<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):ジャンプ>◇7日◇女子個人ノーマルヒル決勝◇プレダッツォ・ジャンプ競技場【プレ…
<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):ジャンプ>◇7日◇女子個人ノーマルヒル決勝◇プレダッツォ・ジャンプ競技場
【プレダッツォ7日=保坂果那】初出場の丸山希(27=北野建設)が、今大会日本勢第1号となる銅メダルを獲得した。1回目97メートルで3位、2回目100メートルで合計261・8点。前回の22年北京大会は開幕約3カ月半前の大ケガで出場を逃した。苦難を乗り越えて、4年後に日本女子では18年平昌大会銅メダルの高梨沙羅以来2大会ぶり2人目のメダリストとなった。
◇ ◇ ◇
立ちたかったけど、立てなかった五輪舞台。「最初の方はずっと泣いていた」という日々を乗り越えた4年後。丸山は、表彰台で笑った。現地時間の午後8時31分、2人を残して飛んだ2回目、100メートルの大ジャンプを決めて右手ガッツポーズ。首位に立った。メダルを手中にした瞬間だった。迎えてくれた高梨や伊藤、先輩たちが喜ぶ姿を見ると目を潤ませた。逆境をはねのけた勲章を胸に下げ、「ここまで来るのにすごく長かったけど、こうしてメダルを取ることができて、スキージャンプを続けてきて良かったなってすごく思う」と喜びをかみしめた。
悪夢に襲われたのは21年10月24日。全日本選手権(札幌市大倉山)で着地の際に転倒し、左膝前十字靱帯(じんたい)を断裂した。北京大会での初代表入りが濃厚だっただけに、ショックも大きかった。あこがれの五輪。どうしても諦められず、強行出場する方法も探したが、万全になるには間に合わない。「その状態で出てもメダルが取れるわけない」。自分の目標は五輪出場なのか-。涙を拭い、松葉づえでの歩行トレーニングから4年後への挑戦はスタートした。
大好きな家族との別れがあった。飯山高3年だった17年1月に母信子さんが病気で亡くなった。高校2年の冬。同シーズンのユース五輪と世界ジュニア選手権の代表入りを逃し、1カ月ぶりに帰宅して落ち込んでふて寝をしていた。家族で経営する民宿は繁忙期。手伝いをしないことに怒った信子さんに、「大学に行くな」と、明大の願書を破られた。もうすでに病魔と闘っていた時期。「私がダメだったので、力を振り絞って怒ってくれたのかな」と思い起こす。あの時の鼓舞を忘れない。
長野・野沢温泉村で育ち、兄と姉に続いて小学4年から本格的に始めたジャンプ。「3兄弟で一番センスがなかった。スキップもできなかった」という末っ子が、今季W杯で初勝利から一気に6勝を積み上げて、4年に1度の大舞台で輝いた。「この4年間頑張ってきて良かった」と報われた。天国の母へ「見ててくれたらうれしい。『取ったよ』って帰ったら報告したい」と思いをはせた。【保坂果那】
◆丸山希(まるやま・のぞみ)1998年(平10)6月2日生まれ、長野・野沢温泉村出身。小学4年でジャンプを始める。飯山高、明大をへて21年北野建設入り。W杯は18年12月リレハンメル大会でデビューし、個人通算137戦出場、優勝6度、表彰台15度。世界選手権は19年ゼーフェルト大会から4大会連続で出場。家族は父と兄、姉。
◆保坂果那(ほさか・かな)1986年(昭61)10月31日、北海道札幌市生まれ。13年から高校野球などアマチュア野球を担当し、16年11月からプロ野球日本ハム、17年12月から北海道コンサドーレ札幌を担当。冬季五輪は2大会連続の現地取材で、今大会はノルディックスキーやカーリングを担当。98年長野五輪に感動した小学5年時、「次の02年ソルトレークシティー五輪は中学3年だから高校の受験勉強で見られないけど、06年トリノ五輪は、浪人しなければ大学1年。たっぷり五輪を楽しめるな…」と、11歳で人生計画を立てていたくらい、五輪マニアだった。