江川卓遠藤一彦 同級生対談(前編) かつて、二刀流の大谷翔平や最速165キロを誇る佐々木朗希をも上回るすごい球を投げる投…

江川卓×遠藤一彦 同級生対談(前編)

 かつて、二刀流の大谷翔平や最速165キロを誇る佐々木朗希をも上回る"すごい球"を投げる投手がいた。その名は、怪物・江川卓である。1970年代前半、日本中を席巻したのは、空前絶後とも言える江川フィーバーだった。しかしそれは、あまりにも前例のない才能の大きさゆえに、周囲の人生までも狂わせてしまうという悲劇性をはらんでいた。そんな江川卓の軌跡を記した書籍『怪物 江川卓伝』が、いま話題を呼んでいる。

 そんななか、本書にも収録されている元大洋のエース遠藤一彦と江川の同級生対談が、YouTubeの『Web Sportivaベースボールチャンネル』で初めて実現した。


1980、81年に最多勝を獲得するなど、巨人のエースとして活躍した江川卓

 photo by Sankei Visual

【江川卓も驚愕したプロのレベルの高さ】

 作新学院高(栃木)時代、12回のノーヒットノーラン(うち完全試合2回)や145回連続無失点といった未曾有の記録を打ち立て、法政大では通算47勝(歴代2位)、17完封(歴代1位)という記録を引っ提げプロ入りした江川は、大学時代からある思いを抱いていた。

「プロに入ったら30勝はできると思っていたら、間違っちゃった」

 勝ち点制度のリーグ戦では、初戦に先発した投手が翌日にリリーフとしてベンチ入りすることも珍しくない。そのため江川は常に余力を残し、走者が二塁に進んだ場面でのみ全力投球に切り替えた。そうした投球術で、4年間で47勝を挙げたのである。

 大学時代の江川は、1試合で本気で投げたボールは10球前後だったとも言われている。力でねじ伏せるのではなく、抜群のコントロールと投球術で打者を軽くかわしていた。

 遠藤は、江川の「間違っちゃった」という発言に苦笑しながら、「何が?」と問い返した。すると江川は、満を持して答える。

「(プロに)入ったら、正直びっくりした。高校、大学、社会人、そしてプロと段階があって、大学でこれだけできるのだから、プロでもこのくらいだろうと思っていた。でも、実際はさらに二段階も上だった。だって、まず空振りしないからね」

 高校はもちろん、六大学でも、江川が少し力を入れて指にかけたボールに打者がバットを当てることなど、ほとんどなかった。ところがプロでは、それを当ててくる。その対応力に、江川は驚かされたという。

 江川が遠藤に同意を求めると、遠藤は「オレはその前に、すごい世界に入っちゃったと反省した」と即答した。

【170キロは出ていた!?】

 江川と遠藤は同級生だが、高校時代に対戦経験はない。大学では、江川は法政大、遠藤は東海大と所属リーグが異なり、公式戦での対戦は、大学4年秋の明治神宮大会決勝での一度きりだった。

 遠藤はこの試合をはっきりと覚えており、「あの江川と投げ合うんだ」と意気込んでマウンドに上がった。だが、当の江川は、それが明治神宮大会の決勝だったということしか覚えていない。

「覚えているよ。いいピッチャーがいて、フォークがいいという印象だった」と江川が嘯(うそぶ)くと、遠藤は「いやいや、フォークはプロに入ってからだから」とすかさず突っ込む。「ああ、プロに入ってからの話ね」と、江川はとぼけてみせた。

 プロではほとんど言葉を交わしたことがないふたりだが、同級生という縁もあってか、阿吽の呼吸で会話は弾み、場の空気は終始和やかだった。

 1980、81年に最多勝を獲得した江川に対し、83、84年は遠藤が最多勝に輝いた。江川がプロ4年目の夏に肩を痛めると、その後を引き継ぐかのように遠藤がピークへと駆け上がり、2年連続で最多勝を手にした。

 江川が最も速い球を投げていたのは高校時代ではないか。そんな議論は、いまだに交わされる。遠藤が「160キロは出ていた?」と尋ねると、江川は真顔で「いや、170キロ」と返した。一見、仏頂面の遠藤も思わず笑みをこぼし、江川はしてやったりといった様子で満足げだった。

「空白の一日」によって、江川はプロ生活9年間、常にダーティーなイメージを背負うことになった。引退後、テレビを中心に活躍の場を広げるなかで、キャラクターを変えたと思われがちだが、実際はそうではない。もともとコミカルで口達者、人を笑わせることが好きな性格だった。


ともに1955年生まれの江川卓氏(写真左)と遠藤一彦氏

 photo by Sportiva

 引退後になって、ようやく素の江川が表に出るようになったに過ぎない。遠藤との今回が初対談となるこの場でも、エピソードが披露されるたびに必ずオチをつけようとする徹底ぶりだった。遠藤もそれに呼応するかのように応戦し、段取りのないアドリブ合戦は妙な緊張感を帯びながら、最後には必ず笑いへと収束する。マウンドを離れてもなお、エース同士のテクニックを、今度は話芸という形で随所に見せてくれた。

【もし高卒でプロ入りしていたら?】

 そしてMCの上重聡から、満を持して「高校からプロ入りしていたら、1年目からどうなっていたと思うか」という質問が投げかけられた。江川は、それを受けて堂々と口を開いた。

「10くらいは勝ってたんじゃないですか」

 なんの迷いもなく、平然と言う。

 それはリップサービスというより、本音だと感じた。怪物と呼ばれた高校時代の感覚のままプロ入りしていれば、1年目から2ケタ勝利は挙げられる──江川はそう自信をもって答えたのだ。

 当時のプロ投手の誰よりも速い球を投げていた作新学院時代の江川。その投球をつぶさに見ていた辛口の評論家たちも、仮にそのままプロ入りしていれば、15〜20勝は可能だと太鼓判を押していたほどである。

"平成の怪物"と呼ばれた松坂大輔(元西武ほか)は、1999年のプロ入り1年目に16勝を挙げている。その25年前、もし江川が高校からプロ入りしていたら、いったいどれだけ勝っていたのか。通算200勝は固く、250勝、いや300勝も狙えたのではないか。いまなおそんな議論が沸き起こるほど、江川のボールは異彩を放ち、まさに"ドリームボール"と呼ぶにふさわしいものだった。

 そんな江川と同級生として、最高峰のレベルでプレーしていれば、意識しないはずがない。プロ入り後の江川について遠藤に尋ねると、「入った年は2カ月遅れで9勝、翌年に16勝、3年目には20勝。もうレベルが違いますから」と語った。

 最多勝2回、最多奪三振3回、沢村賞1回を獲得し、通算134勝を挙げるなど80年代を代表する投手の遠藤でさえも、江川に比べたら「自分なんか......」と卑下するような発言を繰り返す。しかも悔しさを見せることもなく、当たり前のように言い放つのだ。

 江川と同時代を生きた野球人が口を揃えて語る、数字以上に底知れないポテンシャルのすごさとは、いったい何だったのか。キレ味鋭いフォークボールを武器とした遠藤ならば、あの江川にかけられた隠されたベールを剥がしてくれるのではないか。そんな期待を背負いながら、ヒリヒリとした対談の収録は1時間以上にわたって行なわれた。

つづく>>

江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日生まれ。福島県出身。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

遠藤一彦(えんどう・かずひこ)/1955年4月12日生まれ。福島県出身。学法石川高から東海大に進み、首都大学リーグで通算28勝をマーク。77年、ドラフト3位で大洋(現・DeNA)に入団。プロ2年目の79年に12勝8セーブで頭角を現すと、82年から6年連続2ケタ勝利。83年に最多勝、沢村賞を獲得し、翌84年も最多勝。87年にアキレス腱断裂の大ケガを負うが、90年に6勝21セーブでカムバック賞を受賞。92年に現役引退。通算成績は134勝128敗58セーブ。97年から2003年まで横浜の二軍投手コーチ、一軍投手コーチを務めた