<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):フィギュアスケート>◇男子フリー◇13日◇ミラノ・アイススケートアリーナ鍵山優…
<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):フィギュアスケート>◇男子フリー◇13日◇ミラノ・アイススケートアリーナ
鍵山優真(22=オリエンタルバイオ/中京大)が2大会連続の銀メダルを獲得した。前回22年の北京五輪に続き、団体と合わせて全て銀の通算4個目メダルは日本勢単独最多となった。男子の表彰台も日本勢5大会連続、同時獲得も3大会連続。勝てただけに悔しい内容も、父正和コーチ(54)との旅は再びメダルに到達した。初出場の佐藤駿(22=エームサービス/明大)はSP9位からの銅メダルに涙。SP首位の世界王者イリア・マリニン(21=米国)は歴史的失速でフリー15位の総合8位まで沈んだ。五輪史に残る大波乱を制したのは、同じ21歳の伏兵ミハイル・シャイドロフ(カザフスタン)だった。
勝てた。結果論が悔しさを募らせる。鍵山が「谷の方が多かった」と振り返る4年間を象徴した、苦悩の4分間。「雰囲気にのまれている」と父だけが表情で察した。直前練習、止めさせて声をかける。しかし魔物は2度目に現れた。緊張すると上体が浮く癖が出て「世界一美しい」冒頭の4回転サルコーから乱れた。
切り札として投入した4回転フリップも、直前は美しかったが、本番は転倒。それでも「普段の試合なら一気にガクッて気持ちも下がっていたと思うけど、五輪の舞台で挑戦することが大きな成果。絶対に最後まで諦めずに滑り切る、という強い意志」で諦めない。当地ミラノのスカラ座で初演から100周年を迎えたオペラ「トゥーランドット」を舞い切ってから、イナバウアーで沸かせてから「ごめん」と手を合わせた。
初出場18歳の北京は怖いもの知らずの銀で父を泣かせ、エースとなった22歳の2度目ミラノは、不完全燃焼の銀で笑顔にさせた。優真が「(フリップも)4回転として形に残せたし、未練はない。父も『五輪だから全部こけてもいい。やり切ってくれれば十分』と言ってくれた」と目を細めれば、正和氏も「世界一の努力と言っても怒られない練習をしてきた。ただただ褒めたい」と肩をさすった。
父子そろって五輪2大会連続出場の偉業。長男は銀2個を2度、並べた。振り返れば奇跡だった。18年6月23日、中学3年の時に父が脳出血で倒れた。一命は取り留めたものの約5カ月間の入院。優真は、練習の動画を撮っては病床へ運んだ。「僕がうまくなれば、お父さん治るんだ」。下肢に障害が残り、正和氏は「こんな体で生きているなんて嫌だった。最悪のことも考えた」と絶望したが、愛息に救われた。「優真がスケートを選んでくれた。生きていく気力になった」。
親子で選手でコーチ。2人で行き着いた北京で最初の銀メダルをつかんだ後、父は「もう教えることはない」と専属指導からの決別を申し出た。「は? 何、言ってんの」と優真。返答期限の1カ月後に「僕は選手としても人間としても未熟。まだ、あなたが必要です」。一時は1人暮らしも始めたが、今は再び2人で住む。二人三脚は続いた。
そのミラノへの道は苦難が続いた。左足首の疲労骨折や、競技会から卒業した羽生や宇野から継承したエースの重圧。マリニンに対抗しようと4回転を増やしては、自滅を重ねた。昨年の世界選手権は40・37点もの差で大敗。会場の米ボストンから振り付けでカナダ・トロントへ動いた後、ホテルで話し合った。父は「正直、厳しく練習姿勢を、覚悟を問いただした。40分間ほど。優真は一言も話さなかった」。終わると、息子は泣いて廊下に飛び出した。ただ、引きずらない約束の、いつものグータッチだけはして。
帰国後、父子の原点に戻る。5歳でリンクに連れて行き、氷をなめて遊んでいた頃と同じように、父は銀メダリストに1回転から教えた。優真が、目標シートにルッツやループなど高難度ジャンプを並べた構成を並べた時期もあったが、父は出来栄えに回帰。「本来の鍵山優真を取り戻す」と滑りから磨き直した。苦しみながらもスピン、ステップは全24人で唯一の最高判定レベル4を獲得。大波乱の中でも際立って輝いた。
4年間で優真は大人にもなった。06年のトリノ五輪で荒川静香が金メダルに輝き、今大会の開会式でも歌われた開催国が誇るオペラを、今季前の選曲時、父は「重圧。普通は選ばない」と思っていたが、長男は違った。迷いなく選択した。
五輪の直前には「人生で初めて」(正和氏)優真の意思で4回転フリップを投入。結果的に「今回は悔いが残る銀だけど…ミラノの地で『トゥーランドット』を完成させたかった思いはあるけど…」。苦悩を考えれば、メダルの色は同じでも前回より重い気がする。
金には届かなかったが「日本を引っ張る立場になって、どの試合も緊張するようになっていた中で楽しめた。挑戦できたことに大きな意味、学びがあった」。悔しくも、不器用な親子の歩みは最後、そっくりな笑顔をそろえた。2人の手元には、日本歴代最多4個のメダルがある。【木下淳】