広島、阪神で通算119勝をマークし、現在はデイリースポーツ評論家を務める安仁屋宗八氏が、現役時代の記憶を振り返ります。…

 広島、阪神で通算119勝をマークし、現在はデイリースポーツ評論家を務める安仁屋宗八氏が、現役時代の記憶を振り返ります。今では想像もつかない昭和ならではの破天荒なエピソードを語り尽くします。

  ◇  ◇

 阿南準郎さんは背筋がピンと伸びていて姿勢がよく、背広の似合うジェントルマンだったから、みんな憧れたね。スタイルがいいし、何と言っても歌がうまかった。得意なのは演歌だったね。

 囲碁や将棋も心得ていて、とても強かった。碁を打つ人はチーム内で藤井弘さんぐらいだったから、名古屋遠征のたびに定宿旅館のダンナから「一局、どう?」と誘われていた。有段者じゃなかったかな。

 そして達筆。とにかく雰囲気からして教養の塊のような人だった。

 “阿南さんを優勝させる会”のメンバーで、漫画家の富永一朗先生(同じ佐伯鶴城高出身)が「この子は頭がよかったからなあ」とよく話してましたよ。大分の小学校で教えていたときに分かったんでしょうね。先生になれるぐらいの資質があると。

 まあ器用な人でね。ゴルフをやっても、だいたい80前後でまとめる。大振りせず確実に攻めるタイプ。何事もきっちりするという性格がプレーに出ていたね。

 選手時代の印象も堅実なプレーヤーという感じで、ほとんどエラーをしなかった。試合前は必ず「俺のところへ打たせろ」と言うから、そこへ打たせると、きっちりアウトにしてくれる。ショート、セカンド、サード…内野ならどこでも守れるオールラウンドプレーヤーでしたよ。

 カープで監督をしていたのは1986年から88年まで。その3年間の成績は常にAクラスで、勝率は球団の歴代監督2位(・555)というのだから素晴らしいじゃないですか。山本浩二と衣笠(祥雄)が相次いで引退するというチームの過渡期にありながら、この数字ですよ。

 当時は古葉(竹識)さんのあとを受けて監督に就任したんだが、浩二や衣笠という次世代の人にバトンを渡すまでの“つなぎ役”と割り切っていたんじゃないかな。元来が人に指図するようなタイプではなかったから、やむなく引き受けたような感じだったね。

 86年は古葉さんのあとに指揮を執って、変な形で終わりたくないという思いがあったんでしょう。夏場に巨人に5ゲームぐらい離されながら、終盤の逆転で優勝しましたから。

 あのときは「最後まで絶対に諦めずにいこうぜ」とみんなが声を掛け合っていた。その気持ちが通じたんだと思うね。

 阿南さんは投手起用に関して、すべて投手コーチの僕に任せてくれていた。ローテーションを決めるのも投手交代のタイミングも。その点でいうと古葉さんに似ていた。ただ足は出さなかったけどね。

 古葉さんは足で蹴り上げてましたから。ベンチの見えないところで。顔色も変わるし(笑い)。そういうところは似ていなかったね。ほとんど怒らない人だったから。

 監督を退任したあとは球団の要職に就かれた。阿南さんにとっては最高の人生なんじゃないのかな。ユニホームを31年間着続け、脱いでも球団に在籍して野球に携わることができたわけですよ。

 自分の一生を野球に捧げる。これが理想。今も幸せだとは思っているけど、僕もこういう形で一生を終えたいね。阿南さんのようにね。

 ◇阿南 準郎(あなん・じゅんろう)1937年9月2日生まれ。大分県出身。佐伯鶴城高から56年に広島入団。堅実な内野守備で活躍し、近鉄でもプレーした。70年の引退後は近鉄コーチを経て広島の指導陣に。監督就任の86年にセ・リーグ優勝に導くなど3年間は全てAクラスだった。退任後は球団本部長などを務めた。通算成績は1415試合出場で打率・218、34本塁打、254打点。監督通算は203勝163敗24分け。2024年7月30日に死去。

 ◇安仁屋 宗八(あにや・そうはち)1944年8月17日生まれ。沖縄県出身。沖縄高(現沖縄尚学)のエースで62年夏に甲子園出場。琉球煙草を経て64年広島に入団。75年阪神に移籍し、同年に最優秀防御率とカムバック賞を受賞。80年に広島へ復帰し、81年引退。実働18年、通算655試合登板、119勝124敗22セーブ。引退後は広島の投手コーチ、2軍監督などを歴任。2013年12月から広島カープOB会長。22年から名誉会長。