九州文化学園高・香田勲男監督、日本シリーズ完封を回顧 シリーズの流れを変え、自身の野球人生を変える快投だった。巨人、近鉄…
九州文化学園高・香田勲男監督、日本シリーズ完封を回顧
シリーズの流れを変え、自身の野球人生を変える快投だった。巨人、近鉄で投手として活躍した香田勲男氏は、九州文化学園高の野球部監督に就任して5年目を迎えている。昨夏の長崎大会では決勝に進出。延長11回の激闘の末に敗れたものの、春夏通じて同校初の甲子園出場まであと一歩に迫った。昨秋の長崎大会もベスト4に進出。指導者として手腕を発揮する香田氏が、巨人時代に伝説となった1989年の日本シリーズを振り返った。
右肩手術からリハビリを経てプロ5年目の1988年にプロ初完封を記録。翌1989年は藤田元司監督が復帰し、香田氏はローテーションの一角に起用され7勝3敗、防御率2.35と頭角を現しつつあった。チームは84勝44敗2分けで2年ぶりのリーグ優勝。近鉄との日本シリーズに臨んだ。
第1戦はシーズン20勝を挙げてブレークした斎藤雅樹が先発したが3-4で逆転負け。第2戦は先発の桑田真澄が中盤につかまり3-6で敗れた。第3戦は宮本和知が序盤に崩れて0-3。3連敗で崖っぷちに追い込まれたのである。
シリーズ前に第4戦の先発を通達されていたが、テレビのスポーツニュースで解説者が「巨人は第4戦、斎藤でいくでしょう」と話しているのを見て「俺でいいのかな」と思っていたという。「ただミーティングで、藤田監督が『みんなも経験あるだろうけど高校野球と同じだ。負けたら終わり。トーナメントと同じだから、いい意味で開き直って、いこう』と言われて。まさしくその通りで、開き直って投げさせてもらったんです」。
多少の戸惑いはあっても重圧はなかった。「3戦目まで自分よりいい投手が投げて勝てなかったんだから『俺が投げて負けても、どうこう言う人はいないだろう』といい意味で開き直っていました。負けてもいいわけじゃないですけど、プレッシャーはそんなになかったですね。『こんなところで投げさせる人の方が悪い』って思って投げました」。シーズンと変わらぬ心境でマウンドに向かった。
初回1死から新井宏昌に左前打されても慌てない。後続を連続三振に仕留めると勢いに乗った。スローカーブも駆使して散発3安打。143球の熱投で完封し、近鉄の勢いを止めた。第3戦後のインタビューで、勝利投手となった近鉄・加藤哲郎が「シーズン中の方がよっぽどしんどかった」などと話したことが、スポーツ紙などで“巨人は(パ・リーグ最下位の)ロッテより弱い”と伝えられたことで打線も奮起。5-0と快勝して逆襲が始まった。
第4戦の完封に続き第7戦も6回途中3失点…優秀選手に選出
第5戦は斎藤が踏ん張り6-1、第6戦は桑田が好投して3-1で勝ち、3勝3敗のタイに持ち込んだ。「第7戦までいったら『いくよ』というのは言われてましたけど、まさかまた回ってくるとは思っていなかったです。『うわ~、きたよ』って感じでした」。事前に第7戦の先発を伝えられていたが、完封した第4戦とは心境が全く違っていた。
「勝てば日本一で、負ければそれまでのみんなが頑張ってタイに戻した苦労が水の泡になってしまう。そこはメチャメチャ緊張しました。4戦目と7戦目は全くの真逆でしたね。特に試合前は緊張するんですけど、どうやってブルペンまで行ったのかとか、そういう試合前のことがほとんど記憶になくて。前の日もあまり寝られなかったと思います」
143球を投げた第4戦から中3日。疲労が残り、極限の緊張の中でも好投した。5回まで2失点。6回にソロ本塁打を浴びて降板したものの、しっかりと試合を作った。攻撃陣も第3戦で7回途中までゼロ封された加藤を攻略。2回に先制本塁打を放った駒田徳広がダイヤモンドを回る際に、加藤に向かって「バ~カ!」と叫んだシーンは今も語り草だ。
試合は8-5で巨人が勝ち、3連敗後の4連勝で8年ぶりの日本一を達成した。香田氏は6回途中3失点の粘投でシリーズ2勝目。MVPこそ打率.522の駒田に譲ったものの、チームの救世主となる活躍で優秀選手に選出された。
「あの試合が私を世に出してくれましたね。藤田さんがよく私をあそこで使ってくれたというか、自分が監督だったら『4戦目に香田を使うかな?』って本当に思いました。ギャンブル的なところがあったと思うんです。そんなに勝算があったのかなって感じます。藤田さんは『手術して地獄を見た男だから』とコメントされています。そういった意味では私のことを信じてくれて、使ってくれて本当にありがたかったなと思います。あの試合がなかったら、今の私はないですから」
劣勢の流れを劇的に変えた第4戦の完封と、8年ぶり日本一を手繰り寄せた第7戦の好投。「巨人に香田勲男あり」を強烈に印象付けた日本シリーズだった。(尾辻剛 / Go Otsuji)