楽天・宋家豪(ソン・チャーホウ)のルーティン。 そのひとつが、「コカ・コーラ」を飲むことだと、本人が話してくれたことが…

 楽天・宋家豪(ソン・チャーホウ)のルーティン。

 そのひとつが、「コカ・コーラ」を飲むことだと、本人が話してくれたことがあった。

 疲労回復に効果があるとされる果糖ブドウ糖液が含まれるそれを喉に流し込むと、スイッチが入る。ただし、「糖分が高いから、試合以外では飲まないように気をつけている」のだと、宋は笑っていた。

 そして試合が始まれば、中継ぎを中心にマウンドに立つ宋が淡々と準備に取りかかる。

 まず、ピッチングフォームなどの確認を兼ね、10球程度を投げて体をほぐす。そして、ベンチから出番が近いと知らされると、今度は力を入れて肩をつくる。


昨年まで通算142ホールドポイントを記録している楽天・宋家豪

 photo by Koike Yoshihiro

【積み上げた台湾人最多の142HP】

 試合の終盤に宋がマウンドに上がる。

 185センチ、92キロの巨体から投げ下ろす、150キロ超えのストレート。角度があるそれを相手バッターに植え付け、同じ軌道からバッターの手元で落ちるチェンジアップで空振りを奪う。あるいは小さく、鋭く曲がるツーシームでゴロを打たせる。

 10年のプロ野球生活で、宋は中継ぎの役割を示すホールドポイント(HP)を142も積み上げてきた。これは、台湾人としては最多の記録である。

 日本プロ野球における台湾人選手の系譜。

 1994年に史上5人目となる100勝・100セーブを達成した郭源治(元中日)。150キロを超えるストレートで圧倒するピッチングから、「オリエンタル・エクスプレス」と呼ばれた郭泰源(元西武)。プロ野球を席巻したこれまでの台湾人選手をリスペクトしながら、宋は自らの歩みを誇る。

「日本で活躍している台湾の先輩たちの成績や背中を見てきたからこそ、現在の私があります。高いレベルで野球をしたいと日本に来ましたが、今でも挑戦の日々です。そういう環境は私にとってプラスとなっています」

 異国で成功を収める先人によって、宋は日本でプレーすることを夢見るようになっていったが、動機はこれだけではない。母国の英雄たちをも翻弄する、日本人のスター選手にも目を輝かせていたのだと懐かしむ。

「私が台湾で学生だった頃に活躍していた松坂大輔さんや田中将大さんは本当にすごいピッチャーで、憧れの対象でした」

  宋は2015年10月に楽天の練習生として招待され、育成選手となった。一軍の試合に出場できない契約を受け入れたのは、高みを目指す彼らしい決断でもあった。

 プロ2年目の17年。宋は支配下登録され、中継ぎに転向した。レギュラーシーズンこそ5試合の登板に終わったが、クライマックスシリーズではファーストステージ、ファイナルステージで4試合中3試合を無失点。2勝を挙げるなど存在感を示した。

【レジェンドからの学び】

 日本での飛躍への足がかりをつかんだ宋にとって、大きな分かれ道となったのが18年だ。

 少年時代から目指してきたレジェンド、郭源治が楽天の春季キャンプに研修コーチとして招かれたのである。ここで宋は、リリーバーとしての心構えを学んだ。

「郭源治さんから、セットアッパーとしてのメンタルを強化していただきました。日々、辛抱強く投げることの大切さを教えてもらったことが、成績に大きくつながったのです」

 レジェンドからの指導が、マウンドで発揮される。この年、中継ぎとして40試合に登板した宋は5勝、11HP、防御率1.73をマークし、セットアッパーとしてチームの信頼を勝ち取ったのである。

 このポジションで不動の存在となりつつあった宋は、21年にも偉大な選手との出会いによってバージョンアップを果たす。

 それが、田中将大である。

 球団初の日本一となった13年。24勝無敗と驚異的なパフォーマンスを発揮し、翌年からメジャーリーグの名門であるヤンキースでプレーしていた田中が、7年ぶりに古巣復帰を遂げた。憧れのスターが、同じグラウンドにいる。そこには心を躍らせる自分がいたと、宋は覚えている。

「田中さんが楽天に帰ってきてくれたことは、私にとっても光栄なことでした。田中さんは先発で私はリリーフのため、練習メニューなどの違いがあり接する機会は多くありませんでしたが、だからこそ吸収できるところはしようと意識していました」

 宋が田中から学習したなかで、一番に挙げるのは修正能力の高さである。

 その時点で足りない部分。またはパフォーマンスが低調だった試合で原因を突き止め、的確なアプローチで立て直す。そんな田中の姿勢を注視していくことで、宋自身もリリースポイントの位置をはじめとしたピッチングフォームの微調整に余念がなくなった。21年はキャリアハイの63試合に投げ27HP、防御率2.23。成果は目に見えて表れた。

 郭源治と田中将大。

 台湾と日本のレジェンドから薫陶を受けた宋は、僅差のしびれるマウンドでも動じず、シーズンを通しても好不調の波が少なく、ベンチから全幅の信頼を寄せられるピッチャーとなった。そして、台湾人プロ野球選手で"最強のセットアッパー"にまで上り詰めた。

【台湾の学生たちの目標になりたい】

 25年はシーズン開幕前の2月に右ひざ外側の半月板を縫合する手術をしたため、一軍での登板は10試合に終わった。だからといって、球団の宋に対する評価が落ちたわけではない。契約延長が何よりの証左だ。

 宋も意気に感じ、今シーズンへ向けこのようにコメントを残している。

「私自身、そして家族も東北と仙台がとても大好きで、この街にいつも温かく迎えていただき、心より感謝しています。来季(今シーズン)は何よりも健康を保ち、万全な状態の宋家豪でシーズンに臨みたいと思っています」

 日本プロ野球で10年。通算348試合に登板する楽天のセットアッパーには、東北で、日本で腕を振り続ける絶対的な使命がある。

 台湾人選手として先人の偉大なる意思を受け継ぎ、日本でのプレーを夢見る後進への指針になることだ。

「私がこれからもっと日本のプロ野球で活躍することで、台湾の学生たちの目標と思ってもらいたいです。私がそうであったように、次の世代にバトンをつなげられるようにもっと頑張らなくてはいけませんね」

 今では日本語もだいぶ慣れてきた。囲み取材やインタビューでは通訳を介すが、そうでない場面ではチームメートたちと気軽に会話できるまで上達している。

 宋が大好きな日本語。

「お疲れ様です」

 台湾生まれのプロ野球選手が、日本に馴染めば馴染むほど、後輩たちは「宋さんのようになりたい」と夢を馳せ、目を輝かせる。