運命を決めた「拍手の敗戦」とプロの胎動その光景は、フットボールの常識からすれば「衝撃」としか言いようのないものだった。 …
運命を決めた「拍手の敗戦」とプロの胎動
その光景は、フットボールの常識からすれば「衝撃」としか言いようのないものだった。 2007年4月28日。当時17歳だった木暮郁哉は、東北電力ビッグスワンスタジアム(現:デンカビッグスワンスタジアム)のスタンドにいた。目の前のスコアボードには「0-6」という、ホームチームにとっては屈辱以外の何物でもない数字が刻まれている。しかし、木暮の耳に届いたのは罵声ではなく、スタジアムを包み込む温かく力強い拍手だった。 「大差で敗れているのに、なぜこれほどまでに熱く、ポジティブなエネルギーが溢れているのか」複数のJクラブからオファーを受けていた17歳の肌に、鮮烈な鳥肌が立った。アルビレックス新潟(以下、アルビレックス)はこの2年前の2005シーズン、年間入場者数651,845人を記録し、当時のJリーグ記録を更新したほど、熱いサポーターが評判だった。この時、木暮の心は決まった。自身のテクニックを披露する場所は他にもあるかもしれない。だが、この街の人々のために、この熱狂のなかで人生を懸けてみたい。0対6という絶望的な敗北の夜、木暮郁哉とアルビレックスの、終わらない物語が幕を開けた。
加入後、当時の鈴木淳監督から叩き込まれたのは、技術以前の「人としての在り方」だった。「常に見られている意識を持て」という言葉は、ピッチの上だけでなく、一人の人間として生きる瞬間にまで浸透していった。当初は「自分の技術を証明したい」という野心のために始めたサッカーだったが、アルビレックスの熱狂に触れるうち、その動機は静かに、しかし決定的に変化していった。 「サッカー選手という仕事は、誰かの人生にプラスの要素を与えられる」 その価値に気づかされたとき、サッカーは彼にとって「自分を表現する手段」から「誰かの人生を彩るための仕事」へと昇華されたのだ。
カンボジアの乾いた風と、子どもたちの笑顔
新潟での5年間を経て、木暮の旅路は海外へと及ぶ。なかでもカンボジアでの経験は、彼のフットボール観を根底から揺さぶった。満足な芝もなく、環境すら整わないなかで、選手とファンの垣根は驚くほど低かった。 そこで目にしたのは、泥だらけになってボールを追いかける子どもたちの屈託のない笑顔と、剥き出しの情熱で支えてくれるファンたちの姿だった。 「新潟の環境がいかに恵まれていたか。そして、サッカーの本質は、支えてくれる人たちとの繋がりそのものにあるんだ」 練習場のあるアルビレッジの完璧な芝生も、ビッグスワンの巨大な歓声も、当たり前の風景ではなかった。カンボジアの乾いたピッチで子どもたちと触れ合うなかで、彼は「サポーターや支えてくれる人たちの大切さ」を、理屈ではなく生存本能に近い感覚で再確認した。この「ファンとの境界線のない純粋な喜び」こそが、彼が今、指導者や経営者として歩む道に、使命感を与えている。
同期・舞行龍ジェームズという名の「衝撃」
2008年、共にプロの門を叩いた同期、舞行龍(マイケル)ジェームズ。かつては共に笑い、切磋琢磨した仲間だが、木暮が後にカンボジアなどの海外で「外国籍選手」としてプレーした経験は、かつての同期への見方を劇的に変えた。 「16歳で言葉も通じない異国に来て、周囲とコミュニケーションを取りながら、自分を磨き上げていく。それがいかに孤独で、困難なことか。自分が海外に出て初めて、舞行龍の凄さを心の底から思い知ったんです」 異国の地で助っ人として期待される重圧、そして文化の壁。木暮自身が味わったその苦労を、舞行龍は十代の若さで、平然とこなしていたのだ。ピッチ外ではムードメーカーとして片言の日本語で場を和ませていた彼の裏側に、どれほどの覚悟と適応への努力があったか。今なおアルビレックスの象徴として走り続ける舞行龍の背中に、木暮は一人のフットボーラーとして、そして一人の人間として、言葉に尽くせぬ敬意を抱いている。
継承される文化 —— スペリオ城北、そして新潟への返礼
現在、木暮は東京都二部リーグのスペリオ城北でGM兼監督を務め、さらにはカンボジアでもチーム運営に携わっている。その多忙な日々の根底にあるのは、「サッカーを文化として未来に継承したい」という切実な想いだ。 彼がいま心血を注いでいるのは、単に勝敗を競うチーム作りではない。スペリオ城北を、あの日のアルビレックスのように、地域の人々に愛され、街の誇りとなるような存在へと育て上げることだ。 「新潟で見た、あの0-6でも拍手が送られる光景。あれこそが、サッカーが文化として街に根付いている証拠だと思う」 サッカーが単なる勝負事を超え、人生の一部となり、世代を超えて共有される物語となること。かつて自分とクラブを繋いでくれた「新潟の拍手」を、今度は自分の手で、スペリオ城北のホームタウン(東京都北区・板橋区・豊島区・荒川区・足立区)やカンボジアに創り出そうと日々取り組んでいる。それは、彼にプロとしての誇りを教えてくれたアルビレックスという「ファミリー」への、終わらない返礼でもある。
30周年、ビッグスワンで再会する日を信じて
2024年、ルヴァンカップ決勝。国立競技場に駆けつけた木暮は、一人のサポーターとして、初タイトルのかかるクラブのためにスタンドから「アイシテルニイガタ」と声を枯らした。そこには、17年前に彼を新潟へと惹き寄せた、あの時と変わらない情熱があった。 木暮にとって、アルビレックスは過去の記憶ではない。それは今も彼を突き動かす原動力であり、人生という長い旅における「原点」なのだ。 「アルビレックスの歴史のほんの一部ですが、そこに加わらせていただき、たくさんの感情をサポーターの方々と共有できたことが本当に素晴らしくて尊い時間でした」 30年の歴史のなかに、オレンジの魂を胸に秘め、新潟から遠く離れた地でサッカー文化を紡ぎ続ける一人のフットボーラーの姿がある。いつかまたビッグスワンで、再会できる日を楽しみにしながら。
(取材/文・真鍋智、取材協力/写真・アルビレックス新潟)



