サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは「長く太く」。
■カズもすごいが…
J3の福島ユナイテッドに加入したカズ(三浦知良)が2月7日に行われた「明治安田J2・J3百年構想リーグ EAST-Bグループ」第1節のヴァンフォーレ甲府戦(JITリサイクルインクスタジアム=山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場)に先発出場し、自身の持つプロとしての最年長出場記録を58歳11か月12日に延ばした。
今年の前半に行われるJリーグのシーズン移行のためのこの「特別大会」の出場記録やゴール記録は「Jリーグ公式記録」には入らず、残念ながら「Jリーグ最年長出場記録」ではない。しかし、あと2週間ほどで59歳を迎えることなど忘れさせてしまうほど、カズは相変わらず若々しい。その気力と、まっすぐにサッカーのプレーに向き合う姿勢は、誰にも真似はできない。
さて、今回は、「最年長出場記録」ではなく、「連続試合出場記録」の話である。2025年のJリーグ全38節、1試合も休まずピッチに立った選手が何人いるか、見当がつくだろうか。正解は17人。1クラブに0.85人という少なさなのだ。「J1選手」622人。その2.7%にすぎないのである。いかに「全試合出場」が難しいかということだ。
ちなみに、そのなかで「全試合フルタイム出場(交代もなし)」は9人、うち5人はGKだった。フィールドプレーヤーは4人。植田直通(鹿島アントラーズ)、古賀太陽(柏レイソル)、昌子源(町田ゼルビア)、そして稲垣祥(名古屋グランパス)である。植田、古賀、昌子はセンターバックで、稲垣はMFである。GKとセンターバック以外で全試合フルタイム出場を果たした唯一の選手、稲垣は、まさに「鉄人」と言ってよい。
■ドイツで生まれた大記録
シーズンの「全試合出場」が2.7%とすると、2シーズン連続の「全試合出場」は0.0007%、すなわち1000人に1人弱ということになる。それを何年間も続けるのは…? 気が遠くなりそうな「偉業」なのである。
記録を調べてみると、何年間も連続出場を続ける選手は、Jリーグのデータでもわかるとおり、やはりGKに多い。ブンデスリーガでは、1960年代から70年代にかけてバイエルン・ミュンヘンの最初の黄金期を担ったGKゼップ・マイヤーが13シーズン、442試合連続出場というとてつもない記録を持っている。
読者は信じられないかもしれないが、1963年にブンデスリーガが始まった当時、バイエルンは強豪クラブではなく、この西ドイツ初の全国プロリーグに入れてもらえなかった。「南部リーグ」でプレーしていたのである。ようやく昇格がかなったのはブンデスリーガの3シーズン目、1965/66シーズンだった。マイヤーは「南部リーグ」時代からバイエルンのレギュラーだったが、ブンデスリーガの1年目は、「全試合出場」はかなわず、最終戦も逃して31試合の出場にとどまった。
しかし翌1966/67シーズンから、バイエルンのGKはマイヤー以外にいなくなる。1978/79シーズンまで、なんと13シーズン連続して「全試合出場」を達成したのである。その間の442試合で、マイヤーは4回のブンデスリーガ優勝に貢献した。そしてこの試合数には入らないが、欧州チャンピオンズカップ(現在のUEFAチャンピオンズリーグ)で3回優勝、さらには西ドイツ代表として欧州選手権優勝(1972年)とワールドカップ優勝(1974年)まで勝ち取るのである。
手足が長く、当時としては珍しかった特大のGK用グローブを愛用してゴールを守る姿が、今もドイツ人の記憶に強く残っているのは、あまりに当然だ。
■突然の「出場停止」
だが1979年夏、彼の連続出場記録は突然途絶える。1979年7月14日、バイエルン・ミュンヘンはプレシーズンの親善試合を西隣の州のウルムで行った後、バスでクラブの練習グラウンドまで戻り、マイヤーはそこから愛車メルセデスで帰宅の途についた。そのアウトバーン上で、彼は交通事故を起こしてしまうのである。
肺が破裂し、肝臓が大きく動き、そして横隔膜裂傷という大ケガだった。この年チームマネジャーに就任したばかりの元チームメイト、ウリ・ヘーネスの機転によって緊急手術を受け、マイヤーはようやく一命を取りとめるという状態だった。
11月にトレーニングには復帰したものの、1979/80シーズンは1試合も出場できず、そのまま引退を決めた。35歳。GKとしては早すぎる引退だった。