<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):フィギュアスケート>◇ペア・フリー◇16日(日本時間17日)◇ミラノ・アイスス…

<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):フィギュアスケート>◇ペア・フリー◇16日(日本時間17日)◇ミラノ・アイススケートアリーナ

【ミラノ=木下淳】愛称「りくりゅう」こと三浦璃来(24)木原龍一(33)組(木下グループ)が念願の金メダルを獲得した。

ペアで日本勢初となる表彰台どころか、一気の頂点。日本にとって女子の荒川静香、男子で2連覇の羽生結弦に続く3カテゴリー目の五輪優勝を成し遂げたが、りくりゅうの2人も、ともに男女のシングル出身で、実力者だった。

木原は4歳から始め、小学5年だった2003年に全日本ノービス選手権Bで優勝。世代の日本一スケーターだった。ジュニア時代はグランプリ(GP)シリーズも転戦。愛知・中京大中京高3年時の10年には、全日本ジュニア選手権で準優勝した。

当時の1位は、後に4大陸選手権の代表になる1学年上の中村健人、3位は羽生結弦と同期で盟友の日野龍樹、4位には5歳下の宇野昌磨がいた。9位には18年平昌五輪代表となる、同じく羽生の同期である田中刑事もいた。

シニアの全日本選手権にも飛び級で初出場して12位に入り、新人賞。世界ジュニア選手権にも出場して総合10位の成績を収めた。

全日本で3年連続12位を最後に、シングルは第一線から退いた。14年ソチ五輪に向け、日本は既にペアに取り組んでいた高橋成美のパートナーを見つける必要があり、日本連盟から白羽の矢が立ったのが木原。五輪前年に転向した。

14年と18年の平昌大会は2大会連続で個人戦のフリーに進めない成績で「20歳でペアに転向するのは無謀だったのかな。シングルのまま友達と楽しくやった方が良かったのかな」とも思い詰めたが、運命の三浦との出会いが19年にあった。空中に投じて横回転させるツイストリフトを試してみた瞬間「雷が落ちた」衝撃を受けて結成した。

女性を持ち上げるための肉体改造が必要で、木原はシングル時代の61キロから現在は77キロへ。当初は食事の量を増やすことに苦労し、トイレに駆け込んで嘔吐(おうと)することもあった。

三浦も5歳でスケートを始め、女子シングル選手と競技会に参加。小学6年から中学1年の前後が対象の全国大会=全日本ノービス選手権Aに出場したこともある。15年、中学1年だった13歳の時にトライアウト参加がきっかけで、ペアに転向した。

結成から7年。2人は今大会、団体のショートプログラム(SP)とフリーに両方出場して日本の銀メダルの後、個人を迎えた。5位と出遅れ、失意の中で首位との6・90点を追った世界選手権王者が、最も肝心な4年に1度の大会で金メダルに輝いて結実を見た。

フリーの世界歴代最高スコアを更新する158・13点の合計231・24点で暫定首位に立ち、そのまま追随を許さなかった。

一夜明けた17日、木原は会見で「7年前はスケートをやめよう、そろそろ引退かなと思っていたけど、当時の自分に『もう少し頑張ってみよう』』必ず、いいことが待ってるから』と伝えたい」と照れ笑いした。

◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。飯田高-早大。4年時にアメフトの甲子園ボウル出場。04年入社。文化社会部時代の08年ベネチア映画祭でイタリア初出張。ミラノは2度目。東北総局、整理部、スポーツ部。23年からデスク。25年からDCI推進室と兼務。高校野球の甲子園取材は春2回夏3回。サッカーW杯は1回。五輪は夏3回冬2回。五輪パスはE、Es、ET、Ecの4種を保有している。