甲子園のヒーロー、太田幸司氏は4年目に立場を確立“元祖甲子園アイドル右腕”太田幸司氏(野球評論家)は近鉄入りして4年目の…

甲子園のヒーロー、太田幸司氏は4年目に立場を確立

“元祖甲子園アイドル右腕”太田幸司氏(野球評論家)は近鉄入りして4年目の1973年シーズンに初めて規定投球回に到達した。40登板(28先発)、192回を投げて6勝14敗、防御率3.23。スライダー、シュートを軸にした新しい投球スタイルを確立させ、チームが最下位に沈んだ中での“奮投”でもあった。オールスターゲームには4年連続で出場したが、この年はファン投票ではなく、監督推薦で選出されたことも思い出深いという。

 プロ4年目の太田氏は開幕4戦目の4月18日の太平洋戦(平和台)に先発した。この年の近鉄は開幕からエース・鈴木啓示投手、前年10勝の佐々木宏一郎投手、前年19勝の清俊彦投手の順に先発。そんな実績ある先輩投手たちに続く“第4の男”としてのマウンドだった。人気先行の起用ではなく、2年目のオフから投球フォームをスリークオーター気味にするなど取り組んできたことが、実を結んでの抜擢。敗戦投手にはなったものの、7回1失点の好投も見せた。

「あの頃の先発投手は週に2回放っていた。今みたいに6人も7人もローテーションピッチャーはいない。4人くらいで回すから若いピッチャーなんかはよっぽど日程が迫っているか、調子が悪いローテーションピッチャーが出て来ない限り(先発に)入る隙間がなかったんです。そういった意味では(開幕)4戦目に投げさせてもらったというのは、結構、期待されているな、みたいには思いましたね。自分もピッチングに自信を持ち始めていた頃だったんでね」

 当時のパ・リーグは前期、後期の2シーズン制(1973年から1982年まで)。この年の近鉄はいずれも最下位に低迷し、後期終盤には岩本堯監督が休養する事態にもなった。「あの年はチーム状態が悪くてね。僕は6勝14敗かな。防御率は3点ちょっとくらいだったけど(打線が)なかなか点を取れなくてねぇ。内容的にはもうちょっと勝ってもいいかなという感じのシーズンでしたね。でも、どんどん投げさせてもらったんで勝ち星以上に自信がつきましたね」。

 実際、投げまくった。中3日登板が当たり前の時代。中1日でリリーフして、連投で先発というケースもあった。「あの頃は『ちょっと肩が重いんですけど』とピッチングコーチに言っても『重い? 何グラムあるか、量ってこい』とか言われたりね。『ここで実績を作ってローテーションにガチっと入らないといけないから、今頑張れ』ってよく尻を叩かれましたよ」。不思議なことに体もそれに慣れていったそうだ。

入団4年目は初の監督推薦で球宴選出「一人前になったな」

「たまに雨で先発がスライドになったりとか(登板)間隔が空くと逆に嫌でしたよ。それこそ(日程上)1週間近く空くと、肩は軽いんだけどなんかね……。みんなそうだったんじゃないですかねぇ。当時の人が今の時代にタイムスリップして(中6日などで)投げたら、うまくいかないんじゃないかなぁ。本当か、って思われるでしょうけど、中3日くらいで少し肩に張りが残っているくらいがちょうどいいくらいでしたよ」

 勝ち星にはなかなか恵まれなかった4年目の太田氏だが、5月23日のロッテ戦(宮城)ではプロ初完封勝利でシーズン2勝目を挙げた。「仙台の球場は(三沢)高校時代に東北大会で唯一負けた試合があったところ。そこで完封したんですよね。あの日はダブルヘッダー第1試合で鈴木さんが完封勝利。それも(12-0の)大量点で勝った。そういう試合の後ってやられるパターンだから嫌だなと思っていたんですけど、あれって感じで完封できたんですよ」。

 この試合も、もちろん中3日での先発。「とにかく投げさせてもらえるのがうれしくてね」と振り返ったが、この年、さらにうれしかったのが球宴に監督推薦で選出されたことだったという。超人気者の右腕はプロ入り以来、3年連続ファン投票で選出されていたが、この年のパ・リーグ投手部門1位は巨人から南海に移籍して前半だけで14勝、最終的には20勝をマークした山内新一投手だった。

 太田氏の前半成績は4勝6敗だったが「(全パの)監督が阪急の西本(幸雄)さん。僕、結構、阪急戦に強かったんですよ。大体6回くらいまでは抑えてね。今だったらセットアッパーとか抑えがいるけど、あの頃の先発は打たれるまでいくから、最後はつかまって負けたりしたけど、内容を見てくれたのかなと思う」と話す。「ファン投票をどうこうじゃなく、ファンにはとても感謝していますけど、監督推薦で選ばれて、ようやく何か一人前になったなって。それ、すごく覚えていますね」と笑みもこぼした。

 その球宴では第1戦(7月21日、神宮)に5番手で投げて1/3回を3失点と結果を残せなかったものの、その場にいたことを誇りに思って、後半戦も腕を振り続けた。6勝14敗と大きく負け越しても、確実に成長している自身を感じ取った。人気も相変わらずで、どこへいっても黄色い声援を受けたが、そこに実力がプラスされていった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)