阪神戦を徹底生中継するサンテレビ・湯浅明彦アナウンサーの若手時代 関西の阪神ファンに支持をされている1つの独立放送局があ…

阪神戦を徹底生中継するサンテレビ・湯浅明彦アナウンサーの若手時代

 関西の阪神ファンに支持をされている1つの独立放送局がある。神戸市に本社を構えるサンテレビ(株式会社サンテレビジョン)だ。“プレーボールからゲームセット”まで、地上波では異例の“完全生中継”を貫く「サンテレビボックス席」は、虎党にとって聖域とも言える場所だ。その看板を背負う湯浅明彦アナウンサーは今、アナウンス部長として後進を導く立場にある。しかし、その歩みは決して順風満帆ではなかった。

 1浪後に入学した大阪市立大時代にアナウンサーを目指したが、“就職活動”は決してうまくいかなかった。東京、大阪、名古屋、広島、福岡とプロ野球が本拠地を構える地方の各局を受験するもすべて不合格。「もうアナウンサーになれないのか……」。諦めかけたタイミングで、地元のサンテレビが10年ぶりにアナウンサーの募集を開始した。

「一度は諦めかけた野球の実況。しかも、阪神タイガース、高校野球の実況ができるかもしれない。これはチャンスだと思って、とにかく頑張ろうと思って受けました」。結果は見事に合格だった。「本当に拾っていただいたというのが率直な感想です。だからサンテレビに対しては、もう感謝しかないんです」。いろんな縁と幸運が巡り合った結果だった。

 1998年に入社。10年ぶりの募集ともあり、一つ上の先輩は19歳も年上の谷口英明アナウンサーだった。気軽に相談できる先輩がいない環境。「最初の1年間は放送席の横でスコアラーを務めて、先輩たちの技術を盗むしかできませんでした」。

 そんな日々で「巨大な現場の壁」にも直面した。阪神関係のメディアは世界一多いとも言われるほど多い。新人の湯浅氏は当初、囲み取材の輪に加わることすらできなかった。「選手に名前と顔を覚えてもらうことすら困難で、前日に少し話ができたとしても、翌日には忘れられているといったことが繰り返される日々でした」。当時の主力である藪恵壹投手、川尻哲郎投手、新庄剛志外野手らはすべて年上。疎外感に悩みは尽きなかった。

 それでもめげずに2年間は、スコアラーやベンチリポートで経験を積んだ。そして、入社3年目の時。ファーム戦で実況デビューを果たすと、高校野球を経て2000年9月21日の阪神対ヤクルトで甲子園実況デビューを飾った。「手応えなんて全然なかったです。でも家に帰ってすぐに、録画していたVHSを見ました。子どものころからずっと見ていた野球中継に自分の声が流れるって、本当に夢見心地というか、ずっと見ていました。本当はスタートなのですけど、1つの夢が叶った瞬間でした」。

1985年以来18年ぶりの阪神優勝試合を実況…明かされる秘話

 そこから無我夢中に実況を続け、運命の2003年を迎える。阪神は、闘将・星野仙一監督が就任して2年目。金本知憲外野手や伊良部秀輝投手らを補強し、投打がかみ合いシーズン序盤から独走状態。日本一に輝いた1985年以来、18年ぶりのセ・リーグ制覇に向けて関西はお祭り状態だった。

 しかし、優勝マジックが1桁になった9月上旬に急ブレーキ。同12日からの中日3連戦(ナゴヤドーム)は3連敗。マジック2として迎えた同15日の広島戦(甲子園)は、湯浅氏が実況担当だった。「名古屋で必ず優勝が決まると思っていましたから……。このような事態になるなんて、本当に想定外でした」。

 だが、その喉は限界に達していた。名古屋遠征中に体調が悪化。神宮球場での5時間におよぶロングゲームの実況などが重なり、蓄積した疲労が爆発したのだ。 「当時、28歳で若かったですから、マスクをするなどもしないですし、怖さがなかったんです……」 。湯浅氏は当時の自分をそう振り返る。喉の激痛と発熱。文字通り薬と神にすがる思いで一晩を過ごし、迎えた当日の朝、病院で点滴を打ってから現場へと向かった。

 当日の朝にはなんとか体調が回復した。熱も下がり、実況ができる状態で現場に向かった。甲子園はごった返し、メディアの食堂も人、人、人。球場内が異様な雰囲気の中で、放送席に座った。試合は、8回に片岡篤史内野手の同点ソロ本塁打で追いつくと、9回1死満塁。赤星憲広外野手が右翼オーバーのサヨナラ安打。甲子園は狂喜乱舞のなか、マジックは1となった。

 その後に2位のヤクルトが敗れ、18年ぶりの優勝が決定。空が暗くなった甲子園で星野監督が宙に舞った。サンテレビとして、開局初の阪神優勝試合の実況を担当した名誉ある“称号”。しかし湯浅氏の心は晴れなかった。

「本当につたない中継でしたよ。空白の18年間をほとんど知らない実況3年目のアナウンサーだったので、経験が不足していました。反省点しかなかったです」。周囲の称賛と自己評価の低さ。そのギャップに苦しむ若きアナウンサーを救ったのは、他ならぬ“闘将”の一言だった。

 優勝特設ブースでのインタビュー。「サンテレビ開局以来、初めて優勝の瞬間を中継することができました」と万感の思いで報告した湯浅氏に、星野監督はニヤリと笑ってこう返した。「君は良い星のもとに生まれているね!」。

 あの時、点滴を打ってまで守り抜いた放送席。その苦労をすべて包み込むような言葉を一生の宝物とし、湯浅氏は「ボックス席」から甲子園の熱狂を届け続けていった。(神吉孝昌 / Takamasa Kanki)