1990年代に東大のエースとして活躍した自民党の衆院議員・神田潤一氏(55)が26日、スポーツ報知のインタビューに応じ…

 1990年代に東大のエースとして活躍した自民党の衆院議員・神田潤一氏(55)が26日、スポーツ報知のインタビューに応じ、留年してまでも箱根駅伝出場を目指した思い出を語り、今年の第102回箱根駅伝で関東学生連合の7区で区間4位相当と好走した秋吉拓真(東大4年)ら後輩にエールを送った。学生時代に激走した経験を糧に、政治家の道を歩んでいる。(取材・構成=竹内 達朗)

 1993年10月、第70回箱根駅伝予選会。東大のエースだった神田氏は、強い思いを持って挑んだ。

 「本来は、その年の春に卒業するはずでした。でも、どうしても箱根を走りたかったので留年しました。その年は記念大会で出場枠が5校多く、チャンスがあると思ったからです」

 当時の予選会出場枠は通常大会が6校、記念大会が11校。10年前の第60回記念大会で東大は予選会を7位で通過し、初の本戦出場を果たした。第63回大会(86年度)から日本テレビで中継が始まり、箱根人気が急上昇。強化を始める私大が増加した。結局、東大は17位で敗れた。

 「やはり悔しかった。東大のチーム力は上がっていましたけど、それ以上に他校が強くなっていました」

 当時の予選会は20キロ。神田氏は1時間4分4秒で個人68位と力走した。予選会敗退校の選手で編成される関東学連選抜(現関東学生連合)が初めて編成されたのは神田氏が卒業してから9年後の第79回大会。もし、当時、関東学生連合があったとすれば5番手で選出される個人順位だった。

 「私の学生時代にも連合チームがあれば良かったな、と思うこともありますけど、東大の仲間たちと箱根を目指したことに意義があり、後悔はありません」

 第70回大会ではもう一つのドラマがあった。2学年下の弟・大(ゆたか)さん(53)が所属する慶大は予選会を10位で通過し、本戦出場を果たした(現時点で慶大の最後の出場)。大さんは1区を担った。新春の大手町で、神田氏は弟の付き添い係を務めた。大さんが最初の交差点を左折して姿を消した後、神田氏は「あいつ、いいな…」とつぶやき、涙を流した。

 「弟が夢をかなえたことはうれしかった。私の分も走ってくれたと思います」

 東大はチームとしては予選会で敗退が続いているが、個人としては関東学生連合で出場する選手が継続的に現れている。特に今年の箱根駅伝では7区で秋吉が区間4位相当と好走した。

 「秋吉君は学生トップレベル。実業団(MABP)でも期待しています。将来、秋吉君のような選手が同時に何人も在籍して東大が箱根に出場できる日が来ることを願っています」

 箱根路を駆けることはできなかったが、当時、秋に開催されていた東日本縦断駅伝(青東駅伝)に青森代表として7回も出場した。

 「青森県のタスキを受け取ると、思いがけない力が湧きました」

 故郷を思って力走した経験は今、政治家として生かされている。

 「東大卒業後、日本銀行に入ったのは日本全体のために働きたいと思ったからです。日本全体が良くなれば青森県も良くなります。政治家を志したのは、もっと、その思いを実現したいためです。地元の八戸市はスポーツが盛んです。レスリングの伊調千春さん、馨さん姉妹は八戸市出身ですし、サッカーのヴァンラーレ八戸は今年からJ2に昇格しました。地元を後押ししたいと思っています」

 ◆神田 潤一(かんだ・じゅんいち)1970年9月27日、青森・八戸市生まれ。55歳。八戸高3年時に1500メートルで全国高校総体8位入賞。89年、東大に現役合格。東日本縦断駅伝(通称・青東駅伝)には青森代表として高校時代を含めて7回出場し、東大4年時に54区で区間賞。94年に東大経済学部を卒業し、日本銀行に入行。日本生命出向、金融庁出向などを経て、21年10月の衆院選に青森2区から出馬し、初当選。24年10月に2選、今年2月に3選を果たした。

 ◆東大陸上部 正式名称は「陸上運動部」。1887年創部。1920年アントワープ五輪に山岡慎一さんが100メートル、200メートルに出場。箱根駅伝には84年の第60回記念大会に一度だけ出場した(17位)。関東学生連合(前身の関東学連選抜含む)としては近藤秀一さん、秋吉拓真らが出場。東大大学院では熊本大出身の古川大晃さん、東大出身の本多健亮が出場。昨年の予選会は東大大学院が34位、東大が36位(出場42校)。練習拠点は東京・駒場キャンパス。全天候型400メートルトラックなどを備える。