<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):ジャンプ>◇15日◇女子個人ラージヒル決勝◇プレダッツォ・ジャンプ競技場高梨沙…
<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):ジャンプ>◇15日◇女子個人ラージヒル決勝◇プレダッツォ・ジャンプ競技場
高梨沙羅(29=クラレ)は五輪初採用の個人ラージヒルで合計234・5点の16位だった。1回目114メートルで17位、2回目127・5メートルで日本勢最下位で終わった。個人ノーマルヒルでは13位、混合団体では自身2大会ぶり2個目となる銅メダルを獲得した。4度目の五輪での戦いを終え、感謝の涙を流して締めくくった。
高梨の頬に涙が伝った。4度目五輪のラスト種目を終え、思いがあふれた。結果は五輪で過去ワーストだった。それでも現役引退を考えた4年前を思い起こせば、力を出し尽くして戦いを終えられたことで心は満たされていた。「戻ってきて良かったなというか、戻ってこさせてくれてありがとうございますっていう気持ち」。仲間や応援してくれた人への感謝の気持ちが真っ先に浮かんだ。
女子ジャンプの未来が広がった今大会。ラージヒルが初めて五輪で実施された。女子初採用の14年ソチ大会では個人ノーマルヒルのみ。22年北京大会から混合団体が加わり、ミラノ・コルティナ大会では、出場できる種目が3つに増えた。「ようやくラージヒルができて、今回初めて自分がその舞台に立たせていただけて、いいところを見てもらいたかった。成長した姿を先輩たちに見てもらえるチャンスだと思ったけど、それができなくてすごく悔しい」と話した。
女子W杯がスタートした11-12年から参戦し、日本のみならず世界の女子ジャンプ界を引っ張ってきた。その礎を築き、W杯や五輪を夢見てかなわなかった先輩たちの思いも背負って飛び続ける。W杯個人通算63勝は男女歴代最多。トップを走ってきた女王の立ち位置は、後輩の台頭もあり、変わろうとしている。混合団体で手にした8年ぶりの五輪メダルを振り返りながら「能力以上のものが出せたような気がする。自分だけのメダルではない。もっと強くなって力になれたらなぁと思う」と、もどかしさを口にする。
W杯で年間2ケタ勝利を挙げていた10代を「強かった時って自分のことしか考えてなかったかもしれないな」と思い起こす。ただ、今は違う。特にこの4年間は「ジャンプをやっている理由の1つは、見ている人に元気とか勇気を与えられるパフォーマンスが世界でできる限りはやりたい」と、誰かのために飛び続けた。
戦いを終えたばかり。「次のオリンピックのイメージは全くわいていない」と、4年後への挑戦は明言はしなかった。それでも「まだまだ頑張り続けたい。飛ぶことで誰かに何かを与えられるような存在になれるように」と、闘志は消えていない。【保坂果那】
◆保坂果那(ほさか・かな)1986年(昭61)10月31日、北海道札幌市生まれ。13年から高校野球などアマチュア野球を担当し、16年11月からプロ野球日本ハム、17年12月から北海道コンサドーレ札幌を担当。冬季五輪は2大会連続の現地取材で、今大会はノルディックスキーやカーリングを担当。