◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽ノルディックスキー・ジャンプ 男子個ラージヒル(14日、イタリア・ミラノ) 【バルディフィエ…

◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽ノルディックスキー・ジャンプ 男子個ラージヒル(14日、イタリア・ミラノ)

 【バルディフィエメ(イタリア)14日=松末 守司】初出場の二階堂蓮(日本ビール)が銀メダルを獲得した。雨の中、1本目に140メートルの大ジャンプでトップに立っていたが、2回目で136・5メートルにとどまり、2本目140メートル超えで金メダルを獲得したDプレブツに届かなかった。

 「悔しい~。悔しいっす。絶対にドメン(プレブツ)も2本そろえてくるなあというのは分かっていたので、2本目失敗しちゃって。うまくいけばというのがどうしても頭によぎってしまった。もしかしたらまた銅メダルじゃないかと思ったけど、しっかり銀メダルを獲得できたので、失敗したジャンプもあったけど、まあ合格なんじゃないですかね」

 今大会で個人ノーマルヒル、混合団体の銅に続く3つ目のメダル。日本ジャンプ陣では五輪歴代最多となり船木和喜、原田雅彦、葛西紀明、小林陵侑ら歴史に名を残す偉大なるジャンパーたちと肩を並べた。

 初五輪でも臆することなく、個人ノーマルヒルで銅メダルを獲得すると混合団体では、堂々日本のアンカーとして大ジャンプを疲労し、銅メダル奪取の原動力になった。ノーマルヒルより大きいラージヒルでも公式練習で130メートル超えのジャンプを連発するなど、前傾姿勢の強い持ち前の攻撃的なジャンプを発揮していた。

 幼少期は世界選手権の出場経験のある父・学さんから技術指導を受け、毎日、腹筋などの日課をこなした。中学までにジャンパーとしての下地をつくり、その後は北海道の江別市からジャンプの聖地、下川町へジャンプ留学した。

 高校では、スモールヒル、ノーマルヒルをそろえた下川のジャンプ台で何本ものジャンプを飛んだ。ジャンプのスキー板ではなく、アルペンの板や、細いクロカンスキーで飛ぶこともあった。完璧な助走姿勢を組んで滑らないと、まっすぐには飛べない。この頃から助走路の滑りの安定感を養ってきた。岡部孝信や葛西紀明といったメダリストを輩出してきた「虎の穴」で素質を開花させ世界に飛び出すまでになった。

 挫折も味わった。スーパー高校生として早くから頭角を現したが、高校卒業時、所属を探していたが、企業から声がかからず引退危機に陥る屈辱を味わった。そこから「反骨心」を胸に前を向き続けた。

 身体能力もずば抜けていた。高校時代、ジャンプ台の横でアルペンのスキー板を履いたまま、突然、バク転をして周囲を驚かせた。サプライズは今も二階堂の代名詞。1月W杯遠征から一時帰国すると突然、結婚を発表した。父もまだ相手方の両親にさえ会っていない状況で電撃発表だったが、本人は「以前からこの日くらいにはと2人では決めていましたよ」と笑う。

 3つめのメダルを手にしたが、まだ物語は続く。最終種目は、エース小林陵侑(チームROY)と2人1組で挑む今大会から採用されたスーパー団体がある。4つのメダルなら五輪メダルでジャンプ陣最多となる。新星はここからさらに輝きを増していく。

 ◆二階堂 蓮(にかいどう・れん)2001年5月24日。北海道・江別市生まれ。24歳。江別大麻泉小―江別大麻東中―下川商高―東海大(中退)。父学さんも元ジャンプ選手。2023、25年世界選手権に出場し、26年1月にW杯初優勝。趣味は映画観賞。

 ◆日本ジャンプ陣の五輪1大会3つのメダル 1998年長野五輪団体ラージヒル金メダル、個人ラージヒル金メダル、個人ノーマルヒル銀メダルの船木和喜に次いで2人目。通算獲得メダル数も3個で船木、原田雅彦、葛西紀明、小林陵侑に並んで日本人最多となった。