パンチョ・セグラが18日、パーキンソン病の合併症のため96歳で死去した。セグラは、「全米選手権」のシングルスとダブルスで6回の優勝を果たし、1940年代はアマチュア、1950年代はプロにおける世界最優秀選手の1人として活躍したレジェンドだ。…
パンチョ・セグラが18日、パーキンソン病の合併症のため96歳で死去した。
セグラは、「全米選手権」のシングルスとダブルスで6回の優勝を果たし、1940年代はアマチュア、1950年代はプロにおける世界最優秀選手の1人として活躍したレジェンドだ。引退後はグランドスラムのシングルスで8回の優勝を飾ったジミー・コナーズ(アメリカ)などのコーチを務めた。
「悲しい日です。友人、コーチ、そして師であった人物を喪いました」とコナーは日曜日にTwitterに投稿している。
息子のスペンサー・セグラによれば、彼は90歳を超えてもテニスの試合を見たり、分析することを続けていたという。
貧困から身を起こしたセグラは、テニスが富裕層のスポーツだという一般的な見方を軽視していた。
「この競技をプレーするのにラケットと心以上に必要な物はない。これは実践的な民主主義の大いなる試練なんだ。私と相手がアリーナにいる。私と相手だけが。どれだけ金を持っているかは関係ない。誰が父親かも、ハーバードやイェールなんかに行ったかどうかも関係がない。ただ私と相手だけなんだ」とESPNに語っていた。(C)AP(テニスデイリー編集部)
※写真は両手でフォアハンドを打つパンチョ・セグラ
(Spencer Segura Sr. via AP)