【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】 既報のように、3月3日(火)をもって、国枝栄調教師、小西一男調教師、土田稔調教…
【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】
既報のように、3月3日(火)をもって、国枝栄調教師、小西一男調教師、土田稔調教師、根本康広調教師、南田美知雄調教師(以上美浦)、佐々木晶三調教師、西園正都調教師(同栗東)が、2月28日(土)をもって、藤岡佑介騎手と和田竜二騎手(同栗東)が引退する。
つまり、上記7人の調教師と2人の騎手にとって、今週末の開催が現役最後の競馬となる。
寂しいが、7人の調教師の定年はルールだから受け入れるしかない。そして、2人の騎手の引退は調教師への転身なのだから、第二のホースマン人生も応援したい。
今年度限りで引退する調教師のなかで、私がもっとも頻繁に取材する機会を得たのは国枝調教師だった。
国枝調教師は、東京農工大学でコビさんこと小桧山悟元調教師の後輩だった。コビさんより6年早い1989年に調教師免許を取得して、「コビさんも早く調教師にならなきゃダメだよ」と説得し、試験勉強のための資料を貸した。それでコビさんも試験勉強を始めたのだという。
つまり、国枝調教師がいなければ、コビさんは調教師になっていなかったか、開業のタイミングが遅れるかして、コビさんが管理したスマイルジャックを私が追いかける日々もなかったかもしれない。そして、コビさんの厩舎にいた青木孝文調教師も、小手川準調教師も、堀内岳志調教師も調教師になっていなかったか、他の厩舎の出身者として厩舎を構えることになっていたかもしれない。
国枝調教師をひと言で言うと、とにかく話の面白い人だ。
管理馬にシャドーロールをつけるのは、「レース中に自分が見つけやすくするため」と公言していた。それに対し、いわゆる「マジレス」のような感じで、私がシャドーロールを装着することによってストライドが大きくなるなどの利点について質問すると、国枝調教師は「まあ、それもあるけどね」と苦笑して話題を変えた。その苦笑の裏には「当たり前じゃん」という言葉があったのだと思う。
「netkeiba」の取材で、アパパネについて話を聞いたこともあった。これはおそらく間違っていないはずだが、あのとき、先に取材していて厩舎から出てきた知人のターフライターの口ぶりや、私と編集者を見たときの国枝調教師の驚き方などから、国枝調教師は私たちのアポを忘れていたのだと思う。そのぶん、いつも以上に丁寧に、予定の時間を過ぎてもじっくりと面白い話を聞かせてくれた。
やはり、と言うべきか、管理馬のなかでは、アーモンドアイに関してインタビューする機会が多くなった。今でこそアーモンドアイは歴代の牡の名馬と肩を並べるか、それ以上の存在と認識されているが、3歳春の時点では、「同世代の牝馬のなかでは強い」というくらいの見方が一般的だった。が、国枝調教師の口から出てきたアーモンドアイについて語る言葉には、何頭もの牡の名馬の名があった。直線で何度も手前を替えることに関してはイスラボニータ、掛かりながらオークスを完勝したことに関しては、同じく掛かりながら菊花賞を圧勝したディープインパクトなど。早くから、牝馬の枠を超越したスケールの馬だと感じていたからこそだろう。
牝馬の話をしながら牡の名馬を引き合いに出すなど、誰もが認める伯楽でありながら、普通の競馬ファンと同じような感覚も持ち合わせていた。
コビさんと同じように読書家で、馬がどのように感じ、考え、学ぶのかを脳科学に基づいて論考した『馬のこころ』(パンローリング)も、馬事文化賞受賞作となると、すぐに読んでいた。馬には前頭前野がないがゆえの事象のとらえ方や反応のし方について、調教師であり、獣医師でもあるがゆえに納得できる部分も多々あったようだ。
また、和田章郎さんが2023年に上梓した『やってみたらええやん パラ馬術に挑んだ二人』(三賢社)も厩舎の大仲にあった。私が「宮路(満英)さんの本ですね、僕も読みました」と言うと、「あの人はすごいね」と、次の予定が入っているのに、少しの間、「宮路さん談義」になった。
国枝調教師はまた、1980年代からつづく「東西格差」を是正しなくてはならない、と強く訴えつづけたことでも知られている。が、いわゆる活動家のように関係のない場所であっても大声で自説を主張するのではなく、取材の終わり際などに、いつもの調子で、軽い笑みを浮かべながら「輸送面で関東馬に不利な小倉でやるんなら、美浦の北馬場でも競馬をやればいいんだよ」などと言うのだった。
また、私が検量室前で取材していたとき、自分がうっかり白いシャツを着ていることに気づいて「やばい」と思ったことがあった。若いころ、同じように白いシャツで取材をしていて、知らない厩務員に「馬が白い服を怖がるから来るな」と怒られたことを思い出したのだ。が、今回は、すぐ近くに白っぽいジャケット姿の国枝調教師がいて、いつものようにほかの関係者と談笑していた。一方的に助けられたようで、ほっとしたのを覚えている。
国枝先生、長い間お疲れさまでした。楽しい話をたくさん聞かせてくださり、本当にありがとうございました。
書きはじめたときは、何度か話を聞いた佐々木晶三調教師と根本康広調教師についても書くつもりだったのだが、長くなってしまったので、この場で謝意を伝えるにとどめたい。ありがとうございました。