【合田直弘(海外競馬評論家)=コラム『世界の競馬』】◆馬に囲まれた生い立ちと従軍 アメリカの西海岸を拠点に調教師として…

【合田直弘(海外競馬評論家)=コラム『世界の競馬』】

◆馬に囲まれた生い立ちと従軍

 アメリカの西海岸を拠点に調教師として活躍したジョン・シレフスさんが、2月12日、カリフォルニア州アルケイディアにある自宅で亡くなった。享年80歳だった。

 シレフス氏は、1945年6月1日にカンザス州に生まれた。生地はカンザスだったが、育ったのは両親がニューハンプシャー州のニューフィールドに持っていた農場で、父がそこを拠点に馬の生産を行っていた関係で、ジョン少年は幼少の頃から馬に囲まれて育った。

 学業を終えると、アメリカ海兵隊に所属。ベトナム戦線に従軍した経験がある。

 除隊後は様々な職を転々とした後、馬の扱いに長けているところを見込まれ、カリフォルニア州グラスヴァレイーにあるロマリカ・ランチに就職、その後、西海岸を拠点とするジーン・クリーヴマン厩舎にホットウォーカーとしての職を得たり、馬主エド・ネイヒム氏が持つレイクヴュー・サラブレッドファームで若駒の馴致に精を出した時代を経て、1978年に調教師のライセンスを取得した。

 北カリフォルニアを拠点に開業したものの、思うように管理頭数が集まらず、成績は低迷。一旦は厩舎経営を諦め、ブラインアン・メイベリー厩舎やビル・スパウル厩舎でアシスタントを務める日々を送った。

 馬主マーシャル・ネイフィー氏の505ファームにおいて、プライベート・トレーナーの職を得たのが、1994年1月のことだった。94年10月15日、505ファームが所有し、シレフス氏が管理したバートランドが、サンタアニタ競馬場のG2グッドウッドHに優勝。ライセンス取得後16年後にして、シレフス氏は重賞初制覇を果たした。

 その後も重賞制覇を重ねた後、1999年3月に、これも505ファームが所有していたマニスティークで、サンタアニタ競馬場のG1サンマルガリータ招待Hを制覇。待望のG1初制覇を果たした。

 大きな転機が訪れたのが2000年で、マーシャル・ネイフィー氏が他界。シレフス氏が施設を買い取り、ジョン・シレフス厩舎はパブリック・トレーナーとして稼働することになった。

 駆け出しだった22年前とは異なり、多くの実績を残していた彼を、サウジアラビアの王族が営むサラブレッド・コーポレーションや、音楽業界の大立て者で、今世紀に入って競馬と馬産の世界に参画してきたジェローム・モス氏らが、シレフス師のクライアントとして厩舎をバックアップしてくれることになった。

 モス氏の自家生産馬ジャコモ(父ホーリーブル)がシレフス氏の厩舎にやってきたのが、2004年の春だった。2歳最終戦となったG1ハリウッドフューチュリティ(d8.5F)で2着となったジャコモは、世代の最前線に躍進。有力馬の1頭として05年の3歳三冠戦線に挑戦することになった。そして、G3サンフェリペS2着、G1サンタアニタダービー4着の成績で臨んだG1ケンタッキーダービーを、ジャコモはマイク・スミス騎手を鞍上に制覇。シレフス師は59歳にして、ダービートレーナーの称号を手にすることになった。

 ジョン・シレフス調教師の名をさらに高めたのが、2007年から2010年にかけて活躍した牝馬ゼニヤッタ(父ストリートクライ)だった。

 05年のキーンランド・セプテンバーセールにて6万ドル(当時のレートで約670万円)でモス氏に購買され、シレフス厩舎にやってきた同馬。超大型馬で仕上がりが遅れ、初出走は3歳11月まで待たなくてはならなかった。

 しかし、関係者の辛抱が実を結び、競走馬としてデビューを果たすと、ゼニヤッタは快進撃を見せることになった。3歳時を2戦2勝で通過すると、4歳初戦となったG2エルエンシノS(AW8.5F)を制し、重賞初制覇。これを皮切りに連勝街道を歩み続け、4歳最終戦のG1BCレディーズクラシック(AW9F)まで、4つのG1を含む重賞7連勝を飾った。

 5歳時は5戦し、この年も負け知らずの5連勝。5歳最終戦となったのが、牡馬との初対決となったG1BCクラシック(AW10F)で、ここも難なく勝ち上がって連勝記録を14に伸ばした。

 6歳時も現役に留まった同馬は、シーズン初戦からG1ばかり5連勝。デビューから継続していた無敗の連勝は、19まで伸びることになった。

 ゼニヤッタの競馬スタイルは、常に後方一気。小回りで直線の短い米国でそのスタイル貫いたのだ。ゼニヤッタが見せる痛快なレースに、全米はもとより世界の競馬ファンが熱狂。ジョン・シレフス氏が手掛けるゼニヤッタは、世界的なヒロインとなった。

 ゼニヤッタの現役最終戦となったのが、チャーチルダウンズ競馬場で行われた2010年のG1BCクラシック(d10F)だった。いつものように後方待機から、直線で爆発的な末脚を繰りだしたゼニヤッタだったが、どうしたことか、ゴール前50m付近で急速に脚色が鈍った。その隙をついて伸びたのがブレイムで、同馬がゼニヤッタに頭差先着して優勝。20戦目にして、ゼニヤッタの連勝が止まってしまったのである。

 夕闇の中、コース上にあるゴールラインを明示するため、一筋のライトがコースを横切っていた。騎乗したマイク・スミス騎手によると、その光の筋をゼニヤッタは、コースに穿たれた溝と勘違いし、自らブレーキをかけてしまったのだ。あの温厚なスミス騎手が、記者会見で机を叩いて悔しがった光景を、筆者は今も鮮明覚えている。

 ジョン・シレフス厩舎の管理馬は、通算で3589戦。今年に入ってあげた1勝を含めて、596勝をあげた。西海岸の競馬を支えた伯楽の死を、世界の競馬サークルが悼んでいる。

(文=合田直弘)