<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):フィギュアスケート>◇男子フリー◇13日◇ミラノ・アイススケートアリーナ【ミラ…

<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):フィギュアスケート>◇男子フリー◇13日◇ミラノ・アイススケートアリーナ

【ミラノ=木下淳】冬季五輪の華、フィギュアスケートの2026男子は歴史的大波乱で幕を閉じた。2シーズン前の23年12月から個人戦14連勝、約2年2カ月間、無敗を誇った世界王者イリア・マリニン(21=米国)が撃沈。世界最高得点を持つフリーで、まさか過ぎる15位に沈んだ。ショートプログラム(SP)首位から、歴史的大失速の156・33点。自己ベストの238・に81・91点も届かなかった。合計も264・49点で総合8位。同じく自己記録333・81点から69・32点も下回った。

別人だった。冒頭の4回転フリップこそ成功させたが、世界で唯一自身だけが跳べる4回転半が、抜けて1回転半に。単発では世界一の得点源が1・04点にとどまった。

続く4回転ルッツは決めたが、次が再び抜けて4回転ループが2回転に。場内がざわめく。演技後半も4回転ルッツと、抜けて2回転になったサルコーの2つで転倒し、どよめき、そして悲鳴に変わった。

「やってしまった。本当に予想外…いったい何が起きたのか。正直、原因が分からないし、とても整理できない。スタート位置に立った瞬間、全ての感情が押し寄せてきて、対処し切れなかった。緊張に、圧倒されてしまった」

金メダルは伏兵の同じ21歳、ミハイル・シャイドロフ(カザフスタン)にさらわれた。失意の演技後、マリニンは真っ先にシャイドロフへ駆け寄って祝福。「おめでとうと言いに行ったんだ。誇りに思う。普段、僕たちは競い合う姿を見られて、仲の悪いライバル関係と思われがちだけど、実際は逆。喜びや励ましの関係なんだ」。この時だけは口調もなめらかだった。現実と受け止められたのは、この場面だけだったのだろう。

誰もが、ど真ん中に立って座ると思われていた表彰台にも、メダリスト会見にも、米国の若きスターで絶対王者の姿はなかった。イタリア国内のアイスショーにも出演し、断トツの一番人気でもあった中、悲嘆に暮れた。悪夢の始まりは、当地7日の夜だった。

団体SPを終えた深夜。米国連盟の関係者から電話が鳴った。「君が出なければ、負ける」。中2日の10日から始まる個人に向け、SPでお役御免、慣らし運転、のはずだった。当初は調整に専念する計画。だから「まだ状態は50%」の本音も出た。

今季途中、一時は袂を分かっていたラファエル・アルトゥニアン・コーチも、団体フリーから入国。猛反発したが、米USAトゥデー紙によると、その電話は「とても断れなかった」という。

日本が、ペア「りくりゅう」こと三浦璃来、木原龍一組と、女子の坂本花織のダブル世界王者で猛追してくることは明らか。仲間の劣勢が確実の状況に、マリニンは「分かりました」と受け入れるしかなった。

クワッドアクセル(4回転半)を含む全6種7本を予定していた4回転ジャンプを5本に減らし、ミスも出たが、金メダルに貢献。「自分が下してきた判断の中で最も賢明なもの」と胸を張った。しかし確実に、心身はむしばまれた。

個人のSPこそ、直前の公式練習を回避するなど独自の調整が奏功して首位。この時点で、まず4日間で3試合。フリーまで日は空いたものの、わずか1週間で4試合の過密日程を強いられた。

2カ月前のグランプリ(GP)ファイナルでそうだったように、SPで鍵山優真(オリエンタルバイオ/中京大)に15点差をつけられても、フリーで反対に30点弱の差をつけて倍返しできる、異次元のベースがある。この日も、構成を抑えても完勝できたはずだが「クワッド・ゴッド(4回転の神)」のプライドを貫いた。五輪の舞台で、後にも先にもない全6種を成功させる。彼もまた夢を追い、散った。

もちろん、団体で連投しなかった鍵山にもミスがあった。自身と同じように連投したスティーブン・ゴゴレフ(カナダ)はフリー2位と躍進した。単純比較はできない。ただ、団体もフリーも、マリニンだけが金メダルを宿命づけられた。その期待は、初出場の21歳には酷だった。

「優勝候補の重圧は苦しかったし、自信過剰だったのかもしれない」

そして、得点を待つキス・アンド・クライで「北京に出ていれば…」とも、こぼしたという。

その4年前を悔やみ、頭を抱える関係者はいるだろう。22年北京五輪の代表最終選考会となった全米選手権。シニアデビューした17歳のマリニンは、ネーサン・チェンに次ぐ2位に食い込んだ。しかし、実績から代表3枠目には4位のジェーソン・ブラウンが選ばれた。

北京五輪で金メダルを獲得したチェンも18年の平昌大会で地獄を見た。初出場のSPで、まさかの17位。フリーは1位で希望の締めくくりとし、リベンジを期した4年後にSP、フリーとも1位の完全優勝を果たしたことで、経験の大切さを証明し、際立たせた。

チェンの伝説フリーを超えて世界記録を樹立したマリニンでも、同じ道を歩んで、失敗を経験しないと、頂点にはたどり着けないのか。オリンピアンのロマン・スコルニアコフとタチアナ・マリニナを両親に持っても、あくまで経験を聞くことしかできない。自身の体験が、たとえ惨劇であれ必要だったことは悲しすぎる。

絶対王者は、周囲から、そして自分自身の期待に押しつぶされた。「五輪は、他の大会とは全く違う雰囲気だった。これからどうするか、考えなければいけないけど…」。教訓を糧にするしかないが、今はまだ、聖地の悲鳴だけが脳裏に響き続けている。

◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。飯田高-早大。4年時にアメフトの甲子園ボウル出場。04年入社。文化社会部時代の08年ベネチア映画祭でイタリア初出張。ミラノは2度目。東北総局、整理部、スポーツ部。23年からデスク。25年からDCI推進室と兼務。高校野球の甲子園取材は春2回夏3回。サッカーW杯は1回。五輪は夏3回冬2回。五輪パスはE、Es、ET、Ecの4種を保有している。