【五輪の魔物を倒す呪文はあるか】 2018年平昌、2022年北京と2度の五輪に出場し、団体を含め3個のメダルを獲っている…
【五輪の魔物を倒す呪文はあるか】
2018年平昌、2022年北京と2度の五輪に出場し、団体を含め3個のメダルを獲っている宇野昌磨がミラノ・コルティナ五輪開催中、SNSで発信して大いに話題になったという。
「オリンピックには魔物がいるとよく言われるので人々はそろそろゾルトラークを覚えるべきだと思う」
ゾルトラークとは、人気漫画『葬送のフリーレン』に出てくる魔法で、もとは魔族が人間に対抗するためにつくったが、魔法使いが魔族を倒すための攻撃呪文に昇華させた。
たしかに、五輪では何ひとつ保証にならない。世界王者イリア・マリニンのように4回転を全種類跳べて、クワッド(4回転)アクセルを引っ提げても、「自分でも制御できなかった」と信じられない失敗でメダルを逃すこともある。団体でショートプログラムとフリーを滑って心身の消耗が大きかったのは事実だが、他にも団体に出場した選手はいて、ここまで崩れるのは論理的ではない。

優勝候補筆頭だったイリア・マリニン(アメリカ)は総合8位に終わった
photo by Sunao Noto / JMPA
魔法のひとつもほしくなる。では、スケーターはゾルトラークを覚えるべきか? 本当のところ、宇野は似た呪文を習得していたのかもしれない。
宇野が現役を引退後、アイスショー『Ice Brave』に向けてのインタビューでいみじくも語っていたことがあった。
「競技者の試合でも表現者の舞台でも、チケットを買ってもらってフィギュアスケートを見てもらうわけですけど......それまでのプロセスが大事だと僕は思っていて。『練習でうまくできたとしても試合でできなかったら意味がない』って意見もよく聞きますけど、僕はそう思わない。練習の過程は雰囲気ににじみ出ると思っている。たとえば、試合という極限状態で笑みがこぼれるって、練習ができてない人はできないですよね?」
現役時代の宇野は「練習以上のことを試合ではできない」と割りきっていた。じつはしばしばできないこともやってのけたのだが、本人の信条が大事である。本人が初めから「試合ならできる」と甘えていたら、絶対にできない。「甘さ」は魔物の好物だ。
おそらく、フィギュアスケーターは膨大な練習量で向き合うしかない。それに耐えられる心身があるか。スケートが好きか。それを問われる日々を生きて、それが日常だと思えたら魔物を倒せないまでも攻撃を防げる、かもしれない。
【身を捧げた者たちがつむぐ物語】
たとえば、高橋大輔はアジア人男子初の五輪メダルを勝ち獲って世界王者にもなっているが、「至宝」と言われたステップは類い稀なるセンスだけでなく、練習量で身につけたものだった。その向上心があったからこそ、アイスダンスに転向してもわずか3年で全日本王者、世界トップ10に迫って、絶大な人気を誇ったのだ。
現役引退後、高橋が座長になったアイスショー『滑走屋』では、プロスケーターだけでなく現役選手たちも参加しているが、「大ちゃん(高橋)は、ずっとリンクにいて、スケート靴を一回も脱がないほど」という声が聞かれた。それだけの練習を積むことができる高橋だからこそ、4年ぶりにシングルで現役復帰した時も全日本選手権2位になれたのだ。
2024年の『滑走屋』に参加した三宅咲綺は、その後に出場した全日本選手権で自己最高位を記録し、こう振り返っていた。
「『滑走屋』に出演させてもらい、氷の上で(一日)16時間も過ごしました。そんな経験はなかったので、そこまでしないと人前で滑れないという大輔さんのプロ根性を見せてもらって。本当に『滑走屋』に出られてよかったです」
同じく青木祐奈も『滑走屋』の出演で殻を破った。GPシリーズで初めて表彰台に乗って、今年1月の四大陸選手権では優勝した。
文字どおり、スケートで結果を残すには、その身を捧げるしかないのだろう。
今回の五輪で銅メダルを獲った中井亜美は、中学で越境留学していた。つまり小学校を卒業する時点で、何かを捨て、何かを得るという"契約"をしていたことになる。彼女はメダルを獲ったあと、「自分の夢を信じきることができました」と語っていたが、それは夢を実現する覚悟を持った人生でなし得たものだ。
もちろん、練習だけでは十分ではない。選手は試合で試される。氷上で歓喜も悔しさも経験しなければ弱くなるのだ。
たとえば今回の五輪の中立選手でロシア国籍のアデリア・ペトロシャンは潜在力の高さを見せたが、実戦で鍛えられていなかった。ウクライナ侵攻により国際大会を経験できず、GPシリーズなどを転戦してきた選手と比べると見劣りした。勝とうが負けようが、戦い続けてきた者のほうが鍛えられているのだ。
しかしメダルを獲った者が必ずしも勇者というわけではない。逆説的だが、勝者よりも敗者のほうが強い印象を残すこともある。"敗れざる"境地にいる選手の姿は、掛け値なしに共感を呼ぶのだろう。必死に戦い、悔しさに身を焦がし、立ち上がろうとする姿は人の心を動かし、語り継がれるべき物語だ。
宇野も高橋も、メダルを獲ったから愛されたわけではない。彼らはフィギュアスケートに身を捧げ、勝っても負けても、気持ちを揺さぶる物語を構築できた。それはゾルトラークに匹敵する魔法だったのである。