第1回WBC 福留孝介が放った劇的アーチの舞台裏(後編) 福留孝介がスタメンを外れていた第1回ワールド・ベースボール・ク…
第1回WBC 福留孝介が放った劇的アーチの舞台裏(後編)
福留孝介がスタメンを外れていた第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)準決勝の韓国戦。先発の上原浩治が圧巻のピッチングを見せる。絶対に負けられない大舞台で、上原は韓国を相手に抜群のキレとコントロールを披露してストライクを先行させた。
一方の打線は、あと一本が出ない。再三、得点圏にランナーを置きながら得点に結びつけることができず、試合は0対0のまま、終盤に突入する。
第1回WBC準決勝の韓国戦で値千金の代打2ラン本塁打を放った福留孝介
photo by AFLO
【宮本慎也が感じた成長】
サンディエゴの冷え込みが厳しくなってきた7回表、日本の攻撃は4番の松中信彦から。韓国の左腕、全炳斗(チョン・ビョンドゥ)の内角球に松中のバットが反応する。打球はライト線に弾んでフェンスの前で落ちた。松中は二塁へ頭から突っ込んで、両腕で抱え込んだベースを左の拳で殴りつけた。
ノーアウト二塁で、5番の多村仁(2009年に仁志に変更)。ここで韓国はサイドハンドの金炳賢(キム・ビョンヒョン)をマウンドに送る。多村はバントの構えを見せるものの、決めることができない。バントを失敗して追い込まれたあと、外のボール球に手を出して、三振。松中を三塁に送れなかった。つづく6番は今江敏晃。しかし、ここで王監督がベンチを出る。代打、福留──この時の心境を福留は当時、こう話している。
「もう、フォームがどうのとか、調子がどうのとか、そういうことは関係ないくらいガムシャラな気持ちっていうんですか。そういう気持ちに加えて、フォームがやっと合い出した、練習で打っていくうちに少しずついい感じになってきていた、という手応えもあったんです......」
ベンチにいた宮本慎也は、この時、福留の成長を感じていたのだという。
「孝介とはアテネ五輪でも一緒にやってますし、PLの後輩でもありますから、結果は出ていなくてもチームのためにプレーしていることを僕は感じていました。たとえばワンアウト二塁の場面で、何とか右方向にゴロを打とうという気持ちが出ていましたし、ヒットは打てていなくても孝介はチームのためにやろうとしている。
たまたま結果が出ていなかっただけで、方向性としては間違ってないと思っていました。一生懸命、一、二塁間にゴロを打とうとしていた姿を見ていましたから、ベンチでも慰めるでもなく、気にするなとも言っていません。とくに何も言わなくても大丈夫だと思ってました。アイツ、マイペースでわがままに見えますけど(笑)、本当にチームのこと考えてプレーするヤツなんですよ」
【決勝へ導く値千金の代打2ラン】
セカンドベースに立っていた松中もまた、福留の変化を感じていた。
「孝介はものすごく苦しんだと思います。あれだけ結果が出なくて、準決勝ではスタメンを外されて......それでも気持ちを切らずに、ずっと何とかしたろうと考えていたと思います。彼も成長をしてるんですよ。僕は孝介が日本生命にいた社会人時代、アトランタ五輪で一緒に戦いましたが、あの時の孝介はチームのためというより、プロに行きたい自分のためにプレーする選手でした。もし孝介があの時と同じ気持ちのままだったら、あの場面、絶対に打ててないでしょうね。きっとベンチでふて腐れて、『なんでオレを外すんだ』って感覚であの打席を迎えていたと思います(笑)。
でも、あの日の孝介はベンチで声も出てましたし、前のめりでした。代打を言われてネクストバッターズサークルでバットを振る姿からも雰囲気を感じたんです。気持ちが切れていれば、わかります。ああ、もう切れてるなって......でも、そういう雰囲気は孝介の素振りからはまったく感じられませんでした」
打席に立つ福留、一方の韓国ベンチは左腕の具台晟(ク・デソン)というカードを切らず、左には強くないサイドハンドの金炳賢を続投させる。
初球、インサイドにボール。アウトコースを要求していたキャッチャーの構えとは逆だ。
2球目、今度はキャッチャーの構えたアウトローに決まる。ベースの上は通っていないが、国際試合ではストライクになるアウトローのボールに、球審の右手が上がった。これでワンストライク、ワンボール。
3球目、キャッチャーは再び外に構える。ところが金炳賢のストレートがやや内側に流れる。ほぼ真ん中低めに入ってきたボールを、福留のしなるバットが完璧に捉えた──打球が舞い上がる。
その弾道は、飛び出しが低く、途中から風に乗ってグーンと伸びていった。日本で何度も見慣れた、福留ならではの弾道だ。
福留は拳を握りしめ、叫んだ。
打球はライトスタンドへ突き刺さり、先制の2点を日本にもたらす値千金の代打2ランホームランとなった。ホームインする福留を、松中が頭を叩いて祝福する。絶叫する小笠原道大が、里崎智也が殊勲の福留と手を合わせ、ベテランの谷繁元信が、宮本が、そしてイチローが次々に福留と歓喜のハイタッチを交わした。
「ああいう場面に使ってもらえたことで、意気込んでいきました。自分にもチームにも勢いをつけたかったので、何とかしたかった。人生でこんなにうれしいホームランはなかったですね」
【一度は代表入りを辞退】
準決勝は日本が6対0で韓国に勝った。そして日本は決勝へ進むことになった。
思えば、その日から遡ること約1カ月前の2006年2月20日。松井秀喜の代役として30人目の日本代表に選ばれた福留は、WBCに向けた合宿に合流するため、福岡にやってきた。
その夜、福留は狭いながらも居心地のいい店で焼酎を呑みながら、黒豚のしゃぶしゃぶを堪能していた。代表入りを断って、チームのキャンプでフォーム改造に専念する手もあったはずだ。しかし福留は日の丸を背負うことを選んだ。
「フォームを変えることはちっとも怖くないですよ。もっとよくなると信じて変えるわけですからね。少しでもムダな動きをなくせばそれだけブレも少なくなるし、確実にボールを捉えられるはずなんです。だから最初はWBCへの出場を断りました。
キャンプでフォームをしっかり自分のものにしたかったし、代表にはイチローさんがいて、松井秀喜さんがいたら、僕は試合に出られませんからね。でも松井さんが辞退することになって、一度は断った僕に王監督はもう一度、声をかけて下さった。もちろん、うれしかったですよ。よし、やるぞって気になりましたね」
ただ、変えたフォームはそう簡単に固まるものではない。各球団の主力級が揃った日本代表では、十分な練習時間の確保もままならない。思うように打ち込めないなか、ベンチやグラウンドでバットも持たずにフォームを確認しようとしている福留の仕草を何度も目撃した。
だからWBCでも最初は結果が出なかったのだ。そんな不振をたったの一打席で帳消しにしたのだから、彼が勝負強いと言われるのも頷ける。大仕事をやってのけた福留はこう言って、不敵に笑った。
「悔しさとうれしさを両方味わって、またあらためて野球のおもしろさを教えてもらった気がしますね」