胸郭出口症候群が奪った日常 病気と向き合いながらグラウンドに立ち続ける男がいる。ロッテの高部瑛斗外野手は、沖縄での春季キ…
胸郭出口症候群が奪った日常
病気と向き合いながらグラウンドに立ち続ける男がいる。ロッテの高部瑛斗外野手は、沖縄での春季キャンプで軽快な足取りを見せていた。プロ入り後、幾度も故障を乗り越えてきたが、突如襲った胸郭出口症候群が野球人生を脅かした。先の見えない日々の中で、再起への道を照らしたのが、1人のチームトレーナーとの出会いだった。
2019年ドラフト3位でロッテに入団。プロ1年目から1軍の舞台を経験したものの、思うような結果が残せず、2年間の出場は計38試合にとどまった。試行錯誤を重ねながら2軍で経験を積み、転機が訪れたのは2022年だった。137試合に出場し148安打で打率.274をマーク。44盗塁でタイトルも獲得するなどキャリアハイの成績を残し、レギュラーの座を掴みかけていた。
その矢先だった。「腕にしびれが出て、握力は10キロ前後まで落ちました。腕をあげた瞬間に血の気が引いて、指先の感覚もなくなりました」と打ち明けた。診断は「胸郭出口症候群」。翌2023年は1軍に上がることなくシーズンを終えた。
「もう野球はできないと思うぐらい、ボールが投げられなかった。終わったなと思いながらも、最後の望みで手術をしました。それでなんとか今もプレーできていますけど、いつ弊害が起きて野球ができなくなるかわからない。覚悟を持ちながら、ずっとやっています」と振り返るほどの深刻な状態だった。
どん底に沈んだ日々を支えたのが、当時チームトレーナーを務めていた伊藤憲生氏の存在だった。毎日のように寄り添い、復帰への道筋をともに模索。現在はドジャースで活動する同氏の支えが、高部の再起を後押しした。
志願した背番号「0」
症状は消えることはない。今でも腕には力が入りづらいという。それでも「ゼロにはならないけど、付き合いながらやっていくしかない」と受け止め、前を向く。胸郭出口症候群を乗り越え、すでに1軍の舞台にも戻っている。
昨季までチームに在籍していた荻野貴司外野手が退団。オフには同じ外野手として尊敬していたレジェンドの背番号「0」の継承を志願した。「僕の方からお願いしました」。プレーにかける自身の思いを伝えたという。
返ってきたのは温かい言葉だった。「お前が付けてくれるなら一番嬉しい。瑛斗がやりたいようにやってくれたらいい。自分の背番号にしてほしい」。背中を押され、覚悟は固まった。
引退の2文字がよぎり、ボールを握ることすらできなかった日々があった。それでも僅かな可能性を信じて手術に挑み、不安を抱えながらも再びグラウンドへ戻ってきた。万全とはいえない体で戦い続ける覚悟。入団時から着けて愛着のあった「38」から「0」に生まれ変わった28歳。逆境を知る男が新たなシーズンに挑む。(岡部直樹 / Naoki Okabe)