江川卓×遠藤一彦 同級生対談(後編)「江川の前に江川なく、江川の後に江川なし」と称されるほど、数々の伝説を残したピッチャ…
江川卓×遠藤一彦 同級生対談(後編)
「江川の前に江川なく、江川の後に江川なし」と称されるほど、数々の伝説を残したピッチャー・江川卓。その江川に真正面から対抗したのが、元大洋(現DeNA)のエース・遠藤一彦である。同級生として凌ぎを削り、一時代を築いたふたりによる初の対談が、YouTubeの『Web Sportivaベースボールチャンネル』で公開された。

阪神からトレードという形で巨人入りが決まった江川卓
photo by Kyodo News
【江川卓だけに集中したバッシング】
江川を語るうえで、どうしても避けて通れないのが「空白の一日」である。1978年11月22日、野球協約の盲点を突いた巨人が、ドラフト前日に電撃的な契約を結んだことから、大騒動が巻き起こった。最終的には、ドラフト1位で指名していた阪神に一度入団したうえで、巨人への金銭トレードという形で決着した。
しかし、世間ではそう思われていない。当時巨人のエースだった小林繁との交換トレードという形に映り、余計にバッシングが強まった。
遠藤一彦もまた、プロ入り1年目のオフにあたる時期で、この一連の大騒動を間近で見ていた。
「いろんな人の考え方があるんだなと思いました。こっちは報道でしか情報がありませんでしたから」
遠藤にしてみれば、「何が起きているんだ?」と傍観するしかない。対談の場では公言しなかったものの、遠藤もほかの選手たちと同様に、「あれは江川のせいではない」と心の中では強く思っていたはずだ。
もし江川が鼻持ちならない人物であれば話は別だが、彼の人間性を知る者なら、あれほど大それたことを独断でやる男ではないとわかる。ましてや、22歳の若者ひとりの力で成し遂げられる話ではないことは明らかだった。にもかかわらず、世間のバッシングは江川だけに集中した。
江川も遠藤も、すでに古希を過ぎている。江川は、これまでほとんど言葉を交わすことのなかった遠藤を前に、遠いセピア色の記憶を手繰り寄せるようにして、静かに口を開いた。
「記者会見は20分間あって、いろいろ説明していたんだけど......放送では全部カットされて、『興奮しないでやりましょう』という部分だけが切り取られたんです。会見の前に、新聞記者の方が怒鳴り声を上げたから、『興奮しないでやりましょう』と言った。それを一度だけ放送してくれたことがあって、それを見ると、そう言った理由もわかる。何の前触れもなく、いきなり『興奮しないでやりましょう』なんて、ふつうは言わないでしょう」
江川は面白おかしく語ってくれたが、指摘はもっともだ。実際には「興奮しないでやりましょう」というひと言だけが切り取られ、あたかも江川の不遜な態度だけが強調された映像として流された。
【2年間続いた1対17の戦い】
全国民の敵となった江川を攻撃すればするほど、新聞や週刊誌は売れ、ワイドショーの視聴率も上がった。『空白の一日』は、巨人が主導して仕組んだ出来事であるにもかかわらず、悪の権化として槍玉に挙げられたのは、江川ただひとりだった。
江川にとって最大の懸念は、巨人に入ることそのものではなく、入団後に待ち受ける現実だった。江川はあえて軽い口調で言う。
「小林さんは人望のある方で、巨人の選手たちとも仲がよかった。その人が出て行ったことで、チームのなかには『江川には協力しないでおこう』という空気があったんです。飛び込めば捕れそうな当たりが簡単に抜けてヒットになったり、攻撃の時もランナーがいるのに打たなかったり......。『うわーすごいな』って思いましたよね」
遠藤はしんみり聞いていた。そして思わず尋ねた。
「それはどれくらい続いたの?」
江川はほんの一瞬、天を仰いでから、口を開いた
「2年だね」
2年目は16勝で最多勝を獲ったシーズンだ。
「2年目の最多勝は、ほんと実力よ。だって2年間は1対17で試合していたみたいなものだから。敵は17人いた」
この時、遠藤は初めて笑顔を見せ、「いい表現するね」と言った。

1983年に最多勝と沢村賞、84年にも最多勝をマークするなど大洋のエースに君臨した遠藤一彦
photo by Sankei Visual
【遠藤一彦が今も誇る1つの勝ち越し】
遠藤と江川は通算11試合で投げ合い、遠藤が5勝4敗と1つ勝ち越している。なかでも、江川から初めて白星を挙げた試合は、いまも克明に覚えているという。1982年9月21日、横浜スタジアムで行なわれた大洋対巨人戦。3対2で13奪三振の完投勝利だった。
この1勝は、遠藤にとって大きな意味を持った。かつて憧れていた江川に勝ったことで大きな自信を得て、打者を見下ろすような感覚で投げられるようになったという。その変化が、翌年からの2年連続最多勝へとつながっていった。
しかし、当の江川はその試合をまったく覚えていない。遠藤もまた、「江川が覚えているはずがない。こっちのことなんて、何の印象もないんだから」と終始ツッコミを入れながら語る。
世代ナンバーワン投手である江川を強く意識し、マウンド上で滾る思いを胸に秘めながら、遠藤は投げ合ってきた。そうして自らを高め、成長を遂げていったのである。
この対談でも遠藤は、「今日は江川と投げられると思って、最高のピッチングができました。巨人だからではなく、江川と投げ合うことで気持ちが高ぶる。こんなピッチャーは、江川以外にいません」と断言した。
江川が遠藤を下に見ていたわけでは決してない。抜群のコントロールに加え、球の回転、スピード、決め球であるフォークボール。どれを取っても一流のボールだと認めていた。実際に投げ合っても、常に1点を争うような緊迫した好勝負を演じさせられた。
ただ、江川はさらに別次元の意識でマウンドに立っていた。それが、怪物であり、天才と呼ばれる所以でもある。遠藤もまた、そのことを肌で感じていた。だからこそ、そこに怒りはなく、「そりゃ、江川だからな」と納得する。
江川卓と遠藤一彦。同世代の大学出身投手として、ともに最多勝を2度獲得し、通算勝利数も江川が135勝、遠藤が134勝と、数字はほぼ互角だ。ただ、直接対決の成績で遠藤が5勝4敗と勝ち越していることは、彼にとって大きな勲章になっている。誰もが畏怖の念を抱き、そして憧れた江川に、1つ多く勝っている。その事実だけで、遠藤にとっては十分なのだ。
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日生まれ。福島県出身。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している
遠藤一彦(えんどう・かずひこ)/1955年4月12日生まれ。福島県出身。学法石川高から東海大に進み、首都大学リーグで通算28勝をマーク。77年、ドラフト3位で大洋(現・DeNA)に入団。プロ2年目の79年に12勝8セーブで頭角を現すと、82年から6年連続2ケタ勝利。83年に最多勝、沢村賞を獲得し、翌84年も最多勝。87年にアキレス腱断裂の大ケガを負うが、90年に6勝21セーブでカムバック賞を受賞。92年に現役引退。通算成績は134勝128敗58セーブ。97年から2003年まで横浜の二軍投手コーチ、一軍投手コーチを務めた