初の甲子園も宿舎ではクーラー禁止 1968年夏、2年生エース・太田幸司投手(元近鉄、巨人、阪神)を擁する青森県立三沢高は…

初の甲子園も宿舎ではクーラー禁止

 1968年夏、2年生エース・太田幸司投手(元近鉄、巨人、阪神)を擁する青森県立三沢高は甲子園大会に初出場した。1回戦(8月10日)は鎮西(熊本)を7-0で下し、初勝利。2回戦(8月16日)は海星(長崎)に1-3で敗れたが、貴重な体験だったという。思い知ったのは青森とは違いすぎる暑さ。「10球くらい全力投球したら、ハァハァハァって」。体を冷やしたらいけないということで宿舎ではクーラー禁止。「なかなか寝られなかった」と苦笑しながら話した。

 1968年の全国高等学校野球選手権大会は第50回記念大会。当時は北奥羽、西奥羽、東関東、北関東、西関東……など複数の県で代表を争っての出場30校制だったが、この年は記念大会ということで1府県1代表(北海道は2校、東京は1校)の出場48校制となり、三沢高は青森大会を優勝して甲子園初出場を果たした。

「夜行で上野まで行って、で、東京から新幹線。『うわっ、新幹線だ』ってなって『富士山が見えたぁ』とか、最初はそんなんでしたね。新幹線の中は当然、クーラーが効いていたんだけど、新大阪に着いて、ドアがバーッと開いて、1歩出たら、モワーってなってねぇ。宿舎は(兵庫県)宝塚で、その近くのグラウンドで練習したんですけど、10球ぐらい全力投球したら、もうハァハァ言って、こんなんで試合で投げられるのかなぁと思うくらい暑かったですね」

 まずは暑さとの戦いで、それは宿舎でも続いたという。「あの頃は体を冷やしたらいけないからってことでね、部屋にクーラーがついているのに、使えなかった。夜も暑くて、なかなか寝られなくてねぇ。夜中にこっそり風呂場に行って、水をかぶったりとかもしていましたよ」。それでも初の聖地に気持ちは高ぶった。2年生だった太田氏は、青森大会まで背番号11をつけていたが、甲子園大会から背番号1になった。

「宿舎で背番号を渡されて『今日から太田が1番をつけろ』って言われて。(それまで1番だった)先輩は投げていなかったけど、申し訳ないなって思ったのと、(大ファンだった阪神投手の)村山(実)さんと同じ11番の方が、俺もいいのに、とか思いながら……。嬉しいやら、複雑な気持ちでしたね。まぁ、それも思い出ですけどね」。

マウンド上で膝はガクガク、口は乾くし…

 夢の甲子園では舞い上がったという。「初めて甲子園のツタを見た時は『おおお!』ってなりましたしね。で、足を踏み入れたらね、青森大会では石ジャリジャリのグラウンドだったのが、サクサク、芝生はシュルシュル。『うわーっ、これが甲子園かぁ』って、もう見るもの、聞くもの何でも『うわ、やっぱり!』でしたよ」。その状況で1回戦の鎮西戦にも挑んだそうだ。

「それまで青森県以外のチームとは練習試合もしたことがなかったですからね。全国レベルというのは、どんなものなのか。ピッチャーとしての自分の力も全国レベルではどのくらいなのか、何もわかっていなかったですから。今でも思い出しますよ。甲子園のマウンドで膝がガクガク、ガクガク。もう緊張しちゃって、口は乾くし……。ホントにもう、とても試合をするような感じじゃなかったんですよ」

 にもかかわらず、結果は1安打完封の7-0だった。「ムチャクチャ緊張していたんですけど、ボールを投げたらグワーンって、いい球がいったんですよ。だから2パターンあるんじゃないかと思います。もう舞い上がって全然駄目なタイプと、火事場の馬鹿力じゃないけど、力以上のものが出るタイプがね。僕はあの時、運良く、力が出る方へ行ったんでしょうね。”あれ? これ、いけるな”って感じでね。味方も地方大会でも7点なんて取ったことなかったのに、どうなっているの、みたいな、そんな試合でしたね」。

 途中からナイター照明もついた第4試合だったのもよかった。「もうギンギンの太陽はないし、ちょっとは涼しいというか、まだマシだったんでね。1安打完封でしたけど、その1安打もどん詰まりのセカンドゴロで、イレギュラーかなんかしたのか知らないけど、先輩(二塁手)の宮崎さんがトンネル。普通トンネルだったらエラーですけどね(笑)。後に冗談で『宮崎さん、あれエラーでしょ、エラーだったら俺、ノーヒットノーランだったよ』なんて言ったりもしましたよ」。

 この快投で太田氏はさらに注目されるようになった。「取材とかも何か増えてきた感じで……」。まだ、この時は女性ファン大熱狂の「コーちゃんフィーバー」こそ起きていなかったものの、甘いマスクの快速球右腕として高校野球ファンには認知されはじめた。だが2回戦は海星に1-3で敗退。「あれは第3試合かな、あの時は暑くてもう投げる前からフーフー言っていたら初回にホームランを打たれた。でも(6安打完投で)ガンガンに打たれたわけではなかったですけどね」。

 初の聖地は2回戦敗退で終わったが、収穫も多かったという。「まぁまぁ全国レベルに投げられるな、というある程度の自信を得て“よし、これで3年生になったら……みたいな“お土産”を持って地元に帰りました。でもそれも、初戦で舞い上がったままバラバラになっていたら次もなかったかもしれない。だから振り返ったらポイント、ポイントでいい方へ、いい方へ、何か流れていったなって感じでしたね」。この夏が序章。太田氏の「甲子園ドラマ」はこうして幕を開けた。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)