<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):スピードスケート>◇9日◇女子1000メートル決勝◇ミラノ・スピードスケート競…
<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):スピードスケート>◇9日◇女子1000メートル決勝◇ミラノ・スピードスケート競技場
22年北京五輪金メダルの高木美帆(31=TOKIOインカラミ)が、日本勢3人目の3大会連続メダルを手にした。
18年平昌で銅、前回金を獲得した種目で、1分13秒95をマークして銅メダルを獲得。夏冬通じて日本女子最多メダルを8個に更新した。23年からヨハン・デビットコーチと「teamGOLD(チームゴールド)」を結成。過去2大会と異なる道を歩き、新たな勲章を手にした。残り3種目で、頂点を目指す。
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悔しさに満たされた。高木は最終組を滑り切り、目の前の掲示板に目をやった。銅メダルと分かり「完敗だな」。思わずよろけて、転びかけた。前回マークした五輪新記録を、同走したオランダのレールダムに0秒88更新された。ただ滑り終えた先に、ヨハンコーチが待っていた。5秒抱き合い「ブロンズ(銅)だったけど8個目のメダル。決して簡単なことではない」。4年の歩みをかみしめた。
「スピードスケートをやめるつもりだった」。22年北京後、思いは揺れた。18年平昌から7つのメダルを獲得。十分な結果だった。それでも迷いながら、練習を積んだ。金銭的にもサポート体制も恵まれた日本スケート連盟のナショナルチーム(NT)を離脱。異例の選手1人での活動を始めた。ただ、厳しい練習に仲間がいない。一緒に滑る相手がいない。他チームが練習する隊列に紛れた。どんどん生気を失った。「このままでは続けられない」。新たな形を模索した。
23年5月。「teamGOLD」を結成した。10年在籍した日体大に別れを告げ、所属を変更。選手6人でチームを組んだ。仲間は見つかった。それでも別の苦しみが待っていた。NTに匹敵する環境を整えるため、プロ野球で言えば「オーナー兼フロント兼選手」になった。スポンサーと直接顔を合わせ、「高木美帆」としての契約金をチームの運営資金にも回した。海外合宿時のスタッフ配置、連盟との情報共有。考えることもやることも、山ほどあった。1人のスケーターとしての枠を超えた。「自分が重要事項を最終決定しなくてはいけないことも多かった」と吐露した。
常に支えられたのはヨハン氏だった。地元オランダ企業から資金を募り、チームメートへの声がけを担った。選手としての自分を尊重してくれた。「年間億単位の活動費が必要だ」。ときにむちゃな要求もありながら“二人三脚”で歩んだ。「ヨハンに出会えたのはすごく運がよかった。お互い歩み寄る努力で、信頼関係ができた」。コーチ、仕事のパートナーとして4度目の舞台への道を進んだ。
今大会最初のレースを終え、表彰台で胸元を確認した。「あぁ、銅メダルなんだ」。目指したゴールが違うと再確認した。「7個のメダルは過去のもの。目の前のレースのことを考える」。最大目標に掲げるのは2大会連続銀の1500メートル金メダル。ゴールドだけが心を満たす。【飯岡大暉】
◆日本勢の冬季五輪3大会連続メダル 高木が3人目で、女子では初。22年北京大会でスノーボード男子の平野歩夢が史上初めて達成。ハーフパイプで14年ソチと18年平昌で銀メダル、北京で金メダルを獲得。4日後にノルディックスキー複合男子の渡部暁斗も達成。ソチ、平昌と個人ノーマルヒルで銀メダルで、北京で個人ラージヒルと団体で銅メダルを手にした。
◆高木美帆(たかぎ・みほ)1994年(平6)5月22日、北海道幕別町生まれ。兄、姉の影響で5歳からスケートを始める。札幌中3年で日本スピードスケート史上最年少で10年バンクーバー五輪出場。7歳で始めたサッカーでもナショナルトレセン女子U-15メンバーに選出された腕前。帯広南商-日体大卒。18年平昌五輪で団体追い抜き金など3個のメダル。18年世界選手権総合優勝。22年北京五輪では1000メートルの金など冬季の日本勢で1大会最多の4個を獲得。165センチ。
◆飯岡大暉(いいおか・だいき)新潟県加茂市生まれ。学生時代はサッカー部に在籍。小柄な見た目に反したプレーから「鈍足」と呼ばれる。2019年に入社し紙面レイアウトを担当する整理部に配属。デジタル広告の営業企画部をへて24年4月からスポーツ部。パリ五輪後に五輪班に所属し、今回が初めての五輪。スピードスケート、カーリングを主に担当する。新潟県産コシヒカリを手に現地入りした。