野村克也を支えた“腹心”が「ノムラ野球」を語った(C)TsutomuBEPPU/CoCoKARAnext ヤクルトなどで…

野村克也を支えた“腹心”が「ノムラ野球」を語った(C)TsutomuBEPPU/CoCoKARAnext

 ヤクルトなどで監督を務め、現役時代は戦後初の三冠王に輝くなど活躍した野村克也氏が2020年2月11日に亡くなってから6年が経ち、この日で七回忌を迎えた。

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 ヤクルトの監督時代には9年間で日本一3回、リーグ優勝4回を誇り、チームの黄金期を築き上げた。その功績を陰で支えてきた名参謀の松井優典氏に話を伺った。名将と呼ばれる野村氏の七回忌について、松井氏はこう述べている。

「あっという間という感じですね。改めてノムラ野球を考えさせられるようなきっかけの七回忌になるんじゃないかと思います」

 野村氏との“最初の縁”は、松井氏が南海ホークスに所属していた時代までさかのぼる。野村氏が南海の兼任監督を務め「試合に使ってもらっていたけど結果が出ずにヤクルトへトレードとなった。気持ちが萎えている時に気合を入れられたこともありました」と振り返る。

 トレードにより縁は一旦切れたが、野村氏が1990年にヤクルトの監督に就任してから再び縁が始まる。松井氏はマネージャーやヘッドコーチとして、野村監督を支えることになる。

 「野球ばかり教えていてはダメ。人間的な成長なくして野球はうまくならないし、チームとしても強くならない」と話していたという野村氏の持論は、巨人をV9に導いた川上哲治氏のスタイルを意識したものだという。

 ノムラ野球は、データ重視の野球を実践する「ID野球」と称されるが、松井氏いわく「データというのは一部。一人ひとりの選手の成長、人間形成が大事で、トータルの人間力を成長させなければいけない」というのが、野村氏の本心だったと断言する。

 人間力こそがノムラ野球で「チーム力として、安定して勝っていくためのテーマだったと思う」と話す。

 そして、チームを勝たせるために選手の適性を見極め、必要な戦力として導いてきた手腕は「野村再生工場」と呼ばれた。

 ただ、松井氏は「野村再生工場の最低限の条件は、選手の心構え」だと話す。「切羽詰まって後がないという状態。野村さんのところにいったら何とかしてくれる、というのはダメ。何が必要かというのは、野村さんの“一言”が入ることで生まれ変わる」という。

 ヤクルトで1997年に15勝を挙げてリーグ優勝と日本一に貢献した田畑一也には「カーブの使い方」、同年に広島から移籍1年目の巨人との開幕戦で、いきなり相手エースの斎藤雅樹から3打席連続本塁打を放った小早川毅彦には「ヤマの張り方」を伝授した。

 また、松井氏は「再生工場ではないが」と前置きしつつ、ヤクルト黄金期を支えた飯田哲也も、野村氏の観察力が生んだ選手のひとりだと説明する。

 飯田には「捕手としてよりも野手としての能力が発揮できるという判断」を下し、不動の中堅手として7年連続ゴールデングラブ賞を獲得するまでの名手に育てた。

 選手の個々の能力を最大限発揮させるための観察力、そして野球選手として成功するための人間力を説いてきた野村氏。その功績は色あせることはない。

[文:別府勉]

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