに基づき、そこに他人と争うという概念はなく、常に自分との戦いに勝つという大迫の哲学がある。

 ナイキ・オレゴンプロジェクトのピート・ジュリアンコーチは、その哲学を支持している。レース後、大勢のファンにサインや写真対応をする大迫を見て、ピートコーチは笑顔で、こう言った。

「今日は天候に恵まれ、気温もいいなか、いい仕事をした。この結果はリスペクトできるものだ。でも、彼はまだ若く、伸びしろがある。まだまだ成長するよ」

 ボストン3位、福岡国際3位と続けば、次はてっぺんへの期待が膨らむ。大迫は東京五輪までは、1シーズンごとにひとつのレースに挑んでいくという。そうして、信頼するコーチの傍らで”100%の枠”をさらに広げていく。

 その先にメダルが見えてくる。