関節技の鬼 藤原喜明のプロレス人生(7)(連載6:付き人時代の藤原喜明が見たアントニオ猪木の弱気な一面、モハメド・アリ戦…
関節技の鬼 藤原喜明のプロレス人生(7)
(連載6:付き人時代の藤原喜明が見たアントニオ猪木の弱気な一面、モハメド・アリ戦を前に「勝てるかなぁ」>>)
プロレスラー藤原喜明はサラリーマンを経て、23歳で旗揚げ間もない新日本プロレスに入門。アントニオ猪木、カール・ゴッチの薫陶(くんとう)を受け、道場で関節技の技術を磨き、新日本プロレス最強伝説の礎を築いた。
そんな藤原が激動の人生を振り返る連載の第7回は、アントニオ猪木に帯同したパキスタンでの激闘と、西ドイツ遠征について語った。
パキスタンでアクラム・ペールワンと闘い、左肩を極める猪木
photo by 東京スポーツ/アフロ
【パキスタンのスタジアムに10万人以上の観衆】
モハメド・アリとの「格闘技世界一決定戦」を終えたアントニオ猪木は、同じ1976年12月12日、パキスタンでプロレスラーのアクラム・ペールワンと闘った。
寝転びながら蹴り続ける戦法でアリ戦を引き分けた猪木だが、国内のマスコミから「茶番劇」などと誹謗中傷された。そのうえ、アリへのファイトマネーなどで新日本プロレスは莫大な負債を抱えた。
一方で、アリと闘ったことで猪木の名前は世界に広がった。猪木や新日本にとって縁もゆかりもないパキスタンでの闘いも、それを象徴している。「ペールワン」とは同国での最強の称号とも言われているが、そのペールワンが、アリと闘った猪木に挑戦状を送った形だ。
決戦の地は、パキスタン南部の都市カラチ。藤原は猪木に帯同し、敵地に乗り込んだ。
「パキスタンっていう国を、俺はまったく知らなかった。ビックリしたのは、試合の前か後かは忘れちまったけど、猪木さんと一緒にタクシーに乗った時だな。俺は付き人だから助手席に座ったんだけど、とにかくドライバーの運転が乱暴で『危ねぇな』って思ってたら、前の車にぶつかったんだ。そうしたら、運転手がぶつかった相手に文句を言って、また走り出したんだよ(苦笑)。当時はそんな国だったなぁって思い出すよ」
試合はカラチのナショナルスタジアムで行なわれた。本来、クリケットの競技場だったスタジアムには10万人を超える観衆が押しよせたと言われている。
「会場に着いたら、競技場の外に小高い丘があってな。そこにすさまじい人が並んで、試合を見てるんだよ。現地の人に聞くと、猪木さんとペールワンの試合を見るために何日もタール砂漠を歩いてきた人たちだって言うんだ。
その丘はだいぶ遠かったから、俺は『あんなに遠くから試合が見えるわけないだろ?』って聞いたんだけど、『見える』って言うんだよ。向こうの人は、日本人には想像がつかないくらい視力がいいんだな。物ごとを知るには、人から話を聞くだけじゃなく、なんでも実際に行ってみることが大事だなって教えられたよ」
【不気味な場所で、情報がまったくない敵との闘い】
試合は、5分6ラウンドの格闘技ルール。未知の国での闘いを前にした猪木が、控室で藤原につぶやいたことがあるという。
「控室の床は土間で、コンクリートの囲いがあるだけの殺風景な部屋だった。試合前、そこに猪木さんとふたりきりになった時間があって、イスにポツンと座った猪木さんが『何で俺、こんなことしなきゃならないんだよ』ってつぶやいたんだよ。俺は内心、『アンタが決めたんだろ』って思ったけど、そんなこと口に出せるわけないからな。黙って聞いてたよ。
アリ戦で莫大な借金を抱えたから、やらなくちゃいけない試合だったんだな。だけど、あんな言葉を俺に言ったってことは、猪木さんも本心では『来るんじゃなかった』と思ったかもしれない。それほど不気味な国だったよ」
対戦相手のペールワンも不気味だった。どんな闘い方をするのか。得意技は何なのか......まったく情報がなかった。いざリングに上ると、ペールワンはビキニパンツ姿で、太鼓腹の男だった。
「腹がポコって出たヤツだったんだけど、何しろ情報がないから、強いんだか弱いんだかわからない。『見た目ではわからない能力があるんじゃないか?』って思うよな。闘いにおいて、相手のことを知らないのが一番怖いんだよ。
情報がないと、相手が自分よりどんなに小さかろうと恐れは出るもんなんだ。パキスタンの英雄とか呼ばれて、『今までにすごい試合をやってきた男だ』とか聞かされてたからな。しかもリングサイドには、銃を持った兵士がリングを取り囲んで、お客さんのほうを見ているんだ。すごい緊張感だった。だけど、猪木さんはいつもと同じだった。泰然自若の顔でリングに向かっていったよ」
ゴングが鳴ると、藤原は敵の"戦術"に気づいた。
「体中に油を塗ってたんだ。組むと滑るから、猪木さんはやりにくいに決まってるわな。だから、テクニックの応酬なんかなかった。やるかやられるか......そんな試合だった。向こうは猪木さんの腕に噛みついたりして必死だったし、逆に猪木さんも相手の目に指を入れたりしてたよ」
【猪木を救った勘違い】
緊迫の闘いは、3ラウンド1分5秒で決着がついた。猪木がペールワンの左腕をアームロックで極めた。しかし、ペールワンはギブアップせず左肩を脱臼。猪木自らドクターストップをする形で勝利した。藤原は、ペールワンが脱臼した時の音を聞いた。
「猪木さんが相手を倒してアームロックの状態に入った。俺は、もうちょっと左腕を肩に深く入れればいいと思ったんだけど、その瞬間に『ゴク』って音が聞こえたよ」
母国の英雄が敗れ、スタジアムは騒然となった。そこで藤原はとっさの行動に出た。
「観衆が総立ちになったんだけど、そのなかに銃を持っているヤツがいるかもしれない。俺は『猪木さんが撃たれるかもしれない』と思って、猪木さんを守るために前に立ったんだ」
緊迫のリング上で、猪木は両手を上げた。後年、代名詞となる「ダァーッ」のポーズのように腕を天に突き上げたが、猪木はそれをゆっくりと下ろした。
「猪木さんが手を上げたら、スタジアムがスーッと静かになったんだ。パキスタンはイスラム教の国だから、猪木さんが神に祈りを捧げたと思ったらしいんだよ。あとで現地の人に聞いた話では、『あれは神様の試合であり、猪木さんはイスラム教へ深い敬意を抱いていることを感じた』と言ってた。
だから、そういう人に乱暴をしちゃいけないって思って静かになったんだろうな。猪木さんにしてみれば、いつもの試合が終わった時と同じような行動をしただけだと思う。だけど、それをパキスタンの人たちは、イスラム教への信仰と勘違いしたんだな。あの人は、そういう運を持ってたよ」
ペールワンとの闘いから、今年で50年目。藤原は、当時に思いを馳せた。
「試合前も勝ったあとも、不気味なのは変わらなかった。そういう国で冷静に闘えると思うか? だけど、猪木さんは闘ったんだよ。そして勝ったんだ。あの精神力、やっぱり"博打打ち"のそれだよな」
【超苛酷だった西ドイツ遠征】
藤原がそう表現するように、当時の猪木は「博打」とも言える闘いを繰り返した。ペールワンを敵地で倒した2年後、1978年11月には西ドイツ(現・ドイツ)へ遠征した。プロモーターでレスラーだったローラン・ボックからの招へいで、22日間で20試合という過酷なスケジュールで闘った。
レスラーに転向したウィレム・ルスカらも参戦したこの遠征に、藤原も帯同した。
「移動がキツかったな。猪木さんとルスカは、飛行機とかベンツのハイヤーで移動してホテルに宿泊していたんだけど、俺ら若手はホテルなしで、寝台バスで移動だった。試合が終わると、次の試合場所まで1000キロを走ることもあってな。猪木さんの服とかを洗濯をして、バスで干してたことを思い出すよ」
レスリングで1968年のメキシコ五輪に出場した経歴を持つボックだが、当時はまだ来日したことがなく、日本マット界では「まだ見ぬ強豪」だった。藤原は遠征中に、身長196cm、体重125kgという巨体だったボックとスパーリングを行なったという。
「スパーでボックは、俺の周りをクルクル回ってきたんだ。『何をやっているんだ?』って思ったんだけど、彼はアマチュアレスラーだから、俺を倒してフォールを狙いにきてたんだな。
そこで俺は彼の足首をとったんだけど、骨がゴキッといきそうになった。そうしたらボックが『ちょっと待って。こっちのヒザ、悪いから』って言ってストップしたんだ。俺は勝ったと思ったよ。パワーもテクニックもすごかったけど、俺に言わせればアマチュアだったな」
猪木は、遠征中にボックと3試合(4分10ラウンド制)を闘い、シュツットガルトでの3戦目は判定で敗れた。その一戦は日本でもテレビ中継され、無名の外国人に猪木が敗れたことから「シュツットガルトの惨劇」と呼ばれるなど、現在も語り継がれている。
「あぁ、そんな結果だったな。ルールも何も聞いてなかったし、審判なんてどこにも見当たらなかった。ハメられたようなものさ。あの遠征はリングもひどくてな。板の上に木くずを敷いたマットだったんだよ。3試合くらいやるとデコボコになるから、そこで受け身取ったら......どんなにひどいことになるか、わかるだろ?」
ペールワン、ボックとの海外遠征のすべてに帯同した藤原は、その後、人生の師と呼ぶ人物から関節技を学ぶことになる。
(敬称略)
つづく
【プロフィール】
藤原喜明(ふじわら・よしあき)
1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、サブミッションレスリングに傾倒したことから「関節技の鬼」として知られる。1991年には藤原組を旗揚げ。現在も現役レスラーとして活躍するほか、俳優やナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラストなど特技も多彩。