◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽ノルディックスキー・ジャンプ(7日、プレダッツォ・ジャンプ競技場) 【バルディフィエメ(イタ…
◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽ノルディックスキー・ジャンプ(7日、プレダッツォ・ジャンプ競技場)
【バルディフィエメ(イタリア)7日=松末守司】初出場の丸山希(北野建設)が銅メダルを獲得した。日本選手団の今大会メダル第1号となった。1本目で3位につけ、ガッツポーズも飛び出した2本目でも表彰台圏内を死守した。「苦労した4年間だったので、ここでまさか初日で取れるとは思っていなかった。ノーマルヒルで銅メダルを取ることができてすごくうれしい」。27歳のニューヒロインが、歴史に名を刻んだ。テレビインタビューでは涙ぐむ場面も見られ、「涙は嬉しかったからです。天国のお母さんにとったよと伝えたいです。ゴールドメダルじゃなくて怒ってるかもしれないですね。日本勢に勢いがつけばいいかなと思います」
悲劇を乗り越えて、初の大舞台で快挙を成し遂げた。有力選手として迎えるはずだった2022年北京五輪を控えた21年全日本選手権。着地で転倒し、左膝前十字靱帯(じんたい)損傷などの大けがを負った。
悔しさにまみれたものの、奮起した。高校時代の恩師、飯山高の久保田監督は「あのころのジャンプは本当に良かった」と話したように、最高のジャンプを取り戻すため、必死に気持ちを切り替え、再び歩き始めた4年間だった。
歩くことから始めた苦しいリハビリをこなした。そして22年8月に実戦復帰。その復帰戦となった札幌市長杯宮の森サマージャンプ大会で優勝し、劇的なカムバックを遂げて大舞台にたどり着いた。
兄、姉の後をついてスキーを履いたのは小2のころ。ジャンプ台が遊び場になり、小4で地元のジャンプクラブに入り、競技を本格的にスタートした。高校までは複合との「二刀流」で力をつけてきた。18~19年シーズンから本格的にW杯に参戦。なかなか結果がでなかったが、25~26年の今季、開幕から3連勝し、その後、3勝を加え、一気にブレイク。遅咲きのニューヒロインは、一気にメダル候補になった。
今季の躍進のカギは「足裏」にある。今夏、ジャンプの生命線とも言える助走路の滑りで、足裏の重心の位置を意識し続けた。踏み切りでしっかり力を伝えるためだが、陸上トレーニングはもちろん、ブランコの上でアプローチ姿勢を組んだり、姿勢を4センチ低くしたりと徹底して改善してきた。
その成果はデータで如実に表れた。長くジャンプの動作解析などを行っている北翔大・山本敬三教授は、以前から足圧分布計測を図っており、24年ごろまでの丸山は、踏み切る直前でつま先から立ち上がっていた傾向にあったと話す。そのため、空中でスキー板が立ち、風圧を受けていた。
それが今は、足裏全体でカンテ(飛び出し口)に力を伝えて飛び出せるようになったことで、空中でスキー板と体がよりまっすぐになり、強い前傾姿勢を保って飛び出すことできるようになった。それにより浮力を得て遠くに飛べるようになった。
母との約束も果たした。高3で最愛の母・信子さんを亡くした。「何かで一番になりなさい」と言い続けてくれた母。「だから頑張ろうと思えた」と力に変えてきた。厳しさを教えてくれたのも母だ。冬の遠征の合間に実家に帰り、大学の願書を書くころ、家でリラックスしていると「家のことも手伝えない子はもうやらなくていいと願書を破られました」。
亡くなる直前。翌週に控えるW杯初出場のために遠征していた札幌から戻り、母に会ったが、「せっかく自分でつかんだことを、もう変えられないことに使うんじゃない」と、母は父に伝言しており、札幌へととんぼ返りした。葬式には出ずに再び遠征に旅立った。「あの言葉が今につながっているのかな。まだ近くにいるじゃないかという思いが大きいです」。母はずっとそばで寄り添って支えてくれていた。母がつけてくれた名前「希」の通り、「金メダルを取りたい」の希望を叶えた。
◆丸山 希(まるやま・のぞみ)1998年6月2日、長野県生まれ。27歳、長野・飯山高―明大出身。23年世界選手権個人ラージヒル4位。25年世界選手権個人ラージヒル7位。161センチ。