(16日、ミラノ・コルティナ冬季オリンピック〈五輪〉スキージャンプ・スーパー団体) 初代王者の有力候補だった日本は、巻…
(16日、ミラノ・コルティナ冬季オリンピック〈五輪〉スキージャンプ・スーパー団体)
初代王者の有力候補だった日本は、巻き返しを狙った3回目に悪天候による途中打ち切りに見舞われ、6位に沈んだ。
16日にあった2人が3回ずつ飛ぶ新種目の「スーパー団体」。2回目を終えた時点で、日本は3位ノルウェーを2.8点差で追う6位につけていた。
迎えた3回目。1番手の二階堂蓮が鋭い飛行曲線から138.5メートルまで伸ばし、1番手終了時点で全体トップの得点を記録。日本の順位を2位まで押し上げた。
だがその後、大雪が降り始め、風も強まり、中断した。
大雪で中断した団体戦に、日本は因縁がある。
1998年長野五輪では、中断を挟みながらも競技は続行。原田雅彦の大ジャンプで当時4人制だった団体で金メダルをつかんだ。
だが、この日は小林陵侑ら2番手3人を残して競技が打ち切られた。規定により、2回目までの結果で順位が確定。日本は表彰台を逃した。
その後、ほどなくして大雪はおさまった。「自然と闘う競技なのでしょうがない」。そう言い聞かせた作山憲斗ヘッドコーチは「30分ぐらい待ってほしかった。なぜ、こんなに早く打ち切りを決めたのか」。
日本は、今大会三つのメダルを獲得している好調の二階堂で流れをつくり、小林陵で逃げ切るプランを描いていた。が、その展開には持ち込めなかった。
二階堂は、2回とも踏み切り後に左のスキー板が乱れ、飛距離を伸ばせなかった。3回目の大ジャンプが幻となり、「良いジャンプをそろえて、陵侑さんに金メダルへのシナリオをつくりたかった。うまくできなかったので悔しい」。
小林陵も1回目は台に力を伝えきれず、129メートルと失速。流れを引き寄せられなかった。メダル圏内から臨むはずだった3回目がなくなり、「悔しい。飛びたかった」。消化不良のまま今大会を終え、日本のエースにやりきれない思いだけが残った。(笠井正基)