<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):フィギュアスケート>◇女子フリー◇19日(日本時間20日)◇ミラノ・アイススケ…
<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):フィギュアスケート>◇女子フリー◇19日(日本時間20日)◇ミラノ・アイススケートアリーナ
【ミラノ=松本航】2大会連続表彰台となる銀メダルを獲得した坂本花織(25=シスメックス)は、4歳の頃から中野園子コーチ(73)の指導を受けてきた。
恩師の背中を追い、今季限りでの現役引退後は指導者に転身する。決して平らではない二人三脚での道のりで得られたのは、人生を支え、導いてくれる人たちとの信頼関係だった。
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最も小さい字に設定された坂本のスマートフォン画面が、文章で埋め尽くされていた。スクロールも必要な分量のLINE。宛先は中野コーチだった。思い切って送信ボタンを押した。
「今は、お互いがいい思いをしていないし、ぶつかるだけなので、いったん距離を置いた方がいいと思います。なので、レッスン、しばらく大丈夫です」
返信が来て、覚悟した。
「クラブの貸し切りに入るのは、レッスンを受けることになります。貸し切りには入らないでください」
世界選手権3連覇中だった24年9月下旬。坂本と恩師が離れた時間があった。
周囲からは順風満帆に見られた。エースとして全日本選手権の連覇を重ね、世界最高峰の舞台でも勝ちきった。だが、24歳は年齢とも向き合っていた。24-25年シーズンは最長で4月の世界国別対抗戦まで国際大会が続く。初戦となった9月のロンバルディア杯(イタリア・ベルガモ)からギアを上げることをしなかった。自己ベストから36・15点離れた合計199・94点の3位。帰国後も「こんなもんやな」と捉えていた。
中野コーチの見方は異なっていた。スイッチの入らない教え子を、引き上げようとしていた。9月下旬の水曜日。坂本はLINEへ思いを書き込み、二晩寝かした。木曜日のオフを経て、金曜日の朝練習。前日の過ごし方について「そんなんやったら関わりたくない」と諭された。「関わらんでええわ!」と言い返し、LINEを送り付けた。
貸し切り練習の枠を自ら確保し、1人で滑り始めた。1カ月後のグランプリ(GP)シリーズ初戦スケートカナダへの同行も、グレアム充子コーチで手配した。合間を縫って、1人きりの練習に来てくれたグレアムコーチには「そろそろ折れて…」と促された。母からも珍しく「あんた、中野先生に何言ったか分かってんの!?」と連絡がきた。それでも意地を張り続けた。
「1人でもできるんだ、と認めてほしかった。そのためにカナダで優勝する」
中野コーチとは4歳からの付き合いだった。03年度後期に放映されたNHK連続テレビ小説「てるてる家族」のスケートシーンを見て、母に「やりたい!」とすがった。地元神戸のリンクに足を運び、一から教えてもらった。年の離れた姉2人は幼稚園と小学校の教員。小学生のころ、母に「何の先生になるの?」と聞かれ「中野先生~」と返した。厳しくも愛のある師を慕い、大人になったらコーチになると決めていた。
10月に入り、スケートカナダへ追い込みを始めた。ジャンプを跳びながら、ふと考えた。「中野先生なら、こう言うやろな」。いつの間にか頻度が増えた。1人きりの練習は3週間にさしかかった。頭の中は過去の助言で埋め尽くされた。
「一般営業の後、少しお時間をいただけませんか」
この一文を送信するのに、今度はもっと時間を要した。その間、同い年の幼なじみで、ともに中野コーチの指導を受けてきた籠谷歩未が話を聞いてくれた。
「中野先生の考えも、かおちゃんの考えも分かる。ここはかおちゃんが間違ってるし、あれは中野先生も言いすぎかなって思うよ」
勇気を振り絞って中野コーチへとLINEを入れ、ようやく雪解けした。そこで伝えられたことがある。
「良かったね。ちゃんと意見を言ってくれる友達が近くにいて。ほめてばっかりの友達じゃなくて、花織のためを思ってくれる友達。本当のことを言ってくれる友達って、少ないから」
涙が止まらなかった。
二人三脚で五輪を3度経験した。全てを出し尽くした北京大会で銅メダルを獲得し、世界女王が定位置になると金メダルを目指した。単身で海外に渡って行う振り付け。合間に調子を落とさないように、ジャンプを跳ぶ。異国で拍手が起きても「そうじゃないねん…」としっくりこなかった。自らの感覚と、中野コーチの言葉は必ず一致した。見える世界が広がっても、移籍せずに21年間過ごした。
この日のフリー。前を滑ったアリサ・リュウの大歓声の最中に声がかかった。
「いつも通り、花織は強いです」
悔し涙を流しながら立ったミラノ五輪の表彰台。リンクサイドで見守っていた恩師はしみじみと言った。
「人間ってぜいたくになるんだなと思いました。最初の銅メダルは純粋にうれしかった。でも、慣れて金を狙ったりすると銀メダルも残念な感じがする。それはやっぱりぜいたくなんだなって。出られなかった人もいるので、これを励みに生きていってほしいです」
教え子はシーズン後に、指導者として歩み始める。
「『一番金メダルを取っても、一番後ろに並ぶんだよ』と言ってあります。コーチとしては、一番下からやってほしいと思います」
スケート人生21年。坂本はしみじみとかみしめた。
「お世辞なく、素直に言ってくれる人ってあんまりいない。大切な存在です」
名声より、かけがえのない財産がある。
○…中野コーチは1952年(昭27)に神戸で生まれ、日大卒業後に指導者として歩み始めた。坂本の18年平昌五輪、1学年上の三原舞依の17年世界選手権から大舞台を経験。それまでは自費で五輪や世界選手権を訪れ「その年の傾向を勉強しにいっていた」と振り返る。教え子が出場するようになっても、ひいきにしていたカナダのツアー会社からは便りが届いていた。神戸クラブを指導し、95年の阪神・淡路大震災の際にはリンクが地盤沈下に見舞われた。ハイエースを運転し、九州で合宿を張った。五輪4個のメダルを獲得した坂本に対し「これからどう生きるか。『今いくつメダルを持っているか』より、後ろを振り返らず、しっかり生きていってほしいと思います」とエールを送った。
◆坂本花織(さかもと・かおり)2000年(平12)4月9日、神戸市生まれ。17年世界ジュニア選手権3位でシニア転向。1季目から18年平昌五輪代表2枠入りして6位。22年北京五輪で団体銀、個人銅メダル。世界選手権は22年から3連覇。全日本選手権は5連覇中で、18年を含めて優勝6度。今季のSPは「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」、フリーは「愛の讃歌」。ミラノ五輪の日本選手団旗手代行。159センチ。
◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大阪体育大でラグビー部。13年に日刊スポーツ大阪本社へ入社。2年間はプロ野球の阪神タイガース担当、以降は五輪競技やラグビーを主に取材。21年11月に東京本社へ異動。五輪取材は18年平昌、21年東京、22年北京、24年パリに続き、ミラノ・コルティナ大会で5大会目。ラグビーW杯は19年日本、23年フランス大会で日本代表の全9試合を現地取材。185センチ、100キロ。