今でこそ、日本はアジアのサッカーをリードする存在だ。だが、かつては香港がアジアの強豪の地位を占めていた。蹴球放浪家・後…

 今でこそ、日本はアジアのサッカーをリードする存在だ。だが、かつては香港がアジアの強豪の地位を占めていた。蹴球放浪家・後藤健生は、サッカー界の少林寺の異名を取る強豪チームの本拠地にも足を運んだ。

■ニックネームは少林寺

 サッカーの香港リーグでも、初期の頃はイギリス人チームが常に優勝を飾っていましたが、1920年代後半からは「南華」足球隊が覇権を握るようになっていきます。

「南華」は1904年に創設された香港サッカー界の名門。現在はバスケットボールやバレーボールをはじめ各種スポーツや文化活動を行う「南華体育会」という総合スポーツクラブになっています。

 1917年に東京で行われた極東選手権に参加した、当時の日本で最強の東京高等師範学校サッカー部は初戦で中国と対戦して0対5で敗れました。これが、日本で最初の国際試合だったのですが、このとき、日本が対戦したのは中国を代表して参加した香港の南華体育会の足球隊でした(当時は、選抜チームではなく、各国の予選を勝ち抜いた単独チームが参加していた)。

「南華」は20世紀末までは香港最強の地位を保っており、アジアクラブ選手権やアジア・カップウィナーズ選手権で読売サッカークラブ(現、東京ヴェルディ)やジュビロ磐田などと対戦したこともあります。現在は、なかなか優勝には手が届かないようですが、やはり香港リーグの1部に所属して戦っています。

 とにかく、「南華」は20世紀前半にはアジア最強クラブのひとつでした。

 そして、その「南華」足球隊に入ることを「入山」と表現したのです。少林寺に武術の修行に行くのと同じような感覚でした。実際、「少林寺」は「南華」のニックネームでもあったのです。

■修行者の入山を待つ坂道

「山」と言われたのは、実際に「南華体育会」の本部が銅鑼湾(コーズウェイ)地区のカロライン(加路連)ヒルという丘の上にあったからでもあります。

 香港島というのは花崗岩質の島で平地がほとんどありません。だからこそ、香港島と九龍半島の間の海は水深が深く、大型船が航行することができたので英国人が目を付けて貿易の拠点にしたのです。日本でも、横浜とか神戸、長崎など古くからの港町は、どこも坂だらけですよね。

 実際、「南華」体育会を訪れるためには銅鑼湾まで地下鉄か二階建て電車で行って、そこから坂道を上がっていかなくてはなりません。それほどの急坂ではないのですが、坂道だらけなので道がくねくねと曲がっていて、ついつい道を間違いそうになります。

 そして、丘の上に出ると「南華体育会」の大きなビルが見えてきます。ビルの裏側は人工芝のサッカー場になっています。

 実は、「南華体育会」は香港スタジアム(香港大球場)に隣接しています。いや、ここに前身である「ガバメント・スタジアム(政府大球場)」が建設されたのは1953年ですから、スタジアムが「南華体育会」に隣接して後から造られたと言うべきでしょう。

■断崖を背負うスタジアム

 現在の香港スタジアムは4万人収容。英国のウェンブリー・スタジアム株式会社が設計建設し、運営を担っていました。ただし、旧啓徳(カイタク)空港跡地に新しい啓徳体育園が完成したため、香港スタジアムはいずれ縮小されると言われています。

 1953年開場の2万8000人収容の政府大球場は、日本代表が1980年末のスペイン・ワールドカップ予選や1985年のメキシコ・ワールドカップ予選を戦った陸上競技兼用のスタジアムでした(フィリップ・トルシエ監督時代のシドニー・オリンピック予選は、もう新しい香港スタジアムになってからでした)。それで、僕もここを何度か訪れましたが、なかなかユニークな景観を楽しめました。南側のサイド・スタンド裏が断崖になっていたのです。

 そして、たいてい熱心な(?)ファンが、その断崖の上まで登って試合を(タダで)見物していたものでした。キャロライン・ヒル自体は、「山」というほどの高さはありませんでしたが、あの断崖を見ると、「ああ、ここはやはり山なのだなぁ」と思ったものです。

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