【北京五輪から続く強化の課題】 前回の北京五輪は金1、銀3、銅1の計5個のメダルを獲得し、4位以下の入賞(8位まで)は8…

【北京五輪から続く強化の課題】

 前回の北京五輪は金1、銀3、銅1の計5個のメダルを獲得し、4位以下の入賞(8位まで)は8だった日本のスピードスケート。今回のミラノ・コルティナ五輪も前回と同じ数を目標に掲げていたが、結果は銅3個のほか、入賞は4と、目標を大きく下回る結果に終わった。



実力と結果でチームを牽引した髙木美帆photo by Asami Enomoto/JMPA

 ただ、北京五輪の5個のメダルも、そのうち4個は髙木美帆(TOKIOインカラミ)の個人種目3個と、彼女が牽引する女子チームパシュートで得たもの。あと1個が男子500mの森重航(オカモト)で、完全に髙木頼りだった。

 この状況について、日本スケート連盟の湯田淳スピードスケート強化部長はこう語る。

「北京五輪のあと、世代交代が起きていないと指摘されたのはよく覚えています。私は強化部長として、2014年から2018年の平昌五輪を経て、北京五輪まで8年かけて強いチームを作り上げてきましたが、その状況を(北京以降)どう持続させるかには悩みました。

 選手が年齢を重ねていくなかで、新たな選手を送り込まなければいけない。でも、年齢を重ねた選手も力があって、そこを新たな選手が追い越せないという"狭間"に、この数年間はあったと感じています。北京のあとは一度強化部長を退き、2年間は育成という立場で現場を見ていましたが、世代交代が起こらず、ナショナルチームの勢いがなくなるのも感じていました。

 ミラノ五輪の2年前に再び強化部長に復帰して、そこから短期間で世代交代を劇的に起こすのは難しいので、今戦える選手の可能性と確率をどう上げていくのか、この2年間注力してきたつもりです」

 そして、湯田強化部長はこう厳しい言葉を続けた。

「髙木の個人2種目のほかにパシュートはなんとか銅メダルを獲得しましたが、髙木以外の日本人選手は力を出せませんでした。年齢も当然あるし、転換点にあるのは間違いない。今後どういう体制にしていくのか、(その答えは)今の延長線上にはないと思います」

【オリンピックでの現場対応は正解だった?】

 オリンピックの現場で練習や試合を見ていて気になったのは、今季のW杯500mの第1戦で3位に入り、第7戦では優勝して一躍メダル候補に浮上していた吉田雪乃(寿広)の様子だった。代表の担当コーチはいるものの、ほかのメンバーたちと比べて少し孤立しているように見えたことだ。

 その理由のひとつとして吉田の場合は、昨季の結果から今季の特別強化指定選手を逃していたことが挙げられる。

 湯田部長は「特別強化選手になっていれば、パーソナルコーチの帯同も受け入れられましたが、それはできませんでした。2014年ソチ五輪後に設定した国際水準に達していることが、特別強化選手の条件になるため、その基準を緩めたらチームは一気に弱体化してしまいます。彼女に対しても基準を下げて甘い世界を見せるのではなく、自分でつかみ取るんだという厳しい世界を感じ取ってまた高みに登って欲しいと思っていました」と説明する。

 吉田を指導する及川佑コーチはミラノでの状況をこう振り返る。

「ホテルを用意してもらい、陸上トレーニングや食事などは吉田とともに行動できたのですが、試合以外でリンクに入れなかったので、氷上練習は連盟から映像をもらい、トレーナーを含めて体の状況や滑りで気になることを次の日にやるという状態でした。その結果、僕自身がリンクの特徴を把握しきれませんでした。

『(リンクの)下が空洞で今までに聞いたことのない音がする』と聞いて、どういうことだろうと思っていたのですが、本番でリンクに入って音を聞いて『あ、なるほどな』と思ったり......。(いつもの)練習では一緒に滑るので、僕自身の感覚や氷のフィット感などを伝えながらやっていますが、それができなかったのはちょっと大きいかなとは思います」

 吉田は最初の1000mでは「ガチガチになって自分の持ち味をひとつも出せなかった」と16位に終わり、500mも「大丈夫だと自分をだますような気持ちで滑りましたが、体がついてこなかった」と13位に終わった。

 それを見れば基準厳守も重要ではあるが、数少ないメダル候補で初出場だっただけに、もう少し配慮があってもよかったとも思える。

【改める強化の方向性】

 4位以下の入賞は、春先に頬を骨折した新濱立也(高崎健康福祉大職)の男子500m6位と、女子1000mの山田梨央(直富商事)が初五輪ながらの7位、男子チームパシュートがW杯総合8位で権利を得て出場し、本番でも8位。そして髙木の1500mの6位の4つだった。髙木がいなくなった場合を考えると不安が大きくなる。

 その状況を打開する道を、湯田部長はこう話す。

「同じことをやっているだけなら、(世界に)追いつかないと思います。平昌五輪の成功(メダル6個、4位以下入賞9)はインパクトが強いですが、あれはオランダ流のトレーニング導入の成果で、フィジカル重視でメンタリティを強くするという、日本が不足していた部分を補いながら力をつけてきました。

 でも、北京あたりではそれも頭打ち状態になっていて、男子はフィジカルをやりきった感があって、それでも世界に届かないというところがありました。

 打破する道を、僕は『動き』だと思っています。技術的な部分を付加しないと追いつけない。オランダでは『動き』を徹底してやっていますし、しかも日本の特徴だった低重心のフォームを意識しているそうです。日本もそういうところの見直しと、ショートトラックとの融合で新たな日本らしさを作っていく必要があると思います」

 日本のスピードスケートが復活するために必要な条件は、湯田部長も話したように新たな強化スタイルを明確にし、それをナショナルチームが中心になって徹底的に実践していくこと。ほかにはナショナルチームが、再び求心力を取り戻す必要もあるだろう。

 選手として2006年トリノ五輪で4位入賞をしている及川コーチは、今回の五輪でこんなことを感じていた。

「毎回、オリンピックで感じるのは、会場が新しいリンクや仮設リンクになるなかでも、オランダチーム(今回はメダル13個)は、滑りなどを確実にフィットさせてくること。『どうやってるのかな』と思って見ています。

 選手が体を一生懸命作って心も準備していても、スケートが滑らないと勝てるものも勝てなくなってしまう。今回もジョーダン・ストルツ(アメリカ)のように突き抜けている選手はやはり強かったですが、ほかの北米選手は高速リンクで滑ることが多いためか、ヨーロッパの低地リンクに手こずって個人種目は結果が伴わない選手が多かったです。今回は、アジア開催だった北京と平昌の短距離で、いい結果を出したアジア勢も振るわなかったので、そういう部分でも対策が必要かなと思います」

 ナショナルチームとしての強化方針確立と、本番へ向けての対策を改善していくこと。このふたつがこれからの日本のスピードスケートには必要になってくる。