夕日に染まる空に何度も何度も白球が打ち上がる。身長189センチ体重90キロ、背番号58の打球は初速スピードが違う。ユニ…
夕日に染まる空に何度も何度も白球が打ち上がる。身長189センチ体重90キロ、背番号58の打球は初速スピードが違う。ユニオンデサントスタジアム宜野湾(宜野湾市立野球場)の中堅は122メートルの距離があるのだが、バックスクリーンを破壊しかねない勢いで打球が次々に突き刺さっていく。
DeNA春季キャンプの居残り特打。圧巻の打球を放っていたのは、入団5年目の梶原昂希だ。桑原将志が西武に移籍した今季、定位置獲りが期待される選手である。
プロ5年目を迎えたDeNAの梶原昂希
photo by Kikuchi Takahiro
【乱高下するパフォーマンス】
この日、DeNAは「青白戦(せいはくせん/紅白戦のこと)」を実施。梶原は「1番・右翼」で先発出場し、5打数0安打に終わっていた。
試合前の打撃練習と、試合後の居残り特打では、打撃内容がまるで違うように見えた。試合前はコンタクト重視のスイングで、飛距離も控えめだったからだ。そんな印象を梶原に伝えると、こんな反応が返ってきた。
「試合前は方向と自分のバランス、形を意識して打っています。試合後は実戦で『もっとこうしたらよかった』という反省点を整理し、もっとシンプルに振り込みのために、強く振ることを意識しています」
それにしても、日本人離れした圧巻の飛距離だった。そんな感想を伝えると、梶原はポツリとこう漏らした。
「飛ぶのは飛ぶんですけどね」
初めて梶原を見たのは、今から8年前になる。神奈川大学リーグを取材した際、神奈川大の1年生に釘付けになった。当時、私はTwitter(現X)で次のようにポストしている。
〈神奈川大の5番センター・梶原昂希選手(1年・大分雄城台・188cm84kg・右投左打)は「今のうちに見ておくと将来自慢できるよ」と思う選手。糸井嘉男選手や柳田悠岐選手が引き合いに出されるのもわかる走攻守のスケール感で、完成度より夢を語りたくなる。まずは来年の大学代表入りを目指してほしい。〉(2018年9月24日・@kikuchiplayerより)
一目惚れだった。それ以来、私は折に触れて梶原の成長を確かめるため、公式戦の試合に足を運んだ。しかし、私はそのたびに首をひねった。
梶原のパフォーマンスをひと言で言えば「乱高下」。同じような空振り三振を繰り返したと思ったら、突然、特大ホームランをかっ飛ばしてみせる。誰が見ても、並外れたポテンシャルを秘めているのは間違いない。だが、「プロで成功する」と言い切るには勇気がいる。そんなスカウト泣かせの素材だった。
結局、大学では日本代表候補には選ばれるものの、「候補」止まり。2021年のドラフト会議でDeNAから指名を受けたが、6位という順位に梶原の評価が凝縮されていた。
【才能を削らないという選択】
未完のロマン砲。そんなイメージを抱いていたからこそ、2024年に規定打席未満ながら打率.292をマークした時は驚いた。梶原自身、「僕もビックリしました」と笑顔で振り返る。
当時、梶原を指導した石井琢朗コーチ(現・巨人二軍監督)とYouTube番組で同席した際、開花するまでの内幕を聞いたことがある。石井コーチはこう語っていた。
「あいつはポテンシャルが高くて、当たれば飛ぶんです。でも、当たらない(笑)。スイングが少しアッパー気味で、鈴木尚典コーチと『あの軌道を変えないとね』と話していました。ただ、あのポテンシャルを失いたくなかったので、あまり手はつけませんでした。あの天性の飛ばす力を失ってまで、小さくチョコチョコとまとまってほしくなかったので」
「2年前の交流戦の終わりくらいに『ちょっと変えてみようか』と伝えました。梶原の強みって、長打力もそうだけど、やっぱり足なんです。塁に出るためには、まずバットに当てなければいけない。それからはずっとペッパー(近距離から投げられた球を打者がバットの芯に当て、投げ手に返す練習ドリル)をやっていました。あいつも気に入ってくれたみたいで、取り組んでくれましたね」(『SYNCHRONOUS』/激白・石井琢朗「バッティングは打率じゃない」の真意より)
この指導が梶原にはまった。梶原も「ペッパーはバッティングの一番基礎的な部分ですし、効果は大きかったと思います」と証言する。
しかし、開幕から1番打者として期待された2025年は一転、試練の年になった。不振続きでレギュラーから外され、何度も登録抹消を味わった。出場数は前年から30も減り、61試合。夏場にやや盛り返したものの、打率.245に終わった。
梶原は迷いを抱えながら、打席に立っていたという。
「どうやって率を残すのか、自分のなかで迷いがありました。長打を求めていくのか、フォアボールを選んでコツコツと出塁を求めるのか。どっちつかずになって、はっきりしなかったところがありました」
【出塁率.314のジレンマ】
とくに梶原の悩みを濃くしたのは、出塁への意欲だった。高打率を残した2024年でも、351打席で四球数はわずか7個。出塁率.314は1番打者としては物足りない数字であり、梶原にとって選球眼は大きな課題だった。
だが、選球眼を意識することは、若いカウントから思いきりよくスイングする梶原にとっては諸刃の剣だった。梶原は言う。
「今となっては、自分の持ち味を消していたのかなと」
青白戦での梶原は結果こそ振るわなかったものの、初球から積極的に振り抜く場面が目立った。まだ調整段階ということもあり、梶原は「振るなかで合わせていきたい」と考えていたという。
「今日は自分がストライクと思ったら、ガンガン振りにいっていました」
この言葉を聞いて、梶原の大学時代が思い出された。神奈川大の岸川雄二監督が梶原に対して、こんなアドバイスを送っていたのだ。
「おまえが打てると思えば振っていい。世間のストライクゾーンとおまえのストライクゾーンは違うから」
梶原に「岸川監督も大学時代に言っていましたね」と聞くと、「そのイメージでやっています」という答えが返ってきた。
岸川監督は、梶原を発掘した人物と言っていい。岸川監督自身、神奈川大でリーグ通算22本塁打の連盟記録を持つ大型スラッガーだった。ドラフト4位で西武に入団するも、プロでは一軍出場なしに終わっている。
佐賀県出身で大分県の専門学校野球部で監督を務めた地縁もあり、まったく無名だった梶原の情報もいち早くつかんでいた。「こいつを育ててみたい」と梶原の才能に惚れ込んだ岸川監督は、大分に何度も通って神奈川大への進学を取りつけた。その後、梶原の存在に気づいたプロスカウトから、岸川監督は「やられたよ」と脱帽されたという。
私が梶原の存在を知った8年前、岸川監督は真顔でこう語っていた。
「あいつがプロに行けなかったら僕のせい。それくらいの選手だと思っています」
大学時代、梶原は岸川監督から絶えず「こぢんまりとするな」という言葉をかけられ続けていた。梶原ももちろん、同じ思いを抱いている。
「そうですね、最終的には大きくいきたいです」
【全盛期はこれから】
オフには柳田悠岐(ソフトバンク)の自主トレに参加し、格好のロールモデルから学んでいる。走攻守のスケール感を思えば、梶原が「師匠」のような大物に進化しても不思議ではない。
神奈川大からプロに進んで、一番変わったのはどんなところか。そう尋ねると、梶原はこう答えた。
「フィジカル面もですけど、一番は打席のなかでの頭の使い方ですね。大学の時みたいにただ打つだけではなく、根拠を持って打席に臨める回数が増えてきたのかなと」
大学時代は同じような三振を繰り返したと思ったら、突如ホームランを打つイメージだった。そう伝えると、梶原は「それは今も変わらないかな」と笑い飛ばした。それもまた、梶原の魅力と言い換えられるかもしれない。
「まあ、安定するにこしたことはないので。今季は年間通して波を小さくして、ある程度安定した状態で臨めたらと思います」
大学でスケール感を育まれ、プロで技術と思考法を学び、成功と試練を味わった。梶原にとってはすべて、必要な手順だったのではないか。そう尋ねると、梶原は首肯してこんな思いを語った。
「大学までは放し飼いみたいなものでしたから(笑)。プロでは最初は知らないことばかりでしたし、勉強になることも多かったです。プロも5年目になりましたけど、自分としてはまだまだ。状態としては悪いわけじゃないですが、詰められる部分はありますから。守備、走塁を含めて成長しないといけない部分もたくさんあります。まだまだ満足はいっていませんね」
今もオフには神奈川大に寄るという。岸川監督からは、どんな言葉をかけられるのか。そう聞くと、梶原は笑ってこう答えた。
「早くもっとカネ稼げって言われます」
話を聞いた2日後、梶原は今季初の対外試合になった中日戦で先制2ラン本塁打をマーク。幸先のいいスタートを切っている。
梶原昂希の全盛期はこれから始まる。そんな予感がしてならない。