◆報知プレミアムボクシング ▽後楽園ホールのヒーローたち 第30回後編 木村悠 日本ライトフライ級王座を3度防衛した木村…

◆報知プレミアムボクシング ▽後楽園ホールのヒーローたち 第30回後編 木村悠

 日本ライトフライ級王座を3度防衛した木村悠は、世界タイトル挑戦に備え日本タイトルを返上した。念願の舞台は2015年11月、仙台でWBC世界同級王者ペドロ・ゲバラ(メキシコ)に挑んだ。ゲバラは14年12月(東京)に八重樫東(大橋、元世界3階級制覇王者)と王座決定戦を行い、7回KO勝ちでチャンピオンになった実力者。海外のオッズは1―11という掛け率で、木村の圧倒的不利を予想していた。確かに序盤は劣勢だったが、必死に追い上げ、2―1の判定で世界のベルトを手にした。

 4ラウンド終了時の公開採点は、2人のジャッジが37―39の2ポイント差、残りの1人は36―40とフルマークでゲバラを支持した。8回終了時も、76―76、73―79、75―77の0―2。しかし、だ。会場に採点のアナウンスが流れても、木村は焦らなかった。ボディーを中心に相手のスタミナを削る作戦に変え、カウンターを打ち込み挽回していった。打たれても「カッ」とならず、感情をコントロールしながら王者と対峙(たいじ)した。これも社会人生活の中で自然と身についたものだった。仕事先で腹立たしいことは頻繁にあった。が、効率的に物事を進めるためには感情を押し殺し、冷静に笑顔を絶やさず、次の行動に移した。

 プロ6戦目で初黒星を喫し、どん底だった頃、「社会生活の中に強くなるヒントがある」とサラリーマン生活から答えを見つけようと、専門商社に正社員として入社した。人間力を高めることが、ボクシングの強さにもつながると、他者とは異なる思考法で、次へのステップを切り開いた。

 会社では納期を管理する職務に就き、スケジュールを立て実行した。同じく、ボクシングでも、ジムワークの時間に間に合うためには、担当する仕事を何時までに終わらせればいいかと、逆算してスケジュールを管理した。この逆算の方式は、減量に大きな効果を発揮した。ライトフライ級(48・9キロ以下)の木村は、試合1か月半前から約8キロのウェートを落とし、計量に臨んでいた。「減量をスタートして試合までの1か月前、3週間前、2週間前…と目標ウェートを決め、細かく管理します。計画通りにいかないこともありますが、そこは仕事同様に修正します。会社でのスケジュール管理と同じで、漠然と減量していた時期とでは、格段に減量がスムーズになり、ここでも社会人としての経験が役立ちました。サラリーマンをやってなかったら世界チャンピオンにはなっていなかった」と言い切る。

 木村がボクシングを始めたのは中学2年の時だ。腕っ節に自信があったからと言いたいところだが、それとは正反対。サッカー部の主将をしていた時だ。真面目に練習しない部員たちに、「一生懸命練習しよう」と声をかけると、一部の不満を抱いた部員が、小柄な木村に拳を振り上げてきた。「みんなの前で”ぼこぼこ”にされました。抵抗もできずにひたすら”ぼこぼこ”にされた」。苦い思い出がきっかけとなり、「強くなりたい」と自宅近くのジムに通い始めた。グローブをはめ、トレーナーの持つミットめがけて打つパンチの感触に、口では言い表せない高揚感を覚えた。すぐにボクシングへの転向を決め、高校は名門・習志野高に進む。1年後輩には高校6冠を達成し、後に同門となる粟生隆寛(元世界2階級制覇王者)がいた。法大では1年時に全日本選手権を制覇。大学4年を迎え、就職かプロかと悩んだ。「木村はアウトボクシングだからプロには向かない」という声も多くある中、「自分の好きなことをやりなさい」と当時、千葉県がんセンターで外科医をしていた父がプロ入りへの背中を押してくれた。

 世界王座獲得から約3か月後の初防衛戦。ガニガン・ロペス(メキシコ)に0―2の判定で敗れ、王座から陥落。すべてやりきったという思いは強く、次の日に引退の意思をジム側に伝えた。第二の人生は「ReStart」という会社をたちあげ、執筆、講演、イベント運営、経営者の健康サポート事業など自身の経験を生かした活動で、社会とのつながりを持っている。元世界チャンピオンが引退後にジムをオープンする例は多い中、木村にその考えはなかったという。

 「ジムをオープンしようとは思わなかった。強くなるヒントを社会生活に求めたのは、人と違うやり方をしたかったからというのもある。自分にはサラリーマン経験があるので、その経験を最大限にいかすことを考えた。引退したアスリートの次の生き方みたいなものを作っていけたらという気持ちがある。アスリートのセカンドキャリアって、その選手の知名度による違いもあって、全員がうまくいくとは限らない。将来的にはアスリートのセカンドキャリアの支援にもチャレンジしたい」

 就職支援、社会人教育、起業サポート…。「アスリートはエネルギーがあるので、社会で活躍できる人材が多くいると思う。気合と根性はありますから」と志のある目で笑った。

(近藤 英一)=敬称略、おわり

 ◆木村 悠(きむら・ゆう) 1983年11月23日、千葉市生まれ。中学2年でボクシングを始め、習志野高で国体準優勝。法大1年で全日本選手権ライトフライ級優勝。2006年10月にプロデビュー。14年2月に日本ライトフライ級王座、15年11月にペドロ・ゲバラ(メキシコ)を破りWBC世界ライトフライ級王座を獲得。翌年3月の初防衛戦で敗れ引退。プロ戦績は18勝(3KO)3敗1分け。身長162センチの右ボクサーファイター。