◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽スノーボード女子パラレル大回転予選(8日・リビーニョ・スノーパーク) 【リビーニョ(イタリア…

◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽スノーボード女子パラレル大回転予選(8日・リビーニョ・スノーパーク)

 【リビーニョ(イタリア)8日=宮下京香】女子でミラノ・コルティナ五輪を最後に現役引退を表明している2014年ソチ五輪銀メダルの竹内智香(42)=広島ガス=が、競技生活27年のラストレースで予選敗退した。

 ラストレースを滑りきった竹内の表情に、万感の思いが込み上げた。日本と練習拠点のスイスから約60人の応援団が駆けつけ、最前列には日の丸が張られた。異例の“ホーム”ムードで背中を押された42歳のレジェンドは予選で敗退したが、温かい拍手が送られた。試合後、取材エリアでは「楽しかった。本当に恵まれた人生だと思っています」と涙するシーンもあった。

 竹内の試合後の一問一答は以下の通り。

―五輪を終えての感想「楽しかったです。雪もすごい良くてコースも長くてすごい楽しかったんですけど、1本目は本当に楽しいなって思いながら滑ったんですけど、ちょっとラインが回しすぎてしまってタイムが伸びなかった。2本目はすごく良い滑りができたと思います」

―結果について「もちろん決勝に行ければ最高ですし、あと4本滑ることが望んだ形ではあるんですけど、でもやっぱりこれがスポーツですし、五輪ですし、できる全てを尽くして、良いパフォーマンスができたと思っています」

―いろいろな方から声をかけられている、改めて引退の実感「改めてやめるとも思っていますが、でも全然W杯の舞台にも五輪の舞台にもまた遊びに来たいと思っていますし、選手としては終わっても、この友達関係、この舞台にいることが続くと思うと、そんなに寂しくないですね」

―スタートに立つ前の心境はいつもと違った?「すごく何かスペシャルに感じたかというと、そうではないんですけど、でもやっぱり、ここに入ってから、あと何回寝たらとか、あと十何時間で自分の競技人生が終わるんだなと思うと、それはすごい特別な感情でした。こういう風に最後を迎えられると思っていなかったので、こんなに楽しく、良い気持ちでこの日を迎えられて幸せだなと思いました」

―競技人生を改めて振り返って「長野五輪を見てこの世界に憧れたからこそ今があります。五輪を目指したからこそたくさんの友達が世界中に増えて、応援してくださる方たちも増えた。スノーボードってたった一つのツールから、メディアの皆さん、たくさんの人と出会うことができたので、改めて、人生ってすごくおもしろいなって思っています。これから先の競技人生を終えてからの方が、人生長くないかもしれないですけど(笑)。80歳まで生きたとしても後半分なので、折り返しくらいにいるかもしれないですが、また新しいゴールを見つけて、今以上の人生にしていきたいです」

―涙もあった「あやのちゃんが先に涙を流して、フライングして、ずるいと思ったんですけど、そういう風に駆けつけてくれる友達がいたりとか、本当に返信しきれないくらいのたくさんのメッセージをもらって。本当に恵まれた人生だと思っています」

―今後どんな人生にしたい?「7大会でてきたからこそ、五輪も変わったなって思いますし、時代の流れの中で、ルールもそうですし、いろいろなものが変わりゆく中で、私たち人間が適応していかなければいけないこともたくさんあります。自分たちのエゴで何かをやりたいとか、何かを主張するのでは無く、五輪、スポーツが伝えられることはたくさんあると思う。それをしっかりと伝えていくことが次の自分の次の立場になる。そうすることで、いつか日本の人たちが、是非五輪をやりたいって、私たちから働きかけるのではなく、日本人のみんなから五輪っていいねって、またいつか日本に五輪が来るような活動もしていきたいと思っています」

―今一番やりたいこと「やっぱり競技をしていく中でいろいろなプレッシャー、ストレス、制限を感じるんですけど。これからは自分がやりたいときにトレーニングして、山を登って、ロードバイクをして。自分の時間軸でスポーツと向き合って行けると思いますし、特にこの1年間はスポンサーの皆さんや応援してくださる皆さんが私の時間を最優先にしてくださった。これからは自分の時間をたくさんの人に使っていきたい」

―竹内選手が滑るときに「トモカコール」があった「聞こえていなかったです。テレビで見たいです。本当に、たぶん日本から4~50人。スイスから2~30人。どんどん来てくれる人が増えて、改めて五輪って最初たぶん、うちの両親が来ていたときは20万円くらいで来られていましたが、今は4倍、5倍の値段になっていますし、来ること自体簡単ではないご時世で、これだけ来てくれたと言うことが、本当にうれしい限りです」

―7回目の五輪「一番は7回出続けることはすごく難しいことだと思います。自分が健康で、応援してもらえて、成績がちゃんと伴って。コロナとか、いろんなことがあったと思うんですね。戦争で五輪に出られなかった人たちもたくさんいると思いますし。この7大会、この時期に生きていられたことも一つの運だと思います。運、人との出会い、全てに恵まれたこの7大会が、ありがたい限りです」