◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽フィギュアスケート (13日、イタリア・ミラノ) 【ミラノ(イタリア)13日=大谷翔太】 フ…

◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽フィギュアスケート (13日、イタリア・ミラノ)

 【ミラノ(イタリア)13日=大谷翔太】 フィギュアスケート男子で、鍵山優真(オリエンタルバイオ・中京大)が2大会連続となる銀メダルを獲得した。団体銀に続く2個目で、22年北京大会から日本勢初となる連続ダブルメダル。通算4個目は、日本フィギュア最多となった。男子のエースとして果たした重責。ただこの4年間の歩みは、平坦なものではなかった。父・正和コーチ(54)との二人三脚。親子の絆で歩みを紡いできた。

 愛息が首にかけるメダルを、優しい表情で父の正和コーチはみつめた。フリーの演技は、決して完璧なものではなかった。ただ「五輪なので。文句を言わず、喜んであげようと思います」。4年間の積み重ねを一番側で見てきたからこそ、認めてあげた。

 昨季の25年世界選手権。ライバルのマリニン(米国)に40・37点差をつけられ失意の3位の中、正和コーチは自身を重く省みていた。「かわいそうなことを、してしまった」。同シーズン、クワッドアクセル(4回転半ジャンプ)を含む6種の4回転を操るマリニンは安定した活躍。自然と視線が向き、ジャンプなどの技術点を求める指導に重きを置いていた。

 シーズンが深まるにつれ、正和コーチは感じていた。「彼の一番大事なところ、一番いいところを削ってしまった」。マリニンに抗うべく、高難度の4回転フリップやルッツを練習。だがその分、世界一美しいと称された4回転サルコーの出来栄え点は下がり、武器である表現や滑りの美しさに陰りが出た。想像以上だった、ジャンプへの重圧から来る練習への負担。時に鍵山は「もう、跳び方が分からない」とこぼした。前の日に調子がよくても、次の日には何もできなくなってしまう。「跳び方が、本当に分からないんだと、優真が嘆いたこともあった」。父は当時、その言葉が甘えとさえ捉えた。「練習が足りないから、跳べないんだって。練習でのストレスを、押しつけてしまっていた。マリニン選手を見過ぎていた」。気がついた時には、スケートを楽しむという気持ちが失われていた。

 鍵山はその世界選手権前、ノートに五輪シーズンに向けた練習方針を書いて父のもとに持ってきた。そこには、高難度のジャンプを組み込む意向が書かれていた。一度は受け取ったが、大会後に優真を部屋に呼んだ。「お前の一番いいところを、伸ばしていく。演技構成点でオール満点を狙って、200点に近づけよう」。ジャンプへのストレスからの解放。元々鍵山は、ジャンプよりもスピンや表現、踊ることが好きだった。演技構成点で、満点を狙う―。世界一とも言える滑りの技術で、勝負の五輪イヤーに臨むと決めた。 

 フリープログラムに選んだ「トゥーランドット」。ローリー・ニコル氏の振り付けが完成し、正和コーチは思った。「これが、フィギュアスケートの原点だ。点数を競う試合に出ることすら、もったいない」。そう思うほどの芸術性だった。見せ場「イナバウアー」を披露するコレオシークエンスを始め、ステップや技のつなぎまで極めた。正和コーチによれば、フィギュアスケートは氷上に跡をつけながら絵を描くことが発祥。ローリー氏から与えられた図形を描く基礎的な技術「コンパルソリー」も、空いた時間があれば行う。世界一の銀盤の表現者となるべく、心血を注いできた。

 氷上では選手とコーチの2人。氷を離れれば、普通の親子に戻る。スケートの話は、リンクに置いてくる。優真はお酒は飲まないため、食事中は正和コーチが晩酌しながら、一緒にネットフリックスでアニメを観る。シリーズが終われば『次、どれにする』と2人で選ぶ。同氏は「家に帰った時点で、2人はただの親と子なんです」と、優しく微笑む。とは言いつつ、時にコーチと父との感情が入り交じる時もあるという。「選手の頃に、会いたかったなと思いますね。選手として、彼と戦ってみたかった。彼と同じ時代をすごしていたら、僕も上手くなっていただろうし、もっとスケートを好きな気持ちになれたんじゃないかと思います」。素直な言葉が口をつく。

 今大会、団体SPでは審判全員がステップに満点を付けた。楽しそうに観客をあおる優真の姿に、正和コーチの頬も緩んだ。優真は言った。「この4年間、自分だけじゃ解決できないような悩みや試合の苦しさを味わって、一緒に乗り越えてきた。だからこそ、五輪というこの舞台で初日から楽しんで過ごせている」。そして最後は、父の言葉を胸に4分間を演じきった。「父も(ジャンプを)全部転んだとしても、全力でやりきってくれればそれで十分だから、と言ってくれたので。よく、頑張れたのかなと思います」。幼い頃のように楽しく舞い、夢舞台で再びメダルにたどり着いた。