スノーボードの女子パラレル大回転で、日本女子最多となる五輪7大会連続出場を果たした竹内智香(42)=広島ガス=が、現役…

 スノーボードの女子パラレル大回転で、日本女子最多となる五輪7大会連続出場を果たした竹内智香(42)=広島ガス=が、現役最後と位置づけたレースで予選22位。決勝トーナメントに進むことができなかった。「気持ちよくコースを滑れて、いい終わり方ができた」と振り返った。実家は北海道・旭岳温泉で旅館「湧駒荘(ゆこまんそう)」を経営。竹内家の次兄で社長兼料理長を務める崇さん(45)が、女子スノボ界を引っ張ってきた妹の競技人生をねぎらった。(取材・構成=宮下 京香、手島 莉子)

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 長年、女子スノボ界をけん引してきた妹がラストレースを終えた。引退を表明した昨年5月の記者会見をWEB配信で視聴した崇さんは「年齢が年齢で、いつやめてもおかしくない状況でしたので、悔いなくいい形で終わってくれれば、それに越したことはないと思っていました」と心境を語った。日本女子最多7度の五輪出場で、スノボ界を大きく盛り上げてきた竹内。「1回でも身内として五輪という空間を共有できることもすごいことで、それを7回やってくれた。本当にありがたいと思っていますね」と感謝を込めた。

 崇さんとの思い出が、競技の根底にある。竹内が14歳の時、テレビで見た98年長野五輪がきっかけで一緒にスノーボードを始めた。オリンピアンの滑りに感化され、当時は東川町のスキー場に「冬はナイターで毎日滑りに行っていました」ととにかく兄との時間が楽しかった。その後、崇さんは高校卒業で地元を離れ、竹内は高校からさらに本腰を入れて競技に力を入れるようになった。

 実家で過ごす時間は、竹内にとって大切だった。14年ソチ五輪で女子スノボ界初の銀メダルを獲得。18年平昌五輪で5位入賞した後は約2年半、競技を離れた。当時は湧駒荘に帰り、友人と宿泊してスキーを滑ったりリフレッシュ。「張り詰めたものがあったので、休みたかったのかな」。実家で心身共に休息し、海外でお世話になっている方々を招くこともあった。

 東川町で行う次世代スノーボーダーの育成事業など、竹内は競技の普及にも力を尽くしてきた。崇さんも協力しながら続けてきた事業で「引退後も続く事業なので、続けてもらいたい」と今後はさらにきょうだいタッグが増えるかもしれない。「本人が集大成と言っている以上、2月8日に悔いなくいい結果を出してもらいたい」。メダルには届かなかったが、第一人者として力を出し切った竹内。家族の思いも胸に第二の人生を歩み始める。