35歳は様々な意味合いを持つ年齢だ。社会人として見れば責任のある仕事を任される『働き盛り』。一方で、『アラフォー』の世代の仲間入りをする年齢でもある。肉体的、外見的な衰えを感じ始めている世の中の35歳も多いはずだ。スポーツの世界では多くの競技で『大ベテラン』と呼ばれる年齢だ。経験に裏打ちされた技を持つ『いぶし銀』という枕詞とセットで表現されることも多い。

アメリカンフットボールの世界には、いぶし銀どころか、ギラギラとした向上心と闘争心を発散している35歳トリオがいる。12月18日に東京ドームで行われる第31回アメリカンフットボール日本社会人選手権ジャパンエックスボウル進出を懸けて11月26日のセミファイナルに臨む、オービックシーガルズのWR木下典明、LB坂田仁志、LB中西庸輔の3人だ。

40ヤード走4秒4のスピードを武器に立命館大学時代からトップレシーバーとして活躍。4年時の2003年には学生年間最優秀選手チャック・ミルズ杯を受賞した木下は、卒業後、NFL入りを目指しNFLヨーロッパリーグ(※)でプレー。2007年にはNFLアトランタ・ファルコンズとフリーエージェント契約を交わしてサマーキャンプに参加した実績を持つ。開幕ロースターに残ることはできなかったが、『NFLに最も近づいた日本人』であり、現在もリーグを代表するトップ選手として活躍する存在だ。

「本当は『若手の手本になります』とか言わなければいけないのでしょうが、正直に言えば絶対に誰にも負けたくないと思っています。自分自身、まだ伸びることができるという感触もあります」と、木下は選手として未だ成長過程だと強調する。

坂田と中西は同じポジションで先発を争うライバルでもある。「(若い選手に)負けたくないし、負けてはいけない。何歳だろうが頑張れば必ず結果は残せる。だから、やれることは徹底的にやりきろうと思っています」

大手広告代理店に勤務する坂田は、練習がある土日はもちろん、平日もトレーニングや対戦相手の研究、戦術の勉強など、日々できることを探して少しでも多くフットボールに時間を割くことを心がけている。「35歳の『おっさん』が若い選手を本気で抜かしてやると思ってプレーしています。僕の中では45歳ぐらいまで成長するためのプランがある。現役である以上自分のプレーでチームを勝たせられる選手でありたい。そして、チームに貢献できたと胸を張って言える活躍をして日本一を勝ち取りたい」

学生時代RBとしてトップクラスの実績を残しながら、オービック入団と同時にまったく経験のなかったLBに転向して5年目の中西は、ローテーション出場の現状に甘んじる気は毛頭ないと言い切る。

自分に満足することなく常に戦い続ける三人

まるでルーキーのように、『もっと成長したい』という欲求を、飾ることなく言葉にする3人は不思議な縁で繋がっている。

木下と坂田は豊中市立第11中学校の同級生だ。5歳の時から少年クラブチームでフットボールに取り組んでいた木下は、学校ではフットボールに役立てるために陸上競技部に所属していた。バスケットボール部の坂田とは、他の友達も交えて一緒に遊ぶ間柄だった。

木下と中西の出会いは大阪産業大学附属高校アメリカンフットボール部だった。中西が入部したのは高校1年の秋だった。中学時代からいわゆる不良少年だった中西は、高校入学後もフラフラとしていた。ある日、問題ばかり起こす自分に対し、父親が「情けない」と、涙を流す姿を見て、「このままではいけない」と思い、エネルギーを発散する場所を求めた。フットボールだった。

入部初日、防具の着け方も分からなかった中西だが、今まで接してきた仲間とはまったく違う雰囲気のチームメイトたちに、話しかけることができなかった。どうしたらよいものか困っている中西の様子に気づき、防具の着け方を教えてくれたのが木下だった。

「坊主頭のチームメイトの中にロン毛の自分が一人でしたから、周りも僕に話しかけづらい雰囲気があったと思います。でも(木下)ノリは普通に話しかけて防具の着け方を教えてくれました。ノリは覚えていないかもしれません。ノリにとって、相手が誰であろうと困っている人がいれば助ける、誰とでも公平に接するというのは当たり前のことですから」と、中西。実際、木下はこのことを覚えていなかった。

以来、中西と木下は仲良くなった。馴れ合いではない、悪い所があれば遠慮なく指摘しあえる本当の仲間になった。

木下はWR/QB/SFとして、中西はCB/RBとして活躍し、2、3年時には全国大会連覇を経験した。

「自分にとって高校でフットボールに出会ったことは間違いなく人生の転機になりました。自分の考え方のすべては、高校の時にフットボールで教えてもらったことです」と、中西は言う。

木下は立命館大へ進学。中西は1年遅れて関西大に進学した。その頃、坂田は受験勉強に勤しんでいた。

「高校の頃は頑張ったことが一つもなかった」と、言う坂田は、小路高校でバスケットボール部に入部したものの、途中で辞めてしまった。勉強もまったくしなかった。そんな坂田が一念発起して大学進学を目指したのは、戦争孤児で中学校しか卒業できなかった父が「息子ができたら大学に進学させたい」という夢を持っていたことを知ったことがきっかけだった。当初は頑張ればすぐに進学できるだろうと思っていたが、関西大学に入学するまで3年かかった。

「要領が悪いので時間がかかりました」と、坂田は苦笑する。しかし、諦めずにやりきればかならず結果は残るという体験をすることができた。そして、回り道をした分、自分のやりたいことに打ち込む大切さを明確に認識することができた。

坂田が大学で打ち込むものとして選んだのがフットボールだった。大学入学時、木下に「フットボールに興味がある」と電話をした。木下はすぐに関西大の中西に電話をした。中西から坂田に電話が入ったのは、坂田が木下に話をしてから僅か5分程だったという。

中西は4年時に関西大の主将を務めた。そして、2学年下の坂田は、その2年後に主将となった。坂田は大学時代、中西に対し敬語で会話していた。しかし、中西が卒業まで2年余分に要したため、卒業時は同期になっていた。

二人は別々の大手広告代理店に就職した。広告業界の同期の懇親会があったこともあり、社会人になった当初は毎週末飲み歩いていたという。二人共、フットボールは続けたいという気持ちはあったが、仕事が忙し過ぎるため、真剣にはできないと考えていた。実際、中西は卒業してすぐにオービックに一度参加したが、続けられないと本登録を前に辞めていた。坂田は2部リーグのチームに所属していたが、真剣には取り組んでいなかった。

いつものように飲み歩いたある週末、酔って坂田の家に泊まった中西は、部屋にあったフットボールを持ち出し、河川敷で坂田とキャッチボールをしながら、人生について語り合った。

「俺たちはフットボールから人生を学んできた。だから、フットボールを切り離しちゃいけないんじゃないか」

今ならまだ間に合うと、坂田は「真剣にやるなら一番楽しそうだ」という理由で2009年にオービックに入団。中西は春に一度入団を辞退している負い目もあり、関西のアサヒ飲料でプレーすることを決めた。

大学卒業後、NFL選手になることを目指していた木下が、日本のフィールドに戻ってきたのが2011年。そして、中西がアサヒ飲料から移籍してきたのが2013年。3人が揃った年に、オービックは前人未到の日本選手権ライスボウル4連覇を達成した。しかし、これ以降はあと一步の所で日本一の座に辿りつけずにいる。過去3年、オービックの前に立ちはだかり続けたのは、富士通フロンティアーズだった。2014年、2015年はセミファイナルで、昨2016年はジャパンエックスボウルで富士通に敗れてシーズンを終えた。

11月26日、富士通スタジアム川崎で行われるセミファイナル。4年ぶりの王座奪還を目指すオービックの前に立ちはだかるのは、またしても富士通だ。今季は10月29日、台風の中で行われたレギュラーシーズン最終節で対戦している両雄だが、その時は同点延長タイブレークの末、10対13で敗れている。

木下、坂田、中西の3人にとって、フットボールは自らの人生そのものだ。彼らにとってフィールドは、全人格を懸けた戦いの場である。

『35歳トリオ』は、富士通に雪辱し、ジャパンエックスボウル進出を勝ち取る覚悟を決めている。

今シーズンの大一番を前に勝利を誓う三人

取材・文=上村弘文(月刊ハドルマガジン)
(※2007年を最後に活動休止)