紀藤氏が中日で再出発、巨人戦で通算1000奪三振を達成 また故障と闘い、再び這い上がった。2000年オフに広島から中日に…
紀藤氏が中日で再出発、巨人戦で通算1000奪三振を達成
また故障と闘い、再び這い上がった。2000年オフに広島から中日にトレード移籍した紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)だが、新天地でスムーズに事は進まなかった。中日1年目の2001年はリリーフで起用されたが、右肘痛に苦しみ2勝のみ。だが、懸命に前を向き、2002年は4勝を挙げた。38歳になったプロ20年目の2003年は、先発に回って7勝と数字を伸ばした。これには本拠地・ナゴヤドーム効果もあったという。
2000年10月に中日へ移籍した紀藤氏は背番号55で再スタートを切った。1984年の広島1年目から1987年の4年目までつけていた番号だ。「何番が空いているんですかって聞いたら55番が空いていたんでね」。若手中心の秋季キャンプにも参加した。「何もやらずに投げて肩が痛いなって思った覚えがある。練習もきつかったですよ」。闘将・星野仙一監督については「そりゃあ怖いですよ。当たり前じゃないですか。『何やっているんだ! お前は』ってよく言われていましたから」と言って笑った。
名古屋市出身の紀藤氏にとって中日は地元球団。「移籍したのは親父やお袋に最後くらいは中日のユニホーム姿を見せたいというのもあったんでね」と新天地での活躍を誓い、移籍1年目に臨んだ。開幕からリリーフ要員としてスタンバイ。与えられた出番で黙々と投げたが、また怪我が立ちはだかった。シーズン6登板目、4月19日の広島戦(福山)で1-7の6回に3番手で登板して2回4失点。右肘痛を発症して戦線離脱となった。
2軍調整は3か月に及んだ。苦しい日々だったに違いない。しかし、広島時代に何度も怪我から這い上がってきた右腕は中日でもへこたれなかった。8月に1軍復帰。リリーフでの起用で、8月4日のヤクルト戦(神宮)は2番手で1回1/3を投げて1失点を喫したが、その次からは8登板連続で自責点0と結果も残した。その間の9月5日の阪神戦(ナゴヤドーム)では1-1の延長10回に登板して1回無失点。その裏に中日がサヨナラ勝ちして移籍後初勝利となった。
「その前の神宮(8月30日)での練習中に、岩瀬(仁紀投手)の球が右側頭部に当たったんです。腫れて内出血して、翌日(8月31日)がナゴヤドームで横浜戦だったけど(横浜投手の)小宮山(悟)に『どうしたん、その顔、誰かに殴られたのか』って聞かれてねぇ……。(9月5日の中日での)初勝利の時は、もう腫れてはいなかったけど内出血はあって、まだ頭が痛かったんですけどね」。そんな悪コンディションにも負けずに掴んだ白星でもあった。
9月13日の広島戦(ナゴヤドーム)では4番手で投げて1回1/3、無失点で勝利投手。古巣からの白星でシーズン2勝目を挙げた。9月16日の巨人戦(ナゴヤドーム)では3番手で登板。2失点と久しぶりに自責点がついたものの、巨人・清原和博内野手を三振に仕留め、通算1000奪三振を達成した。
「その時は調子が悪かったので(投手コーチの)鹿島(忠)さんが怒っていたんですけど、そしたら星野監督が『お前は1000奪三振とったことがあるのか、この野郎!』ってベンチで鹿島さんを怒ったんですよ。ウワー、おっかねぇなぁって思いながら、自分も喜べなかったのを覚えていますね」。
感じた球場の違い「広いし、直射日光を浴びない」
中日1年目は21登板で2勝0敗、防御率3.20。右肘痛に悩まされながらも終盤に存在感を示して、翌年につなげた。星野監督はこの年限りで中日を退団し、山田久志ヘッド兼投手コーチが監督に昇格。12月には星野氏が阪神新監督に就任するなど環境が変わったなか、紀藤氏はまた巻き返していった。背番号を17番に変えた2002年の中日2年目は30登板で4勝4敗1セーブ、防御率2.85と成績を向上させた。
この年もリリーフ中心の起用だったが、5月1日、星野監督が就任した阪神戦(甲子園)で中日移籍後、初めて先発登板して、5回1/3、無失点で勝利投手になるなど、まだまだやれるところを見せた。5月31日の横浜戦では2番手で3回無失点投球。移籍後初セーブをマークした。「もう37歳でしたけどね」と紀藤氏は話したが、年齢を感じさせない投球で安定感もあった。
そして移籍3年目、プロ20年目の2003年はさらにジャンプアップした。開幕当初はリリーフだったが、5月から先発で起用され、7勝を挙げたのだ。「(自分の本拠地が)広島市民球場からナゴヤドームに変わって、やっぱり楽だったというのは絶対ありましたね。広いし、直射日光を浴びないんでね」と話す。実際、2003年の7勝中5勝はナゴヤドームだった。「中日のほうが広島より移動もラクでしたしね。東京に行くにも、広島に行くにも中間なので、移動時間が少なくなったんでね」とも付け加えた。
広島時代同様に、紀藤氏は中日でも自分のできることを精一杯こなして結果を出した。「あの時、オフの契約更改では正直な話、もう引退が見えてきているんで、あまり(年俸を)上げないでください、みたいなことを言っていたんですよ。あとで税金を払うのが大変になるので、ってね」とも明かしたが、2003年8月21日の阪神戦(大阪ドーム)で掴んだその年の7勝目が通算78勝目の現役ラスト勝利になるとは、この時は思うはずもなかった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)