【リビーニョ(イタリア)5日=宮下京香】ミラノ・コルティナ五輪の開幕(7日未明)に先だって、スノーボード男子ビッグエア…
【リビーニョ(イタリア)5日=宮下京香】ミラノ・コルティナ五輪の開幕(7日未明)に先だって、スノーボード男子ビッグエア男子予選が行われた。日本選手団の金メダル第1号を狙う“スピンマスター”荻原大翔(ひろと、20)=TOKIOインカラミ=が計178・50点をマークし、4位の22年北京五輪王者・蘇翊鳴(そ・よくめい)=中国=を抑えて、1位通過した。木村葵来(きら、21)=ムラサキスポーツ=は計173・25点で3位。日本勢は4人全員が決勝進出。1972年札幌五輪のジャンプ男子「日の丸飛行隊」以来の表彰台独占も現実味を帯びてきた。決勝は7日(日本時間8日未明)に行われる。
初の夢舞台で、荻原が予選からスタートダッシュを決めた。難易度の高い逆スタンスの横5回転半から入り、手堅く技そろえると、2本目を終えて首位に立った。前回五輪王者・蘇を抑えて堂々の1位突破。日本選手団の金メダル第1号へ、手応えたっぷりに終え、両拳を握った20歳は「初めての五輪の予選でやりたいことを決められて良かった。緊張はせず、W杯と同じ気持ちで挑めた」。気温マイナス5度の中で、笑みがこぼれた。
高回転技で攻める“スピンマスター”として知られるが、この日は決勝を見据えて、冷静かつ堅実な戦略が光った。小ぶりなキッカー(ジャンプ台)だと感じる選手も多く、「(高回転技には)サイズが足りない」と判断。日本にいる父・崇之さんらと連絡を取って、武器の高回転技はあえて封印した。1時間前の公式練習からすべて、逆スタンスの背中から回す5回転半技で通した。1本目で確実に決めてガッツポーズ。「技選びも良かった。攻めすぎてけがをしても良くない」と振り返った。
大舞台でも動揺はなかった。これまでの国際舞台では、高難度の高回転技で攻め続けることに終始し、予選落ちも少なくなかった。ライバルと比べて安定感を欠いて、頭を悩ませることもあった。初の五輪を前に「ミスが多過ぎて、逆に緊張しなくなった。開き直った。好きなスノーボードをして、好きな技を決められたらいい」。決勝を思う存分に楽しむため、予選を確実に通過する大切さに気づいた。
日本は4人全員が8日未明の決勝に進出。荻原は同種目で日本勢初の金メダルに挑む。1972年札幌大会の笠谷幸生らジャンプ男子の「日の丸飛行隊」以来となる表彰台独占の夢も膨らんだ。この日の5回転半技を踏まえ、「(まだ高さが)余っていた。これはトゥエンティーワン(6回転技)は行ける」と確信。決勝で難度を上げた6回転や6回転半技を解禁すれば、「優勝が確実になる」と頂点を思い描いた。「“初”や“1番”が好き」とあらためて繰り返し、「日本人1号やビッグエアの1人目のメダルも全部取りたい」。日本の旗頭として、“スピンマスター”が攻めに転じる。(宮下 京香)
◇荻原 大翔(おぎわら・ひろと)
▽生まれとサイズ 2005年7月19日、茨城・牛久市。20歳。
▽競技歴と学歴 両親の影響で3歳からスノーボードを始め、7歳で公式戦に初出場。中学1年だった17年にプロ資格を取得。21年全日本選手権BAで初制覇。21~22年季からW杯を転戦し、23年10月にBAで初優勝。通算3勝。昨年3月の世界選手権に初出場し、BA10位、SS21位。千葉・日体大柏高卒。
▽高回転技 9歳で横3回転の1080、13歳で横4回転の1440をともに世界最年少で成功。22年、横6回転する「バックサイド・コーク2160」、25年1月、冬季Xゲームで横6回転半する「バックサイド2340メロン」にともに世界初成功。
▽家族構成 両親
▽スポーツ歴 水泳。
◆1972年札幌五輪の日の丸飛行隊 スキーのジャンプ70メートル級(現在の男子個人ノーマルヒル)で笠谷幸生が冬季五輪で日本勢初の金メダル、金野昭次が銀、青地清二が銅を獲得し、表彰台を独占。「日の丸飛行隊」と名付けられ、その後もジャンプ日本代表の愛称として定着した。札幌大会はアジアで初めての冬季五輪として2月3~13日に開催され、日本勢は90選手が参加。