<最強日本フィギュア>(9)ミラノ・コルティナ五輪が、いよいよ明日6日に開幕する。フィギュアスケート日本代表は、22年北…

<最強日本フィギュア>(9)

ミラノ・コルティナ五輪が、いよいよ明日6日に開幕する。フィギュアスケート日本代表は、22年北京大会で獲得した過去最多メダル4個(銀2、銅2)を上回り、最大7個が視野に入る布陣となっている。開幕日まで10日連続で選手の素顔を紹介している「最強日本フィギュア」。第9回は、男子で初出場となる佐藤駿(21=エームサービス/明大)のルーツをたどる。【取材・構成=松本航】

★原点

22年前、今回の五輪開幕となる2月6日に仙台市で生まれた。四季を感じる「高森自然公園」を通り、高森小学校へ通った。放課後は自転車で校区内を走り「本当に自然が豊かな地域。東京に行くようなことももちろんないですし、地元の中で生きていました」。4歳のころから5年ほど、母が好きなピアノを楽しみながら弾いた。スケートに集中する時期までの期間だったが「(スケートに)生きていることもあるはずです。たまに弾きたくなるけど、忘れていて、弾く曲がない」と苦笑い。伸び伸びと成長を続けていた。

★再会

大震災後も、良縁は将来へ続いた。リンクも復旧したことから、半年ほどで仙台に戻ったが、18年に父の転勤で再び日下、浅野両コーチに師事。海外にも同行する日下コーチは、得点が発表される「キス・アンド・クライ」で喜びの感情を爆発させる。もの静かな佐藤とのギャップが、注目されるようになった。自身の今季フリーは「火の鳥」。後日知ったというが、日下コーチの現役最後の演目も同じだった。リアクションについては「自分はあまり表に出さないけど、心の中では同じ気持ち。(ミラノでは)今季一番のキスクラになるように、それを目標にします」と誓っている。

★偶然

5歳の誕生日のころ、たまたまスケートと出合った。当初は家族でスキーかソリ遊びに出かけようとしていたが、悪天候で道中のスケートリンク「ベルサンピアみやぎ泉」に立ち寄った。スケートの楽しさに魅了されると、羽生結弦さんの存在などで今や全国的に有名になった「アイスリンク仙台」でクラブに入れることを知った。好きだったのは今と変わらずジャンプ。7歳だった11年3月11日に東日本大震災が起き、自宅は半壊。一家そろって東京の祖母の自宅へ身を寄せ、現在の担当でもある日下匡力、浅野敬子両コーチの指導を埼玉で受け始めた。

★習慣

仙台在住時に同じリンクで練習した、五輪2連覇の羽生結弦さんに憧れる。幼少期にプレゼントされたペンダントは、今も遠征時にパンダのティッシュケースの中に入れて大切に保管している。14年ソチ大会の金メダルを見て五輪に憧れ、演技1時間前には羽生さんの動画を見返すルーティンが確立された。得点源にしている高難度の4回転ルッツは、19年に自身が羽生さん以来、日本人2人目の成功者となった。故郷の先輩が道しるべとなり「ずっと憧れて、追いかけて、目標としている方です」と声を弾ませる。

★表現

少年時代からジャンプを追求してきたが、2季前から世界的アイスダンサーが振り付けを担当。フランス人男性のギヨーム・シゼロン。18年平昌銀、22年北京金メダリストで、当時は現役引退していた。スケーティングの基本である両足を交差させて滑るクロスも「僕がちょっと内側に入って、ズルをしないと追いつけない」と衝撃を受けた。シゼロンは新たなパートナーと現役復帰し、1月の欧州選手権では222・43点の今季世界最高得点で優勝するほど。今季もSP、フリーがシゼロン仕込みで「教わっていることが光栄なことだと思いました」と生きた教材にしている。

◆佐藤駿(さとう・しゅん)2004年(平16)2月6日、仙台市生まれ。5歳の時に荒川静香、羽生結弦と同じアイスリンク仙台で競技を始める。19年ジュニアGPファイナルでは、自身が羽生に次いで日本人2人目の成功者となった4回転ルッツを武器に初優勝。シニア転向後はGPファイナルで24年から2年連続銅。4大陸選手権は23年銅、24年銀メダル。埼玉栄高を経て明大。162センチ。