紀藤真琴氏が振り返るプロ17年目のトレード 2000年オフに紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は広島から中日…

紀藤真琴氏が振り返るプロ17年目のトレード

 2000年オフに紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は広島から中日に移籍した。右腕・鶴田泰投手との交換トレードだった。1983年にドラフト3位で広島に入団し、リリーフでも先発でも結果を出してきたが、17年目のシーズンを終えたところで愛着あるカープを離れ、故郷・名古屋での新生活をスタートさせた。「最初は冗談半分の話だったんですけどね」と移籍の舞台裏を明かした。

 広島は1999年シーズンからOBで名捕手の達川光男氏が1軍監督に就任した(監督時代の登録名は達川晃豊)。前年(1998年)の三村敏之監督体制では2軍監督を務めており、そこからの昇格だった。紀藤氏にとっても、かつてバッテリーを組んだ先輩捕手。もう一花咲かせようと力も入ったが、もはやベテランの域に入った右腕の立ち位置は微妙なものだった。

 1999年はリリーフ要員として開幕を迎えた。4月27日の横浜戦(横浜)から4月30日の阪神戦(甲子園)まで4連投があるなど、若手に戻ったように投げたが、5月上旬に2軍落ち。1軍復帰の5月26日の巨人戦(福岡ドーム)で、この年初めて先発マウンドに上がると2安打完封勝利、続く6月2日のヤクルト戦(宮城)も8安打完封勝利と力を発揮したが、波に乗ることはできなかった。これには葛藤もあったという。

「福岡ドームで先発したのも頭数がいないから投げてくれって言われたから。やっぱりそれくらいの年(当時34歳)になってくると、一個人事業主として残りの野球人生のことも考えるようになりました。コンディション不良もずっと引きずっていたし、このままなら35歳くらいで引退しないといけないなぁってね。まぁカープで終わるのもいいのかなって考える一方で、いやちょっと待てよ、もうちょっと長いことやりたいなぁっていう自分もいるわけですよ」

 壊れても構わないくらいの勢いで投げていた若手時代とは違い、何事にも慎重になった時期でもあったのだろう。1999年は24登板、5勝6敗、防御率3.96で終了。そんな気持ちは17年目の2000年も続いた。開幕2戦目の4月1日の巨人戦(東京ドーム)に先発して5回1失点で勝利投手と幸先のいいスタートを切ったが、4月8日の阪神戦(広島)では4回5失点で敗戦投手となると、右肘痛もあって2軍生活に突入した。

 紀藤氏が次に1軍に上がったのは8月。その2軍再調整期間中にトレードの“前兆”があったという。「肘の状態はよくないけど、2軍の試合に間隔をあけて投げると(球速も)150キロくらい出るわけですよ。そうなると他球団の(編成の)人たちも気になったんでしょうね。いくつかの球団からは直接、自分の家に(調査の)電話がかかってきたんですよ」。その中で、中日は電話ではなく、当時の仁村徹2軍監督から声がかかったそうだ。

「それも冗談半分で、ですよ。徹さんに『どうなっているんだよ、お前。俺が(中日1軍監督の)星野(仙一)さんに言っておこうか』なんて言われたので、こっちも冗談半分で『じゃあ、お願いします』って。そんな感じだったんです」。それが現実になった。「しばらくしたら(広島)球団から電話があって『星野がお前を欲しいって言っているけど、どうする?』って話になったんです。体もこんな状態だし考えました。環境が変わってどうだろうとかね」。

決断した中日入り「こんな俺でも欲しいと言ってくれる」

 時間をかけて悩んだ末に中日行きを決断した。「こんな俺でも欲しいと言ってくれる人がいるのであれば、行くのがいいのかなって感じですよね。それに、やっぱり(中日は)生まれ故郷の球団だしなぁっていうのもあったんですよ。周りの人からは『中日はピッチャーがいっぱいいるし、そんなところに行ったって試合に出られないかもしれないぞ』って言われましたけどね。まぁ、(広島に)残っても出られないかもしれないし、どこでも一緒だなとも思いました」。

 2000年の紀藤氏は8月に1軍に戻り、9月に入ってからは抑えを務めて5セーブをマークした。そのうち3セーブは中日戦でマークしたものだ。「確か(本来の広島クローザーの)小林幹英の調子が悪くて、抑えをやれって言われたんじゃなかったかな。中日戦? そりゃあ、やっぱりいいところを見せないといけないですからね」と笑った。3-2の9回に登板して1回無失点で5セーブ目を挙げた10月7日の中日戦(広島)が、カープでのラスト登板になった。

 それから、わずか6日後の10月13日にトレードが発表された。新天地での背番号は広島入団時と同じ55番に決まった。早速、中日の秋季キャンプにも参加した。まだまだ投げられる。故郷・名古屋での闘いに向けて、またやる気に満ちあふれた。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)